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聖なる夜に 29

 サンタクロースの衣装も、着てみれば悪くない。  量販店で勢いで買った瞬間の、何かが弾けた気持ちが蘇ってきた。  あれは先週の頭のことだった。懇意にしている法律事務所の忘年会に招かれた。少し遅れて到着すると、忘年会の座敷は貸し切りで、若手社員が余興でサンタクロースの衣装で『恋人がサンタクロース』という歌を、踊りながら熱唱していた。  その様子を見た同僚は、銀縁の眼鏡をつり上げて、肩を竦めた。 「やれやれ……滝沢先生、こんな余興は、くだらないですよね。騒音でしかない」 「……いや、そうでもない。なかなか皆、楽しそうだ」 「え! 一体どういう風の吹き回しですか。去年までは一緒に冷めた目で、退屈そうだったのに」 「いや、誰かを楽しませる存在になるというのは、大変重要な任務だ」 「任務……って?」  脳裏に浮かんだのは、甥っ子、芽生の笑顔。それから弟の恋人の瑞樹くんの恥ずかしそうな笑顔だった。  彼らは知れば知るほど……人間として好きになる不思議な存在だ。  法律や憲法が、ずっと俺の道標だったが……ままならないことがあった。それは俺たちになかなか子供が授からないということ。こればかりは、どんなに難問が解けても、解けない問題で、美智との夫婦関係においても意見の食い違いで溝が入る程に深刻だった。  そんな私の堅苦しい頭を解してくれたのは、芽生の無邪気さ、瑞樹くんのひたむきさだった。  彼らに、私は人間らしい思いやりの大切さ。相手に寄り添う心のゆとりを教えてもらった。  私に、何が返せるだろうか。いや、返すのではない。私も何か贈ってみたい。  初めてだ……こんな感情は。甥っ子が生まれたと聞いても少しも心が動かなかった私が、自分の行動で、彼らを喜ばせたいと思うなんて。 「君、その衣装はどこで買ったのだ?」 「え、これですか。そこらへんの量販店でいくらでも売っていますが」 「そうなのか」  忘年会の帰り道、珍しくほろ酔い気分になれた私は、真っ赤な衣装を購入して帰宅した。 「憲吾さん、お帰りなさい」 「あぁ」 「あら? 一体何を持っているの?」 「今年はサンタになろうと思ってな」 「えっ!」 「来年には私も父親だ。その……練習しておこうと思って」  美智には、なんでもお見通しだ。 「くすっ、芽生くんにクリスマスプレゼントを贈りたくなったのね。瑞樹くんや宗吾さんにも」 「……うむ、彼らの笑顔が見たくてな」 「明日、一緒に選びにいきましょうよ。サンタさんの白い袋に入れるプレゼントを」  小さい子供への贈り物なんて、見当もつかなかったが、美智は流石だ。  翌日、早速、駅前のショッピングセンターに連れて行かれた。 「憲吾さん、せっかくだからボリュームのある物にしましょうよ。サンタさんの持っている白い袋がパンパンになるほどの」 「何がいいんだ? 私にはさっぱり分からんぞ」 「ここよ、このお店の部屋着がもこもこで可愛いって、若い子のインスタで話題だったの」 「お前は……気が若いな」 「うふふ」  それはうさぎの耳やクマの耳がついた部屋着だった。確かに、芽生や瑞樹くんには、こういうモコモコ優しいものが似合いそうだ。 「なかなか、可愛いな」 「ねぇ、いっそ3人お揃いはどうかな」 「いいな。特にウサギが可愛い」  頭の中では、真っ白なウサギが跳びはねていた。芽生と瑞樹くんが仲良く手を繋いで……。それは、今まで描いたこともない娯楽番組のようにカラフルな映像だった。 「んー、でも男物はクマしかないわ」 「いや……瑞樹くんは、絶対にうさぎがいい」 「んーじゃあ、荒技にでようか」 「ん?」  そんなわけで、瑞樹くんと芽生には、お揃いの白ウサギだ。宗吾には狼かと思ったが、そんな野蛮な部屋着は売っていなかった。当たり前か。これはあくまで部屋着なのだから。  サンタクロースの衣装のままソファで寛いでいると、母さんにしみじみと話しかけられた。 「しかし、憲吾、あなたのその格好……意外だったわ」 「変ですか。母さん」 「いいえ、思い出すわ。あなたのお父さんのことを」 「え? 父さんのこと?」 「そうよ。あの人も堅苦しい頭の持ち主だったけど、あなたたちが小さい頃に、サンタクロースの格好をしてくれたのよ」 「全然、覚えていないが」 「あなたたちが小さい時のことですもの」 「そうか……」  羽目を外すのなんて、今までは馬鹿馬鹿しいと思っていた。だが、そうではないのだな。実に有意義な時間の使い方だ。    いつも職業柄、緊張感を持たねばならず、真面目で神妙な顔ばかりしているので、知らないうちにストレスが溜まっていたのかもしれない。  クリスマスくらい、幼い子と接する時くらい、内輪で寛ぐ時くらい、心を緩めよう。表情を緩めよう。節度を保ちながら羽目を外せば、いいストレス発散になりそうだ。 「真面目だけでは、面白くないんですね。バランスよく取ってこそ、いい塩梅ですね。私はそんな父親になりたいですよ」 「……それでいいわ。あなたに新しい考えが芽生えて、母さんも嬉しいわ。あなたも来年には、いい父親になれるわよ」  母にしみじみと言われて、待ち遠しくなった。  私にとっての子育ての先輩は、宗吾と瑞樹くんだ。  いい気分だ、今日はとても……。  やがて扉が開くと、灰色のクマと白いウサギが仲良く入ってきた。 「瑞樹を連れて帰ってきましたよ」 「あの、さっきはすみません」 「くすっ、機嫌は直った?」 「あ、はい」  頬を染める瑞樹くんの顔が、ウサギのフードの埋もれて可愛らしかった。こうなると欲が出てくる。 「なぁ……芽生。オジサンに、それを着せてみせてくれないか」 「いいよ! ボクもそうしたかったんだ!」

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