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気持ちも新たに 8

 芽生……今日は母さんに任せてしまったが、大丈夫だったか。  玲子とは瑞樹のことを含め、互いに和解しているが、玲子の両親には俺は疎まれたままなので、近寄り難かった。  くそっ、情けないよな。  離婚は自分で蒔いた種なのに、母に肝心な事を任せてしまうなんてさ。いつだって芽生の父親らしく、男らしくありたいと思うのに、肝心な所で動けない自分が腹立たしい。  母の家に芽生を迎えに行くため、重たい足取りで歩いていると、後ろからトントンと背中を優しく叩かれた。 「ん?」  振り向くと瑞樹だった。 「宗吾さんも、今お帰りですか」 「あぁ、君もか」 「はい!」  俺たちは、そのまま自然と肩を並べて歩き出した。  今日ここで瑞樹と会えてよかった。実は、どんな顔で母さんと芽生に会えばいいのか分からなかったから。 「……花の香りが濃いな」 「あ、すみません」 「謝ることじゃないだろう。良い香りだ」 「……はい」  瑞樹の身体からは、いつもよりしっかりと優しい花の香りが漂ってきたので、心が和み、足取りも幾分軽くなった。 「この香りはバラか」 「あ、はい。正解です。宗吾さん、すごいですね」 「はは。君がいつもいろんな花の香りを纏って帰ってくるのが興味深くてな」 「えっ、参ったな。そんなに匂います?」  瑞樹は手元を鼻にあてて、くんくんと嗅いでいた。その様子が可愛くて、彼の柔らかな髪をくしゃっと撫でてやった。 「良い匂いだから、そのままでいい」  そういえば俺……草花になんて興味なかったくせに、いつからだろう?   そうだ、芽生とふたりで暮らすようになってからだ。道端の草に足を止める芽生に付き合ううちに興味が出てきて……原っぱでシロツメクサの指輪を作ってくれと言われた時は、ネットで作り方を検索したよな。だが動画の通りにやっても上手にできなくて、苦労した。  そのうち芽生の方が上手に出来るようになって、逆に俺が教えてもらったのが君と出会ったあの日だった。 「そういえば、今日は君は店舗の手伝いだったな。昨日の今日で立ち仕事は大変だったんじゃないか。その……腰は大丈夫か」 「くすっ、少しだけ……でもそれ以上に良いことがあったので、忘れていました。でも……宗吾さんは、少し元気がないですね」  やっぱりお見通しか。瑞樹は繊細な男で、人の感情を読むのが得意だ。生まれ持った彼の性格に加えて、切ない境遇が影響しているのだろう。  だからなのか。俺もこんな時は、無性に君に甘えたくなるよ。いつの間にか、俺も君に弱みを見せられるようになっていた。 「実は……今日、芽生が玲子の実家に行ったんだ。朝、玲子から電話があって……向こうの親が迎えに来たようで。芽生を一人で行かせて大丈夫なのか、心配だったのに、俺……玲子の実家には行き難くて何も出来なくて母さんに対応を任せてしまった。情けないよな……こんなの」  俺の情け無い話に、瑞樹は静かに耳を傾けてくれた。 「……宗吾さん、どうか心配しないで下さい。芽生くんはお母さんと一緒に向かいましたよ」 「そうなのか! じゃさ母さんも一緒に行ってくれたのか。よかったよ」 「はい、憲吾さんの運転で送ってもらって」 「兄さんが? すごいな。朝は雪が残っていたから、足下が心配だったから……ん? でも君が何故それを?」  不思議な話だった。俺と同じように今帰り道の瑞樹が、どうしてそこまで詳しく知っているのか。 「……えっと、それはですね……僕も玲子さんの実家に行って来たからです」 「えぇ! ど、どうしてだ?」  話が見えなくて、かなり動揺してしまった。 「話せば長くなりますが……僕も少しは宗吾さんと芽生くんの役に立てたようですよ」    瑞樹はうっすら頬を染め……満足そうな表情で、冬の凍てついた夜空を見上げた。  寒い夜風に吹かれているのに、瑞樹の心は高揚しているようだった。  いい顔をしているな。今日どんな良いことがあったのか早く教えて欲しい。瑞樹が何を話してくれるのか待ち遠しいよ。 「あの、実は……玲子さんの産んだ赤ちゃんに、花を届ける機会に恵まれました」 「な、なんでだ?」 「……芽生くんの希望で、僕に作って欲しいと……僕が玲子さんの赤ちゃんを見られる機会なんて、一生来ないと思っていたので驚きました」  あぁ、そうか……瑞樹は前向きになっているのだ。  以前の瑞樹だったら、こんな風には捉えられなかっただろう。  だが、やはり……まだ心配だ。 「芽生がそんなことを? だが、それは君にとって複雑なことでは? また俺のことで負担をかけたのでは?」 「いえ、確かに最初は少し心配でしたが……それ以上に、良い機会に恵まれたことに感謝しています」  瑞樹は強くなった。よい水を得て、しっかり根を張りだした。 「頼もしいな」 「いえ……芽生くんが頑張ったんです。かっこよかったです。きっと将来、宗吾さんみたいにおおらかで優しい人になりますね」 「そうか」 「でも……やっぱり無理もしたと思います。だから僕たちの家に帰ったら、沢山甘えて欲しいですね」 「そうだな」  瑞樹と話しながら歩いていると、あっという間に、実家に着いた。  玄関の外灯が、橙色に灯っている。  換気口から漂ってくる美味しそうな匂いに、俺の心もすっかり凪いでいた。  だから勢いよく、元気よく玄関で叫んだ。 「母さん、芽生、ただいま!」  がんばった息子に早く会いたくて。  

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