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雪の果て 3

 朝早く、すっきり目覚めた。  ベッドに宗吾さんの姿が見えなかったので探すと、ログハウス前の庭に立っていた。僕も彼の横に立ちたくて、急いで服を着て、外に出てみた。 「宗吾さん、おはようございます」 「瑞樹、おはよう。寒くないか」 「はい。あの……何をしていたんですか」 「うん、新雪を見ていた。誰も踏んでいないから、美しいな」 「本当ですね。朝日も眩しいです」 「何だか、頭がクリアになっていてさ」 「あ……僕もです。いろんなことが一気に片付いて前に進める。そんな朝ですね」  宗吾さんが雪が薄く積もったログハウスのテラスに、指で相合い傘を書いてくれた。 「芽生のを見ていたら、書きたくなったよ」 「嬉しいです」  漢字で『宗吾と瑞樹』が並んでいると、ひらがなの時とはまた雰囲気が違い、よりリアルな感じがした。 「ありがとうございます。白馬、とても良かったですね」 「あぁ。俺はあちこち痛いが……楽しかった」 「だ、大丈夫ですか」(昨日、転びまくっていたものな。でも翌日に痛むのなら、まだまだ若い証拠です! とは、宗吾さんが変な意味で喜びそうなので言わなかった) 「なぁ、帰ったらマッサージしてくれるか」 「いいですよ」 「昨日の続きは?」(わぁ……やっぱり‼) 「もっ、もう朝から何を言っているんですか!」  お互い顔を見合わせて笑った。いつもの朝だ。  明日から、また仕事だ。  今日は朝食はログハウスで食べて、ここで少し遊んでから帰る。 「さてと、みんなを起こすか。こんな清々しい朝を見ないのはもったいないよな」 「ですよね!」  朝食はログハウスの中で、焼き立てパンと熱々の珈琲、フレッシュなりんごジュース、新鮮な卵のハムエッグを食べた。    全部北野さんが用意してくれ、部屋に届けてくれた。ログハウスのプライベート感を楽しめ、食事はしっかり用意してもらえるなんて、ここは最高だ。 「やっぱり、こっちのりんごは美味しいな」 「パンも珈琲も美味しいですね」 「そうか……水が綺麗だからだな」  水が綺麗か……良い言葉だ。  水が澄んでいると、珈琲もパンの味も、ぐっとよくなる。つまり料理の味を左右しているのだ。 「兄さん、あと2時間位いられるが、何をしたい? スキーをする?」 「そうだね。芽生くんは何をしたい?」 「あのね、あそこに小さな雪だるまを作ってもいい?」 「もちろん、いいよ。潤、今日は気ままにのんびり過ごそう」  朝食後、芽生くんがログハウスの庭に積もった雪で、今度は小さな雪だるまを2つ作ってくれた。 「へぇ、兄さんと宗吾さんかな」 「うん」  芽生くんは少し首を傾げて、それからまたしゃがんで真剣な顔で雪だるまを作り出した。 「おにいちゃん、見て見て~」 「あっ」  雪だるまは、4つになっていた。  同じ大きさの雪だるまが、仲良く肩を並べて、雪山を眺めていた。 「今日で帰るのさみしいなぁ……だから、ぼくたちの分身をつくったよ」 「上手だね。嬉しいよ」 「あっ、おにいちゃんたちも相合い傘を書いていたの?」 「あ……うん」 「芽生も早く漢字をかけるようになりたいな。おにいちゃんもパパも、漢字で書くのはとってもむずかしいよ。そうだ! ジュンくんって、どんな漢字なの?」 「オレ? こうだよ」 ――『潤』―― 「どういう意味なのかな?」 「えっとね……『水気を含んで潤う』という意味だよ。きっと誰かの心を和らげる、優しい人に成長して欲しいと願いが込められているんじゃないかな」 「ふーん、じゃあ、お兄ちゃんはどんな意味があるのかな」  今度は宗吾さんが答えてくれた。 「瑞樹という漢字は、何か良いことが起きる前兆を意味する縁起が良いものなんだよ。みずみずしいという言葉は、芽生も聞いたことあるだろう」 「うん! みずみずしいオレンジとか……?」 「そう、フレッシュで爽やかな雰囲気の人になれるように、幸運に恵まれることを願って、ご両親がつけられたのだろう。瑞樹にぴったりの名前だよ」 「宗吾さん……」  そうか……潤と僕は、瑞々しいという点で共通点があったのか。改めて思うのは、やはり僕と広樹兄さんと潤は……縁あってこの世で3兄弟になったということ。   「兄さんと繋がっているみたいで、嬉しいぜ」 「ジューン、僕もだよ」 「その呼び方よせやい……照れる」 「くすっ」  団欒していると、隣のログハウスから陸さんと空さんが出てきた。そう言えば、昨日……あれからどうだったのだろう? 初夜は上手くいったのかな。僕は熟睡してしまったが……彼らにとっては大切な一夜となったのだろう。 「おはよう! 皆さん」 「おはようございます」  空さんは眼鏡の奥の目元を赤く腫らしていたが、幸せそうな笑顔だった。もちろん陸さんはスポーツで勝った時のような、晴れ晴れとした笑顔! 「あの、どこかに行くんですか」 「あぁ、俺たちの家さ」 「え? どういう意味ですか」 「実は、俺は6月にニューヨークから帰国する予定でね。インテリアデザイナーとして日本で独立するんだ」 「え! では……白馬に住むのですか」  「そうさ」  東京にいる空さんと遠距離になってしまうのかなと心配していると……空さんが嬉しそうに教えてくれた。 「僕も出版社はやめて、フリーのライターになるんだよ」 「ええっ?」 「今はどこにいても仕事が出来る時代だ。俺たちの共同事務所を北野さんにお願いして見繕って貰ったんだ。それを今回、見に来たんだ」 「びっくりしました。そんなことまで考えていらっしゃったとは」 「瑞樹くん、だから昨日は結婚式みたいなもんだったんだ。一緒に暮らすための儀式をした。協力ありがとう。お陰でバッチリだったよ」 「良かったです」    大人っぽい二人らしく、お互いの未来を真剣に具体的に考えていることに、うっとりした。  僕と宗吾さんは、この先……どうなるのだろう?  都内のマンションで定年まで、ずっと過ごすのか、それとも……?  全ては春に『幸せな復讐』をした後の世界だ。 『兄さんたち、いつか一緒に花屋を開かないか。オレが育てた花を広樹兄さんで売って……瑞樹兄さんがアレンジメントをする。週末限定や期間限定でいいから……夢の一つに加えたい』    潤が以前……広樹兄さんと僕に話してくれた夢を思い出した。 故郷を思い出す、澄んだ空気の広がる雄大な土地で……大地を踏みしめて生きたい。  それは僕の心の声だった。  しかしそれは今すぐではない。まずは芽生くんの成長を見守りたい。その後、考えたいことだ。  遠い未来の夢の一つ。  その時は……宗吾さんはのんびり花屋の横のテラスで珈琲を飲んでいそうだ。 「瑞樹、陸さんたちのような大胆な夢を抱くのもいいな。遠い未来に……俺たちもこんな場所に移り住みたくなったよ」 「あ……はい! 僕も……そう思っていました」  宗吾さんと肩を組んで、朝日に照らされた雪山を見上げた。  希望は人生のエッセンス――       

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