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白銀の世界に羽ばたこう 1

 雪国のイングリッシュガーデンの営業は10月末までだったが、それ以降も仕事は山ほどあった。越冬のための剪定や来シーズンの企画会議など、慌ただしい日々であっという間に年末を迎えていた。  いよいよ明日からは、年末年始休みだ。  そんな訳で仕事納めの後、庭師スタッフによる大宴会だった。  庭師メンバーの中でも一番下っ端のオレが、飲み干したビール瓶や食い散らかした皿を片付けていると、背後から声を掛けられた。 「潤、お疲れさん」 「あ、北野さん!」  北野英司(きたのえいじ)さんは、空間プロデュースの会社を経営している人で、この『軽井沢イングリッシュガーデン』のレストランや売店の内装デザイン、シーズン毎に開催されるイベントコンセプトの企画・提案までしてくれるマルチな人だ。  ハロウィンイベント時に手伝いをした縁で、可愛がってもらっている。 「明日から休みだな。お前も帰省すんのか」 「いえ、オレは居残りです」  庭師は全国から集まった集団で、皆、流石にこの時期は帰省したいようだ。オレは一番若いし、母親も兄貴も元気だから帰らなくても問題はない。っていうか、今年はもう連休に帰って資金不足だ。年末年始の飛行機代って、何であんなに高いんだ? 「お前んち、どこだっけ?」 「函館ですよ」 「うわっ、遠いな」 「まぁ……」 「寂しくないのか。まだ若いし、家や親が恋しくなる頃だろう?」 「いえ、2月に兄一家がこっちに遊びに来てくれるので、大丈夫です」 「へぇ、初耳だぞ。兄弟仲がいいんだな」 「はい!」  そこは強く強く答えるところだ。 「でも流石に正月に一人は寂しいな。そうだ! 俺んちに来いよ」 「え? 北野さんちに?」 「ちょうど友人も泊まりに来るから、ひとり増えても構わない」 「で、でも……北野さんって、結婚してますよね」 「それが何か不都合か」 「……ご迷惑じゃないですか」 「お前ってさぁ、見かけ倒しだな。つっぱっている風なのに、そんなにビクビクすんなよ。俺に遠慮すんな。よし、大晦日に、絶対来いよ。正月はうちで面倒を見てやる」  北野さんに言われたことは、図星だった。  オレはビクビクしている……人との距離が掴めなくて。  去年、何も考えないで軽はずみに行動したことが、あの忌ま忌ましい大事件のきっかけを作ってしまった。兄さんをあんな目に遭わせてしまったのは、どう考えてもオレだ。何度考えても消えない事実だ。兄さんは許してくれたが……まだ兄さんの心の奥底で、消えない傷となってくすぶっているはずだ。それを思えば、悠長に笑ってなんていられない。 「ほら、名刺。ここだぞ、ここ!  雪道、気をつけて来いよ」 「あ……はい」  半ば無理矢理渡された名刺の裏には、北野さんの自宅の住所が書かれていた。 「え? 北野さんって、白馬からわざわざ来ていたんですか」 「軽井沢には事務所があるから、そこで寝泊まりすることもあるが、自宅はそっち。お前、白馬は初めてか」 「はい」 「自然豊かでいいぞ。ここよりもっと雄大だ」 「……でも、オレなんかが正月に家族水入らずの所に遊びに行っても……」 「おい、自分を卑下すんな。遠慮すんなって!」 ****  そんな訳で大晦日の午前中、軽井沢から車を飛ばし2時間。  雪道の運転には慣れているので、問題なく、北野さんの家に到着した。  イングリッシュガーデンに居残るからには、正月休みの間中、花の手入れを引き受ける予定だったが、宴会での会話を聞いていたオーナーが、北野さんと懇意にしているので、『学ぶことも多い人だ。行ってこい。正月休みは白馬で過ごせ』と、背中を押してくれた。 「潤! よしよし、よく来たな。遠慮するなよ。俺の手伝いと子供の遊び相手でもしてくれたら助かる」 「はい! 何でもやります」 「おぅ! 前向きでいいぞ」  頭を撫でられて、照れくさい。   「妻と、息子のトウマとユウマだ。10歳と5歳だ」 「あ……はじめまして。葉山 潤です」 「ジュンくん、よろしくね。うちは来客が多い家だから、いろんな人が出入りするの。だから気ままに過ごしていって」 「あ、はい」  彼は小学生と幼稚園の男の子の父親だった。奥さんも朗らかな人で、初対面のオレを温かく迎えてくれた。それにしても北野さんって案外若いんだな。まだ……30代前半かな? もしかして上の兄貴と対して変わらないのか。 「おーい、悪いが早速、薪割りを手伝ってくれないか。今年は寒くて消費が早かったみたいで、足りなくりそうでな」 「いいっすよ」  ついでに人使いが荒いかも? だが、オレには忙しい位が丁度いい。  ログハウスの裏手には、木材が山積みだ。北野さんは狙った箇所に斧をぴたりと当てて、面白いほど綺麗に薪を割っていく。 「ほら、潤、ぼーっと見てないで、お前もやれよ」  薪割りは慣れていない。最初は覚束なかったが、大工時代の経験が役に立ったのか、次第に良い感じのリズムを掴めてきた。スパッと斧が入る度に、爽快な気分になった。 「飲み込みが早いな。なぁ、気持ちいいだろう」 「はい!」 「なぁ、気になっていたんだが……お前さ、ずっと……何かに悩んでいるだろ?」 「え……」  突然聞かれて、持っていた斧を落としそうになった。 「な……んで、ですか」 「……迷いが見えるんだよ。後悔も……」 「あっ……」  誰にも見破られないと思っていた隠した心だったはずなのに。 「くっ」 「よかったら相談に乗るぜ。職場の人間には話せないことでも、俺になら言ってもいいんだぞ」 「北野さん……」  うわっ、まただ。あの日、白い包帯でぐるぐるに両手巻かれ、傷だらけの顔でベッドに眠る瑞樹がフラッシュバックしてくる。痛々しい兄の姿が、脳裏から離れない。  俺が軽井沢に残ったのは、あの日を忘れないためだ。  俺がした現実を、忘れないため……。 「おい、顔色が悪いぞ。ひとりで……背負い過ぎるな。自分に負けるぞ」  

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