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夏便り 17

「くすん……くすん……」  夜中に芽生くんの気配を感じて、目覚めた。 「ん……今、何時だろう」  時計を確認すると5時過ぎで、外はだいぶ明るくなっていた。 「くすん……」  扉の向こうに集中し耳を澄ますと、確かに微かな泣き声が聞こえた。  芽生くん……どうしたのかな。    僕の躰は宗吾さんの腕に深く抱きしめられたままだったので、胸元に回っていた手を外して、そっと布団から抜け出した。  あっ、宗吾さん起きちゃうかな……?  振り返るが、グーグー眠っていて、起きる気配はなかった。  男の人って、やっぱり一度寝てしまうとぐっすりだな。  かつて広樹兄さんも、そうだった。  函館の家ではドアを開けて眠ると、兄さんのいびきが五月蠅くて大変だったよ。  ふふ、懐かしい思い出だ。  その一方で、僕は男だが……少しの物音にも敏感だった。  扉の真向かいの部屋に、芽生くんは眠っている。  様子から判断すると憲吾さんも美智さんも、まだぐっすり眠っているようだ。  二人は起こさない方がいいかな。  僕はドアの外から、そっと声をかけた。 「芽生くん、どうしたの? 何か困ってるいのかな」 「……お……おにいちゃん?」 「そうだよ」 「おにーちゃんのとこ、いってもいい?」 「うん、おいで! 」  とにかく顔を見て話さないと。  すぐにパタパタと小さく軽い足音がして、ドアが開いた。  芽生くんは僕を見るなり、胸元に飛び込んできた。  ん? よく見ると、手にパジャマのズボンを握りしめて……    あ、この匂い。ズボンも濡れているし……そうか。 「もしかして……おもらし、しちゃったのかな」 「う……ん、ごめんなさい。ひっく……」 「あぁ泣かなくていいんだよ。きっと眠る前に西瓜を沢山食べたからだね」 「う……どうしよう。おふとん、つめたくて……みんな、ねてるし」  僕の胸元に頭をスリスリと擦りつけて、泣いている。  ふふ、くすぐったい。  小さな手が僕のパジャマをギュッと握りしめて、可愛いなぁ。  かつて夏樹もよくおもらしして、こんな風に泣いていのを思い出すよ。 「じゃあ、まずは芽生くんのお着換えをしないとね」  芽生くんと手をつないで、そっと階段を降りた。 「おにいちゃん……みんなには、ないしょにしてくれない? ボク……はずかしいよ」 「そうだね。わかるよ。じゃあ僕と芽生くんの秘密にしようね」 「ありがとう! でも、おばーちゃんには言ってもいいよ。ボク、このお家では、まえにもしちゃったし」  環境が変わったせいかな。  マンションではしていないから。  風呂場で芽生くんの下半身を洗い、新しいパジャマを着せようと思ったが、あいにく着替えを持っていなかったので、僕の白いTシャツを貸してあげた。 「んーやっぱり足がスースーしちゃうかな」 「ううん、おにいちゃんのおようふくだもん。うれしいよ」  それから芽生くんのお布団を取りに行った。  この分だと、かなり濡れているだろう。  部屋を覗くと、憲吾さんと美智さんの間に子供用の布団が敷かれていた。  悪いと思ったが、さっと忍び入り持って降りた。  おねしょを吸い込んだ布団を浴室で洗い流し、足で踏みながらぬるま湯をかけた。こうすると割と匂いが落ちるから。でも完璧には取れないかな。まぁこの布団はそもそも子供用なので、ある程度割り切るしかないかな。 「おにいちゃん、すごい、すごい!」  僕のTシャツを着た芽生くんが、脱衣場にしゃがんでパチパチと手を叩いて応援してくれる。  くすっ、すっかり目覚めちゃったみたいだな。  可愛い応援を受けて、僕も楽しい気分になるよ。    するとお母さんが、廊下から顔を覗かせた。 「あらあら……おねしょ? 」 「あっおはようございます。起こしてしまって、ごめんなさい」 「いいのよ。あら……今度は重曹を使うといいわよ」 「重曹ですか」 「重曹は脱臭、吸湿効果があるのよ。臭い物質を中和してくれるから、無臭に近くなっていいわよ。だからおもらしに気づいたら、すぐに重曹をおねしょ部分にたっぷりとふりかけるの。そうするとおしっこが吸収されるのよ」  重曹か……はじめて聞く『おねしょへの対処方』だった。 「それでね重曹が乾いたら掃除機で吸い取るのよ。おしっこの匂いも水分も結構取れるから、今度試してみて」 「便利ですね。知りませんでした」 「ふふ、重曹は買っておくと便利よ。他にも色々使えるから」 「あの……他には何に?」 「汚れや茶しぶの掃除に、靴などの防臭。お掃除など……いろんな用途に活用できるのよ。そうだな。うちの買い置きを持っていくといいわ」 「嬉しいです。ありがとうございます」  お母さんと、こんな風に家事のノウハウを話すのは初めてで、少し照れくさい。僕……お嫁さんみたいだ。でも、いろいろ聞いておきたいと思った。 「ねぇ、瑞樹くんと、こんな話を出来るなんて不思議ね」 「僕も今、そう思っていました」 「芽生のおねしょに気づいてくれてありがとうね。もう瑞樹くんは芽生に対して母性に似た感情を持ってくれているのね。本当にあなたに芽生を預けるの、安心できるわ」  『母性』のようなものか。  二人の息子を育てあげたお母さんに確信を持って言われると、やっぱり嬉しかった。 「母親って不思議よね。子供の小さな変化にも過敏に気づいてしまうのよね。そうそう、宗吾も小さい時よくおねしょしていたのよ。その度に今日のあなた達みたいに、お風呂場でこっそり洗ってやったわ」 「えっ、宗吾さんがですか」 「小学校3ー4年生まではしていたかしら」 「えぇ? それ意外です」 「あの子、あぁ見えてもいろいろしでかしているわ。おいおい教えてあげるわね」 「期待しています!」  それ、初耳だ。  あの宗吾さんがおねしょ? 想像したら、微笑ましい! 「さぁもう夜が明けるわ。お布団は天日干しが一番よ。シーツやパジャマは洗濯機で洗いましょう」 「僕がやりますので、お母さんは座っていて下さい」 「ボクもてつだうよー」 「うん、じゃあ一緒にやろうね」 「うん。おにいちゃん、ありがとう」  布団類を干し終わると、やっと一息付けた。 「おつかれさま。朝から大変だったわね。さぁ牛乳でも飲んで」 「はい、ありがとうございます」  縁側に芽生くんと腰掛け、朝日を浴びながら牛乳をゴクゴクと飲んだ。  朝から蝉の泣き声が響いていて、じわりと汗が流れる。  僕の目の前には、心の籠った美しい日本庭園が広がっている。  いい朝だ。 「おーい、瑞樹、ここにいたのか。起きたら隣にいないから驚いたぞ! 」  宗吾さんが焦った様子で、階段をドタバタ降りて来た。 「パパーおはよう!」 「芽生も起きていたのか」 「うん、はやおきしたよ」  宗吾さんは芽生くんの姿を見て、目を見開いた。 「そうか、んんんん? そのシャツっ」 「えへへ、おにーちゃんの♡」 「おいっ」  うわ、なんだかゾクっとした。 (まさか僕のシャツを着たがったりはしませんよね? 破けちゃうかも……伸びちゃうかも……だから、絶対ダメですよ!)  心の中で叫ぶと、宗吾さんは不敵に笑った。 「その逆だ。今度また俺のシャツ着せるから覚悟しとけよ!」  

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