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白銀の世界に飛び立とう 29
何度も何度も、芽生くんを胸元に抱き留めた。
「そう! 上手だよ! すごい」
「えへへ。もういちどやってみるね」
芽生くんは要領を掴んだようで、上手にスキー板を動かして、僕の向かって歩いてくる。
目を輝かせて、僕に手を伸ばしてくれるのが、嬉しくて溜まらない。
もしかして……赤ちゃんが初めて歩けるようになった時って、こんな顔をするのかな?
天国のお母さんも、いつもこんな気持ちでしたか。もう抱きしめてもらえないけれども、お別れの前の晩、胸元に抱き寄せてくれたお母さんの温もりと鼓動は永遠に忘れられないです。
「お兄ちゃん、ボクもっとすべりたいよ。お兄ちゃんみたいに、坂をおりてみたいな」
確かに、平らな場所で歩いたり前に進む練習はたっぷり積んだ。そろそろ、いいかもしれない。
「よし、じゃあ、思い切ってリフトに乗ってみようか」
「わぁ~、ボクもあれにのれるの?」
初心者コースに沿うようにリフトが設置されているので、指さして教えてあげると、芽生くんがニッコリ笑ってくれた。子供の笑顔って、どうしてこんなにも幸せな気持ちになるのだろう。いつまでも見ていたくなるよ。
「あそこは緩い傾斜だし、僕が支えてあげるから行ってみようか」
「うん! いきたい!」
「おっ、とうとうリフトに乗るのか」
僕たちの様子を見守ってくれていた宗吾さんも嬉しそうだ。彼が僕に、全て任せてくれるのも、心地よかった。
「はい、坂を登るので芽生くんの体力を奪うのは勿体ないので、上まではリフトで行きましょう」
ソリは歩く歩道だったが、初級者コースで傾斜の上に行くには、リフトを利用する。
「はじめてのリフト、ワクワクするよ」
「うん。一緒に乗ろうね」
乗り場に並んでいると、四人乗りリフトが次々とやってくる。
「ほら、芽生も来い!」
「お、お兄ちゃん、どうすればいいの?」
「よしっ」
宗吾さんはがまずは座り、芽生くんは僕が両脇に手を入れて持ち上げて座席に、ちょこんと座らせてあげた。
「お兄ちゃんもはやく、はやく!」
僕と宗吾さんで芽生くんを挟む形で座った。初心者コース用のリフトなので、子供連れの多い和やかな雰囲気だ。皆……こんな風に小さな子供を挟んで楽しそうに座っている。僕らも,今日はその一員だ。
ガタンッ――
リフトが動き出した途端、芽生くんがまた僕のウェアの裾を掴んだ。
あ……やっぱり怖いのかな。
「大丈夫?」
「う……うん」
顔が少し引きつっていたので、芽生くんの肩を抱いてあげた。
「落っこちそう。つるんとすべったらどうしよう?」
不安そうに訴える瞳が可愛らしくて、目を細めてしまうよ。
「僕が支えているから、落ちないよ」
「下を見るの、こわいよ~」
少し焦った様子で怯えているので、何か気が紛れそうなものをと探すと、芽生くんが好きそうなものを見つけた。
「大丈夫だよ。あ、ほら……あそこを見てごらん。動物の足跡があるよ」
「え? ほんと?」
木立の間の雪に、小さな足跡が残っていた。
「わぁ~かわいいね」
「何の動物だと思う?」
「うーん、うさぎさんかな? イノシシくん? それともシカさんかなぁ」
「うんうん、きっとどれかだね」
「みんなで、なかよく走ったのかな」
「そうだね、お散歩したのかも」
「瑞樹、そろそろ着くぞ」
「あ、はい!」
「お……お兄ちゃん、助けて」
「もちろん!」
初めてのリフトだ、怖くて当然だよ。慣れるまで手を添えてあげるからね。
また芽生くんの脇に手を入れて支えて降ろし、スッと滑らせていく。
「わ、わ、わー! ボク、スキーをしてる!」
「うん!」
初心者コースなので緩い斜面だが、小さな芽生くんから見たら、急勾配に見えるのだろう。
「こんなところ……すべれる……かなぁ」
「大丈夫だよ。これを使おう」
潤が持たせてくれたものが、役立ちそうだ。
「瑞樹、それは何だ?」
「キッズハーネスといって、ウェストとショルダーを支えてあげるベルトですよ」
「へぇ、今は便利なものがあるんだな」
「おにいちゃんが、そのヒモを持ってくれるの?」
「そうだよ。だから怖くないよ」
「じゃあ……すべってみる」
「うん、スキーの板はハの字にしてね。こうだよ」
「こう?」
「上手!」
「えへへ」
「その形だと、スピードも出すぎないし怖くないからね」
「わかった。でも動かないよ」
「足踏みしてごらん」
一つ一つの会話を全部覚えている。これは全て僕が習ったことだ。20年以上前の思い出が、どんどん蘇ってくる。
芽生くんが僕で、僕がお父さんだ。そして宗吾さんがお母さん?(それは違うけれども、くすっ)
「瑞樹ぃ~、俺の出番も欲しい」
確かに!
