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恋満ちる 19

 秋の行楽シーズン。  箱根湯本から乗り換えた登山電車は、満員電車並の混雑で驚いた。 「わっ、随分、混んでいるんだな」 「葉山、こっちこっち」 「う、うん」  菅野に腕を掴まれて中に潜り込むが、前後左右の人に押し潰されそうだ。 「大丈夫か」 「うん……なんとか」 「……葉山は細っこいから、辛そうだな」 「大丈夫だよ。僕も男だし」  とは言ったものの……函館から出て来て10年、通勤時の満員電車には流石に慣れたが、乗り慣れない電車の混雑には、げんなりしてしまう。しかも登山電車は初乗車なので、乗り心地も分からないし不安だ。 「わっ!」  箱根湯本駅を出発すると、すぐに急勾配を登り始め、躰がグラっと斜めになったので、思わず菅野の腕に掴まってしまった。(これって宗吾さんに怒られるヤツ? でも菅野だったら、大丈夫だろう) 「ご、ごめん。結構、揺れるな」 「ははっ、葉山は乗るの初めてか。いきなりガッツリ登っている感じで面白いだろう」 「そ、そうだね」 「塔ノ沢駅を通過してトンネルを二つ抜けると、箱根登山電車最大の見所、出山の鉄橋を渡るんだぜ。かなりの絶景だから、楽しみにしていろよ」 「う……うん」  山から山へとかかる細い鉄橋は、まるで電車が浮いているみたいな浮遊感で、ゾクゾクとした。僕は高所恐怖症気味だから怖い! とは、言いだせなかったが。  大平台駅という駅を挟んで電車は3回スイッチバックした。その都度進行方向が変わるので、運転士が車両の端から端まで歩いて移動するのは面白かったが、僕は行ったり来たりする視界に目が慣れなくて、ひどく疲れてしまった。  急カーブ、急勾配の連続だ。こんなにハードな電車だったなんて。  途中の宮ノ下という駅で人が沢山下りてくれたので、ようやくホッと出来た。 「葉山先輩、こっちこっち、ここ、どうぞ! 」    そのタイミングで、金森鉄平に大声で呼ばれて困ってしまった。座席が空いたので座れのジェスチャーだ。 「だ、大丈夫だよ」 「いや、大事な躰ですから! 休めておかないと」  大事って……そんなこと言うなよ。あぁ周りの人にじろじろと見られて恥ずかしい。 「いいから、いいから」 「……葉山、そうだな。少し座っておけよ。顔色、悪いぞ」 「う、そうかな」 「あぁ座れ」  菅野にまで心配されて、結局、金森鉄平の横にちょこんと座ることになってしまい、居た堪れない。 「葉山先輩って、混雑とか極端に高い場所とか、苦手そうですね」 「……どうして分かる? 」 「やっぱり! 俺、見守ることにしたんです。そうしたら色々見えてきました!」 「は? 何が」 「葉山先輩が、『かなり可愛い』ってこと!! 」 「は? 」    その瞬間、ペシッと乾いた音がした。僕たちの前に立つ菅野が、金森の頭を叩いていた。 「お前なぁーまた間違ってんぞ。進む方向が!! 」 「えーだって、菅野先輩が葉山先輩を大切にしろって言うから~実践しているだけですよぅ」  金森鉄平の無鉄砲さが、変な方向に向かないといいが……また心配が募ってきたよ。  うう……いずれにせよ電車の中でする会話ではないだろう。  僕は俯いたまま、耳朶まで赤く染める羽目になった。  居たたまれなくて、変な汗まで出てくるよ。  そこで鞄からハンカチを出し額を拭くと、金森とバッチリ目があった。 「今度は、何? 」 「いや、タオルハンカチに名前を書くって、子供みたいで、可愛いなって」 「えぇっ! 」  僕は書いた記憶がないのに、なんで? 誰が、いつの間に? *** 「パパ! あそぼう! 」 「うーん、ちょっと待ってな。パパさ、実はまだ眠いんだ」 「うー、つまんないな。じゃあひとりで、おえかきしてるよ 」  瑞樹が行ってしまい、気が抜けた俺は、ソファで休養中だ。  昨日瑞樹を遅くまで寝かさなかったのを、今になって申し訳なく思う。  今頃、疲れが出ていないといいが……  だが、半分は君にも責任があるんだぜ。  昨夜……本当は君の躰に、キスマークをつけまくりたかった。 だが俺はぐっと我慢した。社員旅行では温泉に入ると言うし、変な場所に痕をつけていたら、それこそ噂の的になるだろう。  だから舌先で痕をつけないように慎重に辿っていたら、君がいつもより感じまくるから、止まらなかったのだ。  可愛かったな……いつもと違う反応、いつもと違う感じ方だった。

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