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夏便り 8
「宗吾さん、皆さんが到着するのは午後ですよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、やっぱりスーツは一度脱いで、作業しやすい服装になってもいいですか」
「おぉそうだな。着替えは俺の部屋を使うといい」
「はい!」
宗吾さんの部屋に真っ直ぐ案内されたので、胸がドキドキした。
ここには以前も入った事はあるが、彼の匂いに包まれる空間はオアシスのようで居心地がいい。
「瑞樹、この部屋、好きか」
「えぇ」
「よし。じゃあ狭いが、今日はこの部屋に泊まろう」
「あ、はい!」
ここに泊まる? 布団、何枚敷けるかな。6畳の和室に学習机や本棚が置いてあるので、そう広くはない。さっき宗吾さんから後で浴衣を脱がすなんて言われたせいで、余計な事を考えてしまうよ。もうっ僕は、宗吾さんに感化され過ぎだ。
頭をブンブン振って、邪念を追い払った。
「なんだ、もう終わりか。もっと夜の妄想をしてくれよ。ほら俺の学生服とかアルバムとかの刺激物も沢山あるぞ。ここは自由に見て触れていいぞ。ははっ」
押し入れを全開して、宗吾さんが快活に笑う。
「だ、ダメですって。仕事にならなくなります」
「それも、いいな」
宗吾さんが、じりじりと歩み寄ってくる。
「着替えるんだろ? ネクタイ取ってやるよ」
「あ……あの」
するりとネクタイを解かれ、ワイシャツのボタンに手がかかる。
これは着替えだ、着替え……
必死にそう念じるが、心臓の音が外に漏れそうな程、五月蠅くなってきた。
「瑞樹ぃ……可愛いなぁ。ここ、バクバクさせて、意識しちゃって」
さりげなく宗吾さんが僕の胸を撫でたので、ポンッと顔が赤くなってしまう。
「もうっ意地悪しないでください。僕の躰、どんどん……あなたに弱くなっているのに」
「それは嬉しすぎる」
しみじみと感動されて、恥ずかしさに埋もれる。
「パパたち、なにしてるの? あそんでないで、はやくおしごとしないと」
階段をトントンとリズミカルに上がってくる芽生くんの足音に、一気に正気に戻った。
本当に油断も隙もない人だ。(同時に僕も同レベルで危ない事が分かった……)
「悪かったよ。最近の瑞樹は一段と可愛さが増してヤバい」
宗吾さんが、耳元で甘く囁きながら、余裕の笑みで部屋を出て行った。
「よしっ芽生、庭の水まきするぞ! 」
「うん、ボクもてつだう」
「僕もすぐ行きます!」
すぐにラフなチノパンとTシャツに着替えて加勢した。
朝からうだるような暑さで蝉がミーンミーンと合唱する中、汗水垂らして庭の水やりや廊下の水拭き、掃除機がけ、布団干しなどを一気にこなした。
大沼の家は木造の洋館で、函館の家は1階が花屋のコンクリートの家だった。そして今はマンション住まいだから、このような古い純和風の日本家屋は新鮮だ。
歩くとミシミシと音のする黒光りした板の床。古い大黒柱に落ち着いた和室。掘りごたつに襖、障子、畳……
古き良き日本の伝統が凝縮されている空間に、ふと懐かしさが込み上げて来た。
「宗吾さん、僕……こういう家を、どこかで体験したような気がします」
「ん? 北鎌倉の月影寺じゃないか」
「あぁそうか、そうですね。また行きたいですね」
「俺もあそこは好きだ、落ち着くよな」
「いつか僕たちも、こんな家でのんびり暮らしたいですね」
「いいな。しかし俺たち、かなり泥と埃と汗まみれだぞ」
「確かに薄汚れていますね」
「先にシャワーを浴びるか」
「でも……お母さん達が帰ってきてしまったら」
「まだ連絡もないし大丈夫さ。さぁ遠慮するな。うちの風呂、旧式だから使い方を教えておきたいし」
「あ、はい」
狭い浴室だったので宗吾さんと芽生くんが先に入り、その後に僕が使わせてもらった。
「瑞樹、ゆっくり入れよ。俺は昼飯の準備をしておくよ。そうめんでもいいか」
「ありがとうございます。ふぅ気持ちいい……」
ぬるめのシャワで背中の汗を流すと、爽快な気分になった。
「あ……しまった。着替え、宗吾さんの部屋に置いたままだ。今度はスーツに着替えないと」
タオルで躰を拭きながら脱衣場に出ようとしたら、玄関からガヤガヤと人の声がしたので、慌てて浴室に戻った。
『母さん!随分早かったですね』
『ただいま~憲吾が張り切って早く迎えに来てくれたのよ』
『そうですか。退院おめでとうございます』
『ありがとう、あぁ久しぶりの家だわ。荷物運ぶの手伝ってくれる?』
『おばあちゃん、ボクもおてつだいする』
『芽生、会いたかったわ~』
えっ! もうお母さん達、到着しちゃったのか。
あと1時間はかかると思っていたのに。
せっかくスーツでパリッとお迎えするはずだったのに、僕……まだ裸だ!
