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聖なる夜に 1
函館、葉山生花店。
「ヒロくん、どうしたの? 朝からなんだかそわそわしているし、元気もないわね」
「みっちゃん、ごめん。それは俺がやるよ」
いかん、いかん。無意識に、花の水揚げ作業の手が停まっていた。
電話の横に置いてある卓上カレンダーの11月の『11』という数字が目に入った途端、去年を思い出してブルーになるとか、俺らしくないぞ。
あの辛い事件の当事者……瑞樹は、今は東京で元気に楽しく暮らしている。もう大丈夫だ。俺が出る幕はない。すべて宗吾に任せた。
1年前の惨劇を思い起こせば、よく瑞樹がここまで立ち直れたと思う。宗吾と芽生くんと暮らす日々が、瑞樹を勇気づけているのだ。
「みっちゃん、ちょっと電話してもいいか」
「くすっ、東京の瑞樹くんに?」
「うん、ブラコンでごめん」
「いいって! 私には遠慮しないで……だって……今日だもんね」
みっちゃんは、1年前、瑞樹の身に何が起きたか理解してくれている。だから俺の複雑な心境に寄り添ってくれるのが、ありがたい。
彼女とは9月に結婚してまだ2か月足らずの新婚生活だが、長年の付き合いなので、とても和やかな日常を過ごしている。
ハロウィンとクリスマスに挟まれた11月は、花屋にとって少し閑散期だ。だから去年は休みを取って、旅行がてら大沼に墓参りに行こうと企画したんだよな。とにかく今日であれから丸一年……どうしても瑞樹の元気な声を聴きたくて、東京に電話した。
「もしもし、滝沢ですが」
「函館の広樹だ」
「おぅ!……今日は……きっと、電話をしてくると思っていたよ」
「……瑞樹はいるか」
「あー悪い。今、ちょうどシャワーを浴びている」
「えっ、朝から?」
「まぁな。あがったら電話させるよ」
「あぁ、分かった」
休日の朝からシャワー? 受話器を置いて赤面してしまった。相変わらずのふたりの熱々な様子に、こちらが照れてしまうし、新婚の俺も負けていられないなと、苦笑してしまった。
「ねぇねぇ、ヒロくん、ちょっといいかな」
「みっちゃん、どうかした?」
****
昨夜は夜更け過ぎまで、宗吾さんと身体を重ね、なかなか寝かせてもらえなかったので、最後は何も考える間もなく撃沈した。
そんな理由で……土曜日の朝、僕だけ寝坊してしまった。
「あの……おはようございます。すみません。僕、すっかり寝坊してしまいました」
「おはよー! おにいちゃん」
「いいんだよ。今日は幼稚園もないし、何も予定がないから、家でゆっくりしよう」
「あ、はい。えっと、じゃあ……シャワーを浴びても?」
「お、おう!」
僕と宗吾さんは、散々躰を重ねているというのに、朝になると、いつも照れ臭くなってしまう。
相変わらず、いつまで経っても新鮮で初々しいままだ。
意識を飛ばすように眠ってしまったので、宗吾さんにざっと後処理をしてもらったようだが、やはりシャワーを浴びたくなった。温かい湯を滝のように浴びて、ようやく目が覚めた。
そこで……風呂場の鏡に映った自分の上半身に、ギョッとした。
「わ……ここも、ここにも……今日は芽生くんとお風呂に入れないよ」
昨夜は珍しく宗吾さんに沢山キスマークをつけられた。いや、求めたのは僕の方だ。身体中につけて欲しいと。
僕は、今日が何の日だか……知っている。ちょうど1年前の今日が、函館に飛び立てなかった日だ。
自由を奪われた日……だった。
あの日我が身に起きたことは、正直に話すと小さな棘となって、たまに僕の心をチクリと刺激することがある。直近では朝の電車で見知らぬ男性に声をかけられ、腕を掴まれた時だ。菅野が助けてくれたので事なきを得たが、あのままだったら、駅で倒れていただろう。
その位、僕は見知らぬ男性に暴力的に扱われるのが、今でも怖い。
今はもう、こんなにも満ち足りた幸せな日々を過ごしているのに、心の奥底に苛む記憶を抱えている。
だから……今日を迎えるのは本当は怖くて、宗吾さんに起き上がれない程、抱き潰してもらった。あいつに辿られた躰を思い出したくなくて、宗吾さんの印で肌を埋めてもらった。
全部、僕が望んだ。
今の僕には……
僕を愛してくれる人がいる。
僕が愛する人がいる。
支え合っているから、大丈夫だ。
今日という日を、ちゃんと乗り越え、そして12月を迎える。
去年は離れ離れで迎えたクリスマスを、今年は芽生くんも含め、家族で迎えたい。
明日に希望があるって、すごい……
辛いことを振り切ってでも、前に進みたくなるから!
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