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箱庭の外 21
約束の時刻になると、芽生と手を繋いだ瑞樹くんが病室に現れた。
「憲吾さん、こんにちは」
「オジサン、こんにちは!」
彼はもう社会人なのに可愛らしい顔立ちのせいか、随分若く見えるな。
高校生と幼稚園という年の離れた兄弟に見えなくもない。
宗吾も私も父親似の老け顔の気がするので、密かに羨ましく思ってしまった。
「やぁ、私は美智と昼食を取りたいので、すまないが母のことを暫く頼めるか」
彼に任せようと思った。
初対面の時……彼の人柄を知ろうともせずに、存在を真正面から否定する発言をして、本当に申し訳なかった。
過ちに気付いた私は潔よく謝った。そうすべきだと思った。
これは昔から母によく言われていた事だ。
宗吾と兄弟喧嘩をする度に、父からは頭ごなしに『五月蠅い!』と怒られたが、いつも母が後からそっと宥めてくれた。
『人間は過ちを繰り返す生き物なの。その過ちに気付いて悔い改め、成長していく生き物なのよ。だから憲吾と宗吾、いい? よく聞きなさい。謝る勇気は、過ちを認める勇気なのよ。あれこれ言い訳せずに、素直に謝るのが男らしいわ』
宗吾と私は神妙な顔で『悪かったな』『俺こそ悪かった』と言い合った。
だがいつからだろう……宗吾とまともに顔を合わせられなくなったのは。
瑞樹くんをきっかけに、私も素直になりたい。
「あら憲吾さん、食べないの? あなたの大好きなオムライスなのに」
「美智、声が大きいぞ。それに『大《だい》』は余計だ』
「ふふ、あなたは損しているわね。外見が堅苦しい雰囲気のせいで、人から腫れ物に触るような扱いばかりされて」
「……だが、美智はそんな私を最初から怖がらなかった」
「んふふ、見る目があると言ってよ」
「……そうか」
オムライスを食べながら、ふと甥っ子の無邪気な笑顔が脳裏に浮かんだ。
こう見えても子供好きなのだ。だから芽生が瑞樹くんを庇って私に「おこらないで! いじめないで! 」と叫んだ時、実は胸が潰れそうだった。
こんな小さな子供を怖がらせて、私は何をやっているのかと深く反省した。
「なぁ……その、芽生はオムライス……好きだろうか」
「もう。じれったい人ね。素直に誘えばいいじゃない」
「う、うむ」
「お詫びしたいのね。芽生くんにも」
「……美智」
そういうわけで、芽生に病院の最上階の食堂でオムライスをご馳走した。
この病院には、有名なホテルオーヤマの直営レストランが入っているので、味は抜群だ。
瑞樹くんも芽生と一緒に、目の前で同じものを食べている。
ふむ……可愛らしい兄弟のように見えるな、やっぱり。
「芽生くん、ケチャップがお口についているよ」
「んん? えへへ、おいしくって」
「うん、卵がふわふわで美味しいね。あの、憲吾さん、ご馳走して下さってありがとうございます」
「いや、君は子供の世話が上手だね」
「ありがとうございます。弟がいるので……少しだけ慣れているのかもしれません」
謙虚な受け答えに、彼の優しく清楚な人柄が見えてくる。
いい子だ。
宗吾の奴、見る目があるな。
宗吾は私が同性愛に偏見があると思っているようだが、本当は違う……それを伝える隙がなかったのだ。
「オジサン、ごちそうさまでした」
「あぁ全部食べたのか」
「すごくおいしかったから」
「そうか気に入ってくれてよかったよ。珈琲を飲み終えるまで待ってくれるかな」
小さな子供は、こういう場所でじっと出来ないのでは?
だが芽生はいい子に待ってくれた。(すでに伯父馬鹿なのか、これは……)
「じゃあお絵かきしてもいい?」
「あぁいいぞ」
母の病室に飾った絵も、綺麗だったな。
いつも書類に埋もれ難解な文章ばかり睨んでいる私にとって、新鮮な色だった。美智も興味津々のようだ。
「芽生くん、何を描いているの?」
「これは公園でみたクローバーだよ。よつばのね」
へぇ公園なんて、久しく行っていないな。
「憲吾さん、子供の絵ってすごいわね。生きる力で溢れているわ」
「あぁパワーがもらえるな」
「そうだ。おねーさんにもこれあげる」(ふむ、おねえさんと言ったな。やはり出来た子だ)
芽生は画用紙の隅に四つ葉のクローバーを描いて、ビリッと破いて美智に手渡した。
「あら、これもらっていいの?」
「うん、これは『しあわせになるおまもり』だよ。ほんとうは原っぱで、本当のよつばをさがせたらいいんだけど」
「ううん、これがいいわ。私の夢が叶うまで、これなら枯れないし」
「きっとかなうよ、おねえさんの夢」
美智の夢は、私の夢と同じだろうか。
怖くて言葉に出せないでいると、美智がそっと教えてくれた。
「これは私とあなたの夢よ。芽生くんみたいに可愛い子を、授かりますように」
「あ……あぁ」
こんな時、すぐに気の利いた言葉が返せないのが恨めしい。
「憲吾さん、ありがとう。私と同じ夢を見てくれて」
「何、言って」
猛烈に照れくさい。
芽生くんはもう夢中で、今度は画用紙一面に大きな文字を書いている。
『パパ、おかえりさない。おつかれさまでした』
「わぁ、芽生くんこれ、旗にしようか。宗吾さんきっと喜ぶよ」
「うん。おにいちゃん、今からパパのお迎えに行くんでしょう」
「そうだよ」
「パパがすぐにボクたちをみつけられるようにね」
「じゃあ割り箸につけようか」
「私がテープを借りてくるよ」
みなで宗吾の帰国を出迎える旗を作った。
普段大人だけの生活にはない光景が、新鮮で眩しかった。
****
空港の到着ロビーに三人で並んで待っていると、大きなスーツケースを片手で押した精悍な男が勢いよく出て来た。
「あっパパーだ! あぁ……でもよく見えないよぉ」
「芽生くん、大丈夫だよ。さぁおいで。僕が抱っこしてあげるよ」
芽生がすぐに作ってきた旗を懸命にパタパタと振るが、人に埋もれてしまって見えない。すると、すかさず瑞樹くんが抱っこして高い位置にしてくれた。
なるほど、自然にいい連携が出来ているな。
それにしても……久しぶりに宗吾の顔を生で見た。
弟の方が大らかな性格で人当たりがよく……しかも私より背も高く男らしい体躯で、学生時代からよくモテていたのを思い出した。
顔を合わせるのは、父親の法要以来か……
ん? 少し若返ったような。
これは負けていられないな。
(宗吾……久しぶりだな)
話しかけようと思ったが、宗吾の眼中に私が全くと言っていい程映っていないのには、苦笑した。
おいおい、お前……もうデレデレだな。見てられないぞ。
可愛い息子と可愛いパートナーの出迎えが嬉しくて堪らないようで、一目も憚らず、目を細めて二人をまとめてハグしている。
おっと、勢い余ってキスまでしそうな勢いじゃないか!
これは流石に……兄として止めた方がいいのでは?
「あーコホン、コホン」
わざとらしい咳払いが、気付いたら出ていた。
「あ……えっ! に、兄さん?」
宗吾の視線がようやく私とぶつかった。
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