間の悪さにがっくし来た。やっぱりシャワーは後にすれば良かった。
それに……今、脱衣場から廊下に出たら、鉢合わせだ。
出るに出られない状態に陥ってしまったので、湯も張っていない湯船に体育座りして待機する事にした。
どうしよう……宗吾さん。
情けない恰好だ、僕……
『私、ちょっと手を洗ってきますねぇ』
うわっ!しかも美智さんの声が、浴室の扉越しに聞こえる。
どうか気付かれませんように!
洗面所の蛇口から水が出る音を、冷や冷やしながら聞いた。
『美智、母さんが呼んでいるぞ』
『あ、はーい』
ふぅ助かった。
よし、今のうちだ!
タオル片手に立ち上がると……
『あれ? 風呂場の電気、つけっぱなしじゃないか』
わっ! 今度は憲吾さんの声だ。
そのまま扉に手がかかり、黒い影が透けて見えて、いよいよ真っ青だ。
え、ダメだ、ダメ!
絶対に開けないで下さい!
この状況は……猛烈に間抜けで恥ずかしい!
「おっと! 兄さんストップ!」
「ん? なんだ?」
「悪い、今、瑞樹が風呂使っているから」
「えっ瑞樹くんが中にいるのか……お前たち……朝から何してたんだ?」
え。それは誤解です!
なんだか雲行きが怪しい。
「おいおい兄さん、一体何を想像して? 家の掃除をしたら汗だくになったんですよ」
「あっそうか……悪い。どうも私の悪い癖だな。お前の恋人だと聞いたら変に意識し過ぎて、すまない」
なっ、何を想像したんですか!
「瑞樹は男です。そういう気の遣い方は彼を傷つけるので、その……」
「……そうだよな。悪かったよ」
なんだか嬉しかった。
宗吾さんの一言一言が、僕の核心に触れる
そうだ! 宗吾さんの言う通り、僕は男なんだから、恥ずかしがるのは変だ。意を決して腰にタオルを巻いて自ら扉を開いた。
(なんだかこのシチュエーション最近多くないか)
「憲吾さん……すみません。お風呂をお借りしていました」
「あっ馬鹿! まだ出てくんなー!」
ところが、宗吾さんに速攻連れ戻されてしまった。
「くすっ、宗吾さんってば……それじゃ言っている事と行動が真逆ですよ」
思わず苦笑してしまった。
「ははは、宗吾はそういう所あるよな。宝物をいつも独り占めしたがる」
「兄さん!! 今見たことは忘れてくれよ!」
「はいはい。瑞樹くん、よく来たね。着替えたら改めて挨拶しよう」
「は、はい!」
珍道中だったが、いい感じに緊張が解れたのかも。
さぁこれからが本番だ!
気を引き締めて、改めてきちんと挨拶しよう。
僕の真心を込めて、宗吾さんのパートーナとして生きていく覚悟を、きちんと憲吾さんと美智さんに伝えたい。
夫婦が長い結婚生活を送るように、僕も宗吾さんと芽生くんと共に、ずっと一緒に生きていきたい。
ふたりと過ごしていると、僕は希望を持て、幸せを感じる。
未来に夢を抱き前に進んでいけることを、僕の言葉できちんと伝えたい!
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