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箱庭の外 22

 驚いた……呆気に取られた。  瑞樹のすぐ横に、長年顔を合わせていない兄が立っているなんて、想像もしなかった。 「え……何で」  参ったな。まずい……言葉が出てこない……続かないぞ。  その場で絶句していると、瑞樹がそっと教えてくれた。 「宗吾さん。あ、あのですね……憲吾さんが病院から僕たちを空港まで送って下さって……とても助かりました」 「そ、そうか……兄さん、久しぶりだな」 「あ、あぁ……宗吾も元気そうだな」 「……兄さんも」    兄さんも俺も気まずい顔でぎこちなく、言葉が上手く繋げない。  だが、ここに瑞樹と芽生を連れて現れたという事は……全部受け入れてくれたのか。  瑞樹が俺にとって大切な存在だと、ちゃんと理解してくれたのか。  ならば……  母さんの言葉が過ぎっていく。  兄弟喧嘩をした時に謝り方は、確か…… 「兄さん……今まで悪かった」 「宗吾、私こそ、瑞樹くんに酷い言葉を吐いてしまった。お前の大切な彼を傷つけたことを詫びる」 「え……」  兄さんが頭を下げるなんて!  ずっと毛嫌いされていると思った。  だがよく考えると、同性を愛する性質を理解してもらえないと勝手に決めつけ疎遠にしていたのは俺の方だ。  瑞樹に対しても申し訳ない事をしたのは、俺の方だ。  瑞樹が家族を全員紹介してくれていたのに、俺は兄の存在を抹殺していたも同然だ。俺が事前に瑞樹の人柄を……どんなに彼を愛しているのか、ちゃんと兄にも伝えていれば良かった。  そうしておけば……瑞樹を無駄に傷つける事もなかっただろう。  全部、俺が撒いた種だ。すまない。 「宗吾さん……どうか力を抜いて下さい」  瑞樹が俺の握りしめた拳を、優しく開いてくれる。 「お帰りなさい。宗吾さん。あの、大丈夫ですか」  公衆の面前でなかったら、瑞樹をこのまま抱きしめたい。  いや俺にそんな権利はないのか。なんだか帰国したら懸案事項が綺麗に片付き回収までされていて、俺だけ蚊帳の外の気分になってしまった。  自己嫌悪してしまうよ。こんなのカッコ悪い…… 「宗吾さん……?」 「パパぁ……げんきないね」  うまく笑顔が作れなくて、ぎこちなかったのか。 「悪い。さすがにニューヨークは遠かったよ」 「あ……そうですよね。お疲れですよね」  瑞樹には伝わってしまうかも……俺の醜い心の内。  その様子を見ていた兄さんが、俺の肩をポンポンと叩いた。 「宗吾、疲れただろう。私は今日はもう帰るよ。家族でゆっくりするといい」 「いや……母さんに会いたい」 「そうか。今からで間に合うかな」 「行きましょうよ。宗吾さん。お母さんの顔を見ないと安心できないでしょう」  瑞樹も同意してくれる。そういう細やかなサポートが嬉しいよ…… 「あぁ」  確かに、心が落ち着かない理由の一つかもしれない。  こんな時はいい歳して……やっぱり母さんに会いたいと切に願ってしまう。 「それもそうだな。私の車で、すぐに病院に戻ろう」 「兄さん、悪いな」 ****  面会時間には、何とか間に合った。    瑞樹と芽生は病院の中庭で待っている。  どうやら俺に気を遣ってくれたようだ。 「母さん!」 「まぁ宗吾ってば、空港から直接来てくれたの? 会えるのは明日かと思ったわ」 「急に倒れたと聞いて、驚いたよ」 「……私もよ」 「でも……無事で良かった」 「そうよね。まだお迎えには早いわ。今回はね、瑞樹くんのお陰なのよ。彼に救われたの」 「あぁ、電話でだいたいの事は聞いたよ」  母さんが、俺の顔をじっと覗き込む。 「宗吾、あなた……くすっ、少し拗ねているわね」  うぐっ、図星だ。 「はっ……参ったな。母さんには敵わないな」 「ふふっ、あなたの母親歴を考えてよ、いくつになっても息子よ。宗吾も憲吾も……。瑞樹くん一人で頑張ったの。奮闘していたわ。でもそれは……あなたがいなかったからなのよ。今は強がって気丈にしているの、私には分かるの。宗吾が帰ってきたから、彼、きっとあなたに甘えたいはずよ。沢山甘えさせてあげなさい。そして宗吾も……瑞樹くんに甘えなさい」  驚いた。    そういう発想はなかったから。 「瑞樹くんにも話したけど『持ちつ持たれつ』よ。あなた達は互いにパートナーでしょう。二人揃ったのなら、互いに癒しあうのよ。素直にね」 「母さん、ありがとう。帰ってきたら全部解決していたので、ちょっと焦っていた。出番ないな、カッコ悪いなと」 「だと思ったわ。さぁ今日はもう帰ってゆっくりしないさい。心配かけてごめんね。でも顔を見せてくれてありがとう」  ****    その晩、芽生を子供部屋で先に寝かしつけた瑞樹が、躊躇いがちに俺の寝室にやってきた。 「宗吾さん……あの、傍に行ってもいいですか」 「もちろんだよ。おいで」  そう答えると、瑞樹は泣きそうな顔でパタパタと駆け寄ってきた。  感極まった表情で、俺の胸元にガバっと飛び込んでくれた。  あぁ……これが母さんが言っていた事か。 「どうした?」 「すみません。宗吾さんに会えたらホッとしてしまって……」 「あぁ……君はよく頑張った。偉かった。そしてカッコ良かったぞ」 「僕は……僕は、宗吾さんがいないから、頑張らないとって思って……でも宗吾さんの顔を見たらホッとして、力が抜けてしまいました」  胸元に顔を埋めて、肩を震わす君。  顎を掴んで上を向かせると、目に涙を溜めていた。  少し揺らせば、すぐに零れてしまう程に。 「ただいま、瑞樹」 「宗吾さん……おかえりなさい」  受話器越しでもない、画面越しでもない。  生身の君に会えて、温もりを感じられるのが嬉しいよ。  ポロっと零れた涙を舌で追うと、君が流す涙すら温かく感じた。  それから……  そっと互いに唇を寄せ合って、温もりを分け合った。 「会いたかった」 「僕もです。会いたくて……会いたくて」 「堪らなかったな。俺たち」 「同じ気持ちでした」  言葉も、ふたりで重ねていく。

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