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春風に背中を押されて 1

 楽しいスキー旅行の後は、慌ただしい日常生活に戻り、あっという間に一ヶ月が経っていた。  季節は巡り3月上旬、凍てついた空気も少しずつ緩み、春の兆しが街のあちこちに見え隠れしている。 「芽生、ごめんね。取りに行くのが遅くなってしまったわね」 「ううん、大丈夫だよ! それよりおばあちゃんの具合が良くなって、よかったぁ」 「ありがとう。芽生はいつも可愛いことを言ってくれるのね」  宗吾さんのお母さんと一緒に、芽生くんのランドセルを受け取りに、目黒川沿いにある革工房までやって来た。  ランドセルは、お母さんが買って下さると言うので、年明けに一緒にカタログを見て予約をした。2月中旬に受け取るはずだったが、お母さんの体調が悪かったので、延期になっていた。  きっと幼稚園ではランドセルの話で持ちきりだったろうに、芽生くんは一言もそれを恨んだりはしなかった。  芽生くんは、優しく、思いやりの心を持っている。その心が成長と共に大きくおおらかに育っているのを感じ、嬉しくなるよ。 「お客様、お待たせ致しました。こちらでお間違いないでしょうか」 「わぁ!」  芽生くんが選んだのは、焦げ茶の牛革に深緑のステッチの入ったランドセルだった。更に背あてと内装に深緑の彩りをプラスしたもので、まるで大地と植物みたいな配色が素敵だった。 「まぁ~可愛いわ。芽生、背負って見て」 「うん! おばあちゃん、どうかな?」  まだまだ芽生くんの背丈にランドセルは巨大で、なんともいえないアンバランスな感じが、可愛らしかった。  僕と最初に出会った時は4歳だった芽生くんが、4月にはランドセルを背負って小学校に行くなんて、まだ信じられないな。 「瑞樹、想像より実物の方がずっといいな」 「はい。カタログだけで選ぶのは不安でしたが、良かったですね」 「お兄ちゃん、ここを見て!」  サービスのネームタグには、芽生くんの名前と四つ葉の刺繍が入っていた。 「あっ、四つ葉……ラッキーアイテムだよ。気に入った?」 「うん! すっごく!」  満面の笑みに、お母さんも宗吾さんも幸せ一杯だった。もちろん僕も。  ランドセルを購入した後は目黒川沿いのカフェに立ち寄り、テラス席でお茶をした。 「瑞樹くん、この樹は、全て桜かしら?」 「はい。お花見の頃は最高の立地かと」 「もう来月には満開よね。あぁ、また季節が巡るのね」 「はい!」 「瑞樹くん、芽生を、これからもよろしくね。男の子だから、暫くは子供っぽいと思うけれども、中学年位からは反抗期や思春期の絡みで、難しいこともあるかもしれないわ」  小学校の中学年か……ちょうど僕が両親を亡くした頃だ。 「宗吾の反抗期は、それはそれは酷かったわ、小学校に何度も呼び出されて」 「おっと、母さんそれは言わないでくれよ」 「ふふっ、物静かな瑞樹くんにも反抗期ってあったのかしら」 「さぁ……どうでしょう」 「あ、ごめんなさい」  僕の声が暗かったせいか、お母さんが途端に申し訳なさそうな顔になってしまった。   「謝らないで下さい……ちょうど両親が亡くなった時期だったので……その」 「……多感な頃だったのね」 「芽生くんにはのびのびと育ってもらいたいです。時に反抗される事もあると思います。でも、それが自然な成長なので……僕は覚悟しています」  本当にそう思う。それを受け止めていくのが、家族なのだ。  絵に描いたような幸せな毎日は理想だが、いつも笑ってばかりいられないのが現実だ。小さな波を、その都度乗り越えて……絆を深めていくのが家族だ。 「よかった。あなたの覚悟を聞けて。可愛いだけでなくなる芽生を、大きな愛で包んでくれるのね」 「はい。僕は……そうしたいです」  頼んだカフェラテには、桜の花びらのラテアートが施されており『Spring is coming soon』というカードが添えられていた。 「春が間もなくやって来るのね。良かったわ……今年も桜を見られそうよ。歳を取るとね、来年の桜が見られるか不安になるのよ。でも同時に目標にもなるわ。若い頃のように次々と新しい目標を未来に向けて立てることは、もう出来ないけれども……来年も桜を元気に見るという目標なら、誰にでも出来ることでしょう」  お母さんの言葉は少しだけ切なかった。お母さんには長生きして欲しい。だって僕は、まだ……知り合って2年しか経っていないから。 「大丈夫よ。まだまだ芽生の成長を見守りたいし、瑞樹くんとも、もっと仲良く過ごしたいわ。それに5月には憲吾のところに赤ちゃんが生まれるし、私も寝込んでいられないわ。大忙しよ」 「はい! お身体を大切にして……ずっと……ずっと、元気でいて下さい」  人はいつ病に冒されるか分からない。不慮の事故に巻き込まれることだってある。それを知っているから……願ってしまう。お願い、できる限り傍にいてと。 「あらあら……冷めちゃうわね。さぁ春の息吹を飲んで、元気をもらいましょう」 「はい」 「瑞樹、そうだ、芽生の弁当の材料、メニューはどうする?」 「あ、帰りに買い物をしていきましょう」  芽生くんの卒園、入学……仕事も異動の季節で、どことなくざわつく日々だが、僕達は僕達らしくやっていこう。  帰り道……大きなランドセルの箱を宗吾さんが抱え、みんなでのんびりと歩いた。  あと一ヶ月も経てば、ここは淡いピンクのトンネルのような桜道になっているだろう。  その頃には、僕は無事に『幸せな復讐』を終えているはずだ。  

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