440 / 1741

心の秋映え 10

 結婚式の夜。  広樹兄さんはみっちゃんと挙式をあげたホテルに泊まるので、今日は帰って来ない。  僕は潤と母さんと、居間で日本茶を飲んでいた。 「あーなんか変な感じだな。いつも真ん中にいる兄貴がいないのは」 「うん、僕もそう思う」  少しだけしんみりとした夜だった。 「明日から、ここに同居するんだよね」 「そうなのよ。新婚さんのうちは外に部屋を借りたらって言ったのに」 「兄さんらしいね。前に言った通り、僕の部屋を使ってもらっていいよ」 「本当にいいの?」 「うん、その方が嬉しいよ」  本心だった。  あの部屋をただ眠らせて置くのではなく、毎日新鮮な空気を入れて生かして欲しい。 「二階は二間しかないでしょう。広樹が潤と使っていた部屋だけじゃ、手狭だと思っていたの。だから瑞樹の部屋を空けくれるのなら助かるわ」 「うん。その……兄さんたちの寝室にするといいかも」 「そうね。じゃあ早速、広樹に提案してみるわね」  そこで僕のスマホが鳴った。  あっ、東京にいる宗吾さんからだ。 「もしもし!」 「おにいちゃん~ボクだよ」 「芽生くん!」  弾んだ声が、鈴の音のように可愛らしい。つい頬が緩んでしまうよ。 「えへへ、もうねるんだ。でも、おにいちゃんにおやすみなさいをいいたくて」 「ありがとう! 芽生くん、おやすみなさい。明日は僕が空港まで迎えに行くからね」 「うん! ちゃーんとパパをつれていきます」 「くすっ」  芽生くんのお兄さんぶった声が、擽ったいな。 「そうごさんは?」 「パパー おにいちゃんからですよぉ。いまねぇひとりでビールのんでるよぉ」 「あっ瑞樹か」 「くすっ宗吾さん! すみません……空港から短い電話をしたきりで」 「いやいい。広樹が迎えに来て盛り上がったんだろう」  ちょっと拗ねた物言いが、宗吾さんらしい。  宗吾さんらしくて、ホッとするな。 「明日は僕が空港まで迎えに行きますね」 「嬉しいよ。なぁさっきから考えていたのだが、俺たち何だか『遠距離恋愛中』みたいだな」 「今日の朝、別れたばかりなのに?」 「君が隣にいるのが当たり前になり過ぎて、いないと変な感じだよ」 「あ……僕もです!僕もそう思います」  いつの間にか僕の居場所はここではなく東京に、宗吾さんの隣へと移っていた。  だからこの家は広樹兄さんとみっちゃんの新居として、お母さんと同居する新しい家に生まれ変わることを、心から祝福できた。  人って……誰もがこんな風に親元から巣立っていくのかな。  こんな風に繰り返され受け継がれていくのかな。 「今日は大丈夫だったか。なぁ沢山泣いた?」  優しく問われたので、素直に答えた。 「あ……はい。でも母さんの方がもっと泣いちゃって」 「親とはそういうものなのだろうな……」 「あの……僕たちもいつか芽生くんの結婚式に参列したらそうなるのでしょうか」  急に遠い未来の事に思いを馳せてしまった。 「おいおい、随分先の話をするんだな。それはまだ当分先だよ。芽生はこれから難しい年頃になっていくから、まずは瑞樹と二人三脚で乗り越えないとな」 「そうですね」 「じゃあ明日は朝早いからそろそろ寝るよ」 「はい! お休みなさい」  電話を切ると、潤と目があった。 「何?」 「いや、兄さんたちの会話っていいな」 「そうかな? ありきたりの会話だよ?」 「それがいい。兄さんは昔は……必要以上の事を話さなかっただろう。だけど今は違うんだな。他愛もない話を、とても幸せそうにする。それがいいと思ったよ」  確かに宗吾さんとは、いつもこんな感じで、明るく会話できる。  僕の心に貯めるよりも、ちゃんと話して伝えたくなる人なんだ。きっと宗吾さん自身がいつもそうしてくれるからだ。  優しく降り注ぐ愛情を、僕も宗吾さんに返したい。 「そうかな」 「なぁ……オレともそんな風に話してくれよ」 「う、うん?」 ****  その晩、広樹兄さんの部屋で、潤と二人で枕を並べて眠った。  去年まではこんな光景、絶対に考えられなかった。何故なら僕が潤を恐れていたから。  目を閉じて当時の事を思い浮かべるが、もう記憶は朧げになっていた。 「なんだかもう……いろいろ遠い昔のようだよ」 「だが兄さんに俺がしたことは消えない過去だろう。消してしまいたい過去でもあるはずだ」    潤はどうやら深い悔恨に包まれているようで布団の上で握った拳がぷるぷると震えていたので、僕はそっと手を伸ばし、固く握った手を解いてあげた。 「じゅーん。もうそんなに自分を責めるなよ、なっ」  口にして思い出した。  この家にやってきた頃、潤のことを『じゅーん』と呼んでいた時期があった。僕が夏樹と間違える前までは、僕を素直に慕ってくれていたので、僕も「じゅーん」と呼び、兄の愛を注いでいた。  昔……こんな風に枕を並べて眠ったよね。  じゅーん……  あぁそうか……今の僕は、あの頃に戻った気分だ。 「にーちゃん……」  潤は手の甲で目元を隠していたが、その奥には光るものがあった。 「じゅーん、どうした?」 「にーちゃん。あの日に戻りたいよ」 「馬鹿だなぁ……僕は今の潤が好きだよ! もっと今の自分に自信を持って欲しいな」 「……兄さん」 「ん?」 「俺を許してくれてありがとう」 「前も話したと思うけど……潤が変わってくれたから、僕も変われた」  僕の手を潤が握りしめた。  遠い昔、こうやって寝かしつけたことがあったね。  兄と弟だよ、僕らはずっと……  一足先に函館に来たお陰で、様々な気持ちにじっくり触れられた。  宗吾さん、僕には弟がいます。  可愛い弟が……  兄がいます。  カッコいい兄が……  そして母もいます。  優しい母が……  あの頃は頑なに隠していた故郷の家族は、今の僕にとって大切な家族です。

ともだちにシェアしよう!