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心の秋映え 11
「瑞樹、空港まで迎えに行くんでしょう?」
「はい。あの、ここに一度寄ってもらってもいいですか」
「そんなの当たり前じゃない。宗吾さんにも芽生くんにも、会いたいわ」
「ありがとう! 母さん」
「嬉しそうな顔ね、みーずき」
玄関先まで見送ってくれた母さんが、僕の髪を優しい仕草で撫でてくれた。
「ふふっ、相変わらずの猫っ毛ね。寝癖直さないと、笑われてしまうわよ」
「あ、はい」
こんな風に息子らしく扱ってもらうのは照れ臭いけれども、嬉しい。
胸の奥が、擽ったい。
「兄さん、オレが運転しようか」
「いや大丈夫だよ。こう見えても都会で社用車を運転しているしね」
「……でも心配だ」
「……潤は店の開店準備を手伝って。今日は広樹兄さんがいないから、母さんひとりじゃ大変だよ。僕も出来る所まではやったけど」
「そうだな。了解!」
空港までは車で20分程度だ。
一人でも大丈夫と言ったが函館市内をひとりで行動するのは、久しぶりなので緊張する。
……アイツはもうここにはいない。だから大丈夫。
それに僕は今、車の中だ。
そう思うがハンドルを握りしめる手が、汗に濡れてしまった。
しかも大きな建設現場前で、信号にひっかかった。
嫌な予感がして見てはいけないと思うのに、つい横目でちらりと見てしまい、ひっと悲鳴を上げそうになった。
たかが現場を囲う養生ネットに印刷された会社のマークだ。それでもあの印を見るだけで、心臓が嫌な動きをする。
あの日あいつのスーツの胸元についていた社章と同じだ。
お、落ち着け、瑞樹。
深呼吸……そうだ……深呼吸をしよう。
僕はもうアイツに捕まらない所まで、飛び立っている。
大きく――空へ。
あの日洋くんによって解放された気持ちは、宗吾さんの愛と絡まって、誰にも触れられない所まで昇っている。
自信を持とう。
やがて信号が青になる。
進めの合図《サイン》を受けて、僕は過去を振り切るようにアクセルを踏み込んだ。
行こう!
宗吾さんと芽生くん、僕の大切な家族の元に――
僕の光を目指して。
明確な行き先があるから、迷わない。
怖くない。
****
「パパ~おしっこぉ」
「え? 乗る前に行ったばかりじゃないか。降りるまで我慢出来ないのか」
「……でも……ぐすっ……そんな……がまんできない。も、もれちゃうよ」
「あー分かった分かった」
飛行機でシートベルサインが消えるやいなや、芽生がトイレに行きたがった。貴重品を持って一緒に向かうが、狭い機内だし、身長差のある子供の手を引いて歩くのは、思いの外大変だった。
こういう細かいケア……俺はいつも瑞樹に任せきりだったなと反省してしまうよ。
「ほら、ここで待ってるから行ってこい」
「えーパパ、こわいよぉ。いっしょにはいって」
「だが狭くてな」
「でもぉ」
「……分かったよ」
あぁまた反省だ。機内のトイレは鍵の開け閉めが幼稚園児にはまだ難しいだろう。親が付き添うのが当然なのに、面倒臭がってしまった自分に猛反省だ。
あー駄目だー!
瑞樹がちょっといないだけで、俺はすぐにこんなになってしまうよ。
用を足している芽生の様子を伺うと、飛行機の揺れで足元や手元がおぼつかない。
「あっ!」
支えた方がいいのか……迷っている間に、目標を失って周りを濡らしてしまった。
「あ……えっと」
芽生が不安そうに、俺を見上げてくる。
怒らないように怒らないように、ふーふーと気を静め、ティッシュで濡れた床を無言で拭いた。
「パパ……ごめんなさい」
しょぼんとした芽生の様子に、俺も流石に大人げなかったと反省だ。
「気にするなって、失敗は誰にでもあるさ」
「う、うん」
トイレから出ると、客室乗務員に『お客様、お子様連れでしたら、あちらに多機能トイレがありますので』と教えてもらい、なるほどなぁと、またまた反省した。
機内ではドリンクサービスがあったので、芽生はリンゴジュースをもらった。カップにストローをさしてもらったが、溢さないか常に気を配って神経をすり減らした。
いつもなら熱い珈琲を飲みながら優雅に雑誌を読んで、音楽を聴いて……
これもまた瑞樹に任せきりで、おれは胡座をかいていたと反省だ。
俺っていつも瑞樹ひとりに、こんなに負担をかけていたのか。
今、傍にいないから、気付いてしまった。
彼はいつも率先して芽生の世話を焼いてくれる。実の弟を芽生と同じ年頃で亡くしたこともあり、出来なかった事をしてあげられるのが嬉しいと、いつも花のように清楚に笑ってくれる。
俺も君のそんな笑顔が見たくて、つい丸投げしてしまっていた。
『まもなくシートベルト着用のサインが点灯します……化粧室をご利用のお客様は……』
「パパ~」
「なんだ?」
「うんっとね……」
芽生がもじもじ何かを言い足そうにしている。こんな時察しがいい瑞樹ならあっという間に芽生が言いたい事、伝えたい事を見つけてくれるのに、俺はパッと浮かばない。
「何だ? はっきり言えよ。男だろう」
「う……もういっかい、おしっこぉ……」
「えっまた?」
「……グスっ」
「分かったから泣くな。今度は広いトイレに行こう。さぁ早くしろ」
急かすように用を足させ、よろよろと戻ってきた。
3人掛けの席だったので、隣のサラリーマンにも気を遣うし、1時間半ほどのフライトだったのに、函館に到着した頃には、げっそりとやつれていた。
「パパ、おにいちゃんにもうすぐ会えるね」
「あぁ早く会いたいな」
「うん!!!!」
芽生の声も、いつもの倍、大きかった。
瑞樹、瑞樹……早く君に会いたい。 切実に!
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