「では……宗吾さんは芽生くんの前を滑って下さい。芽生くんはまだ自力で止まれないので、しっかり受け止めてあげてくださいね」
「了解!」
子供は親の背中を見て育つ。だからボーゲンを習いたての宗吾さんが芽生くんの前を滑るのが、良いお手本になるだろう。今の宗吾さんは僕が教えた通りに忠実に滑っているので、ある意味癖がなくて良い状態だ。
「まずは5mほど滑りましょう」
「了解、瑞樹コーチ」
「はーい」
ゆっくり……ゆっくりでいい。この時間をじっくり楽しませて欲しい。
「芽生くん、板を三角にしてね」
「うん」
ハーネスのリードで上手くコントロールしてあげると、芽生くんがゆっくり滑り出した。
そうそう、良い感じだよ。
5mほど滑ったところで、一旦休憩する。
宗吾さんが芽生くんを抱き止め、頭を撫でている。
「芽生、すごい! すごい! 初めてで、もうこんなに滑れるのか。パパなんてゴロゴロ転がって大変だったぞ。なんだか差を感じるな」
「えへへ。パパもじょうずだよ」
「おう! いつの間にか滑れるようになっていたな。瑞樹のお陰だ。教えた方が上手だな」
宗吾さんに褒められて、僕も嬉しくなった。(僕も役に立っていますか)
「なぁ、瑞樹の滑りは、やっぱり親父さん似だな」
「え? どうして……そんなことが分かるんですか」
お父さんを見たこともない宗吾さんが断言するので、驚いてしまった。
「君も幼い頃から、家族でスキーに通っていたんだろう? きっとご両親がしっかり見本を見せてくれたんだろうな。子供って親の背中を見て成長するんだと思ったよ。ずっと背中に芽生の視線を感じて、振り返ったら、俺とそっくりな滑りだなって。きっと滑りも親に似るんだろうな。だとしたら、瑞樹の滑りは、教えてくれたお父さん似だろう」
お父さん似……?
そんなこと言われた記憶なんてないので、胸が熱くなった。
「そうでしょうか」
「そうだよ。君の中に、確かにお父さんが生きているのさ」
「あ……」
宗吾さんの考え方が好きだ。
心に羽が生えたようにおおらかな宗吾さんだから、物事を大きく捉えられるのだ。
僕の中にお父さんがいる? なんて温かい言葉だろう!
もう会えないわけではなかったのか。いつも会っていた……心の中にいてくれたのですね。
僕にスキーを教えてくれたお父さん。
褒めまくってくれたお母さん。
リフトに乗る時、二人に囲まれて、安心していた僕。
疲れたとべそをかくと、お母さんがポケットから小さなチョコレートを取り出して、口に放り込んでくれた、あの蕩けるような甘さ。
全部、全部……僕の中に残っていた。
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