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白銀の世界に飛び立とう 28

 潤と一緒に山頂から斜面をリズムよく滑り降りると、徐々になだらかな傾斜となっていった。中級コースから初級コースに自然と導かれていく。  宗吾さんと芽生くんのいるキッズエリアに、ほぼ一直線に駆けつけられるのが、嬉しいよ。潤がこのコースを選んでくれた理由が分かった。  僕は感覚を研ぎ澄まし、斜面と雪をダイレクトに感じることに専念した。ぐっと集中を高め、右、左と的確に重心を変え……エッジをかけ……板を綺麗に揃えることを意識して、視界を上げていった。  やがてその視界の先に、宗吾さんと芽生くんの姿を捉えた時は、暗いトンネルを抜けたように嬉しかった。 「僕のホームに、戻ってきた」    同時に芽生くんが、僕を呼ぶ声が聞こえた。  この地上に、僕の帰りを待ってくれる人がいるのが、嬉しい。  まるで僕自身が天上から舞い降りてきたような、不思議な心地だった。  あの日……腕の中から旅立った弟の儚さに打ちひしがれ……僕も連れて行ってと願い、空に逝きたい衝動と闘った日々は、もう消えた。 宗吾さんと芽生くんは、緑色のフェンスの向こうにいた。  フェンス越しではなく直接触れ合いたくて、滑りながら、キッズパークの入り口を指さすと、宗吾さんは、すぐに分かってくれた。  こういう所が、彼とは以心伝心だ。僕の心が届く人……大好きです。  宗吾さんに抱っこされた芽生くんが、僕に向かって両手を広げてくれた時、悲しい過去を思い出した。  もう僕を抱きしめてくれない人たちがいる大空に向かって、両手を広げて、『連れて行ってよ……僕も』と願ってしまった寂しい過去を……。函館のお母さんや兄さんに申し訳なくて、申し訳なくて……人知れず泣いた日々を。  今は両手を広げた芽生くんを抱きしめるのが、僕の役目だ。  芽生くんの存在と成長は、この世で生きていく理由の一つ。そして宗吾さんの存在が、どこまでも愛おしい。  彼と目が合った途端、僕の口からは自然と『ただいま』という言葉が紡がれた。 『お帰り、瑞樹』  少しだけ心配そうな宗吾さんの顔だった。  ちゃんと帰って来ました。だって……ここが僕のホームだから。  **** 「芽生くんに教えている間、潤は滑ってきていいよ」 「でも、オレだけ悪くないか」 「何言って? 潤にも楽しんで欲しいんだ。せっかくの休みだろう?」 「そうか……分かった! 少し遊んでくるよ」 「うん、行っておいで」 「おうっ、行ってくる」  遠慮する潤を送り出した。くすぐったい会話だね。  流石に芽生くんに大人3人がかかりは大袈裟だし、それぞれが同じ場所で、思い思いに楽しみたかった。潤が自由に滑る姿を、もっと見せて欲しいよ。 「瑞樹~、これで二人きりだな」  わざとおどけた様子の宗吾さんに、笑みが零れる(そんな甘い話はないですよ) 「くすっ、宗吾さんはこれからまた特訓ですよ」 「えぇ~! 君はスパルタだな」 「僕に……格好いいところ見せて欲しくて」 「そうか! おし、頑張るよ」(ノリの良い人だ)   最終目標を決めた。今から芽生くんにスキーを教え、みんなでリフトに乗って全員で滑ってみたい。同じ時を刻みたい。宗吾さんと芽生くんにも、雄大な山の景色をもっと上から見せてあげたい。 「瑞樹は雪の上では、人が変わるな」 「え? そうでしょうか」 「良い意味だよ。挑戦者みたいで、かっこいいぞ」  宗吾さんが快活に笑って、僕の背中を優しく叩いてくれた。 「良い感じだな。自信が持てるものがあると人は強くなれる。それを見せてもらっている」  手放しで褒められて、面映ゆい。   「ありがとうございます。今年はキャンプにも行きたいですね。近場でいいので」    宗吾さんの自信のある姿も、もっと見せて欲しいです。   「夏はキャンプ旅行だな。BBQやテントのことなら任せておけ」 「お兄ちゃん、パパー、はやくはやく!」 「ごめん、ごめん。じゃあ始めるよ」 「はーい、よろしくおねがいします」  ペコッとお辞儀する様子が愛おしい。芽生くんは積極的にソリ遊びもして、雪にも……転んだり滑るのにも慣れていた。  良い感じに、ここまで来たね。  今日は晴天で穏やかな天気なので、スキーデビューにはぴったりだ。まず「楽しさ」を植え付けてあげたい。僕は、さっきから昔……両親からスキーを習った日々のこと、思い出していた。    「じゃあ板を履いてみようね」 「片方だけ?」 「まずはね」  片足だけ板を履かせて、歩いたり、片足で蹴って滑ったりしてもらう。すぐに板がスッと滑り出す。 「わー、板にのるとすべるんだね」 「そうだよ。その感じを覚えておいてね」  片方ずつ体感させてあげると、板が横には滑らず真っ直ぐ滑るのを理解できたようだ。 「お兄ちゃんは、いつスキーをならったの?」 「僕はね……3歳でスキー板を履いたよ」 「すごいね。パパとママにならったの?」  無邪気な質問に、思わず目を細めた。 「そうだよ。お父さんは結構厳しかったけれども、お母さんは上手に出来ると、手放しで喜んでくれたよ」 『みーずき、こっちこっちよ。そうそう、じょうず、じょうず!』  いつも手を叩いて喜んでくれたのは、母だった。両手を広げて抱きしめてくれるのも母だった。父の広い背中も思い出した。僕を後ろから支えてくれた、逞しい父の腕を、はっきり思い出せた。  父と母が教えてくれたスキーは、僕の身体がしっかりと覚えている。  一緒に過ごせた時間がとても短かったので、そのうち両親の顔を思い出せなくなるのではと不安だったが……記憶は脳だけでなく、身体でも覚えていると、気付かせてくれた。 「おにいちゃん、もっと、もっと教えて」 「うん! そうだね。板を両方履いてみよう。それで前に進んでご覧」 「やってみる!」    学びたい気持ちと教えたい気持ちが重なって、心地良いね。  宗吾さんはもうボーゲンをマスターしたらしく、先ほどから上がっては軽快に滑って来る。  一方……僕は芽生くんに教えることで、両親からの愛情を受け止めていた。 「そうだよ、上手に歩けたね! 上手、上手!」    両手を広げてゴールを作ってあげると、僕の胸元に、芽生くんが嬉しそうに飛び込んでくれた。  寂しさが、愛おしさに変化していく…… 「お兄ちゃん、大好き!」

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