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幸せな復讐 2

「お兄ちゃん、何を飲む?」 「あ……コンソメスープを」 「お兄ちゃん、大丈夫?」 「う、うん」  飛行機の中で、また緊張して来てしまった。まずいな……こんな調子で本当に行けるのか。コンソメスープを飲んでいる間も、指先が冷たいままで震えていた。 「お兄ちゃんって旅行に行く時、いつもこうなっちゃうの? この前もそうだったね」 「あ……」 「もしかして、ひこうきや、しんかんせんがこわいの?」 「え……」 「帰りは平気だったから、きっとなれるのに時間がかかるんだね」  以前に似たようなことを言われた気がした。  誰にだったかな? 「大丈夫。ボクが手をつないでいてあげるよ、ほら」  芽生くんが小さな手で、僕の手を握ってくれた。  小さな手なのに、体温が高いせいので温かい。  「芽生はやるな。瑞樹、俺にもたれていいぞ」 「ありがとうございます」  窓際の芽生くんと手を繋ぎ、通路側の宗吾さんにもたれて、時間が過ぎるのを待った。 「いいから、少し眠っていろ。どうせ君は昨夜あまり眠れなかったのだろう」 「うぅ……すみません」  宗吾さんには何でもお見通しのようだ。昨日、宗吾さんの横で眠ったのに、夜中に目が覚めてから寝付けなかった。   一馬……  お前は……今頃どんな気持ちだ?  僕が今日お前の目の前に現れることは、予約時の名前で気付いているだろう。  もう口に出して呼ぶことはない相手のことを、つい考えてしまった。僕って最低だ。宗吾さんの横で眠りながら、前の彼氏のことを考えるなんて。  一馬との恋愛は……7年にも渡り続いた。  大きな喧嘩もなく、ただ同じ場所に戻って来ては、肌を重ねた。  前向きにはなれない僕だったが、真剣だった。あの時はあの時で……  互いに大喧嘩して別れたわけでもなく、最後まで求め合って別れた。  進む道が分かれたから……別れたんだ。  あいつ……最後まで馬鹿みたいに僕を気遣って……  だから、好きだったんだな。憎み切れなかった。  まだ夜も明けきらない寝室で、ひとり膝を抱えて考えてしまった。 「瑞樹、ほら、また考え込んで……心を無にして眠れよ」 「はい……」  僕が進む道はひとつ。僕がいる場所はここだ。   「おにいちゃん、大丈夫だよ」  芽生くんが、キュッと握る手に力をいれてくれると、また一つ思い出が戻ってきてくれた。   ……   『みずき? あら、また酔っちゃったの』 『ママ……きもちわるい』 『いつもあなたは初めての場所や、久しぶりの乗り物に弱いのね』 『うっ……』 『 おいで』  母が背中を撫でてくれると、ふっと楽になった。 『もう大丈夫よ』  おまじないのような言葉。  その後、うとうとしていると、両親の会話が聞こえていた。 「瑞樹は少し神経が過敏すぎないか」 「この子は感受性が強い子なの。 だから初めてのことに弱いけれども、慣れてしまえばどこまでも深い情で接していける、優しい子よ」 「そうだな。俺たちが瑞樹が独り立ちできるまで、しっかり傍にいてやろうな」 「うん……この子が生まれたら、きっといいお兄ちゃんとして頑張っちゃうんだろうな、瑞樹」  僕の話を両親がしていた。僕は4歳か5歳……? 夏樹がお腹にいる時に、飛行機に乗って、どこかに旅行したんだ。どこに行ったのかまでは思い出せないが、その次の母の言葉を思い出した。 「弟か妹が生まれても、たっぷり甘えてもらうつもりよ。恥ずかしがっても、無理矢理抱っこしちゃう!」  ひとつのことがきっかけで、次々と飛び出してくる思い出の欠片は、両親の愛の軌跡だった。 「そうしてやってくれ。俺もそうしてもらいたいな」 「んふふ、あなたも抱きしめてあげる。いつまでも、いつまでも」 「ありがとう。俺もお前が好きだ。そして瑞樹を産んでくれてありがとう」  あ……そこまで思い出して、涙が零れてしまった。 「瑞樹、また一つ思い出せたのか。幸せな欠片を」 「宗吾さん、僕はとても愛されて育った子供だったのです」 「そうだろうな。だからこんなにいい子に育った。だから……瑞樹が育てる芽生もいい子に育っているのさ」  宗吾さんがそっとタオルハンカチで涙を拭いてくれ、明るく笑ってくれた。 「いい旅になるよ。大丈夫」  宗吾さんの台詞は、父と母が僕の手を握って言ってくれた言葉と……全く同じだった。

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