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幸せな復讐 9
瑞樹……
心の中で、そう呼ばれた気がした。
2年ぶりに聞く、一馬が僕を呼ぶ声だ。
接客中の彼は顔を伏せてしまったが、僕は目が離せなかった。
あぁ、いよいよだ。
あの原っぱで宗吾さんから提案されたことを、まざまざと思い出した。
……
「そうだ、君は外国に『幸せに暮らすことが最大の復讐である』という諺があるのを知っているか」
「幸せが復讐に?」
「そうだ。そんな復讐なら、していいと思わない?」
「……ええ、確かに」
……
もう、大丈夫。もう幸せに暮らしているよ。
それを見せたくて、伝えたくて来たんだ。
しっかりしろ、瑞樹!
「……次の方、どうぞ」
とうとう僕たちの番だ。
僕は芽生くんと手を繋いで、前に一歩進んだ。
真横には宗吾さんが立ってくれている。
今一度、僕の大切な人の顔を見つめた。
宗吾さん……どうか、今から僕がすることを見守っていて下さいね。
僕は今から『幸せな復讐』をします。
「あの、お名前を」
「……葉山瑞樹です」
「この度はご予約ありがとうございました。こちらの登録カードにお名前をご記入下さい」
「……はい」
余所余所しい対応は当たり前だ。今は旅館の主と客という立場だ。
しかし僕は、小さな声を発してしまった。
ここまで来て、知らん顔は出来なかった。
「あの……元気だった? 僕は元気にやっているよ」
そう伝えると、一馬は少し驚いたように目を見開き、そのまま無言で僕をじっと見つめ、それから芽生くんと宗吾さんに、目をやった。
一馬は、僕らの関係にすぐに気付くだろうか。
「……最後にサインをお願いします」
「あ……はい」
今の僕の右手には芽生くんから贈られたシロツメクサと四ツ葉の指輪が揺れている。そして左手薬指には、宗吾さんと共に生きていく誓いの指輪がはめられている。
一馬の視線は、僕の指先でぴたりと停止した。
緊張が走り、そのまま無言の時が流れた。
今、何を考えている?
もしかして、今この瞬間が『幸せな復讐』の時なのか。
お互いに黙っていると、一馬の横に女性がスッと現れた。
「あなた、大丈夫? フロント、代わりましょうか」
あ、この女性は……一馬の奥さんだ。
あの日……純白のウェディングドレスで嬉し涙を流していた女性だ。
彼女は黙りこくってしまった一馬を、優しく暖かな眼差しで気遣っていた。
「ありがとう。じゃあこちらのお客様の後に、代わってくれ」
一馬も奥さんのことを、大事そうに見つめた。
懐かしい眼差しと優しい声に、何故か僕の胸の奥もほんの少しだけ痛んだ。しかし、すぐにその痛みはスッと消えていった。
ほんの欠片が残っていたのかな。
欠片が消えると、胸の中がスッキリした。
きっと……今、僕はアイツへの最後の想いから、完全に卒業したんだ。
一馬たちも信頼し合い、愛し合っている。
短い会話の中に夫婦の愛の存在を読み取れて、安堵した。
あれから幸せに暮らしていたんだね。よかったよ。
一馬も幸せを掴んでいることが分かり、心から嬉しくなった。
「こちらがキーです。ごゆっくりお過ごし下さい」
一馬は事務的な対応を繰り返しているので、僕も合わせないと。そう思ったが、どうしても告げたい言葉があった。
「ありがとう……、いい思い出を作っていくよ」
一馬、ありがとう。
僕を長い間、愛してくれて……
お前と過ごした7年間は大切な時間だった。
言葉には全部出せなかったが、ちゃんと伝えられた。
『幸せな復讐』とは、世界で一番の復讐方法だ。
宗吾さんに導いてもらった復讐方法は、誰も攻撃しない、傷つけない、ただ自分のためになるとっておきの『復讐方法』だった。
人は誰しも『幸せになりたい』と願っている。だからそれを失うのは怖いし、突然消えてしまうのも怖い。自分を捨てた相手や、自分の幸せを奪ったものを恨んでしまいそうにもなる。
しかし、それでは何の解決にもならないし、何も生まれない。
僕は、一馬の記憶の中の僕よりも、この2年間でぐっと成長したよ。宗吾さんの愛に包まれ、芽生くんの成長を見守り、未来に夢と希望を抱いて、今を楽しんで生きている。
なぁ、一馬は今の僕の姿を見てどう思った?
宗吾さんと芽生くんと過ごしている僕は、あの頃よりも人生に貪欲で、変化を楽しめるようになっている。
だから、もしも『瑞樹は、あの頃よりも魅力的になった』と一瞬でも、心の中で思ってもらえたのなら……
―― 僕の復讐は完了する ――
あとがき(不要な方はスルーで)
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とうとう『幸せな復讐』をしましたね!
ここまで2年近く、リアルの更新でもかかりました。
毎日の更新を追って下さって、ありがとうございます。
リアクションでの応援、本当に心強かったです。
今日は、感無量です。
完結のムードですが、長編ではこのまま旅の終わりまで、しっかり書き切ります。
どうかお付き合い下さい♡
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