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その後の三人『家へ帰ろう』14

 宗吾さんの背中があまりに広くて逞しくて、あまりに暖かくて…… 「瑞樹、泣いてもいいんだぞ」 「……泣きたくなんて」 「もう素直になれよ」 「あ……はい。うっ……ぐすっ……」 「そうだ、それでいい」  宗吾さんのシャツに顔を埋めて、静かに嗚咽した。  嬉しくて、少し切なくて……  お父さんに最後におんぶされたのは、いつだったか。  ……  夏樹が生まれてからは、そこは夏樹の定位置になった。  僕はいつもその光景を……心の中で少しだけ羨ましい気持ちで見上げていた。 公園で父と夏樹と遊んだ帰り道。  疲れた夏樹がおんぶをねだり、僕はそっと父のシャツの裾を掴んだ。    気を抜くとひらりと外れてしまい、一生懸命にそこだけを見て歩いた。  僕もおんぶしてもらいたいな。  そこから見える景色はどんなだったかな?  もう忘れちゃったよ。  ……   「お兄ちゃん、泣いちゃったの?」 「芽生くん、ごめん……ごめんね。君の場所を……借りて」 「え? いいんだよ。いつもボク、してもらってるもん。それに今日のボクは元気いっぱい~」    芽生くんがリュックをちらっと見せて、ニコッと笑ってくれた。 「今ね、ひつじの赤ちゃんを、おんぶしているんだよ。だからボクまでおんぶされたら、おかしいよ」 「あ……そうだったね」 「ほーら、もう見えて来たぞ」  宗吾さんの声につられて顔をあげると、僕たちの暮らすマンションが見えた。 あぁ……ちゃんと帰ってきた。 「宗吾さん、あの、ここで降ります」 「よし、分かった」  最後は僕の足で歩もう。 「もう大丈夫か」 「あの……少し背伸びした景色が見えました」 「そうか! よかったよ」 「ありがとうございます。宗吾さん、芽生くん」  芽生くんが僕の手をキュッと握ってくれる。 「おにーちゃん、やっとお家だね」 「うん」 「まだだよ」 「そうだね」  エレベーターに乗って、鍵を開けて……  三人で……玄関で『ただいま!』と言い合った。  その瞬間、さっき引っ込めたはずの涙がまたポロリと流れてしまう。こんなに泣いてばかりで呆れられてしまうのに……今回の旅行は本当に意味が深くて……だから無事に笑顔でここに帰って来られて、ホッとしている。 「瑞樹、また泣いて……さぁ家に入ろう。ここは君の家だろう」 「あ、はい。今回は……色々と……すみません」 「いいって、甘えろよ。君に甘えてもらえるのは最高に嬉しいんだから、遠慮すんなよ」  宗吾さんがリビングの窓をガラッと開けて、換気をしてくれた。 「うぉ~やっぱり1日いないだけで、空気がどんよりと澱んでいるな」  3月の夜風は冬のように凍てついておらず、ひんやりと心地良かった。  はためくカーテンと共に、一気に空気が動き出す。  そこには、僕の時間が、僕の場所がちゃんとあった。 「瑞樹、ほら深呼吸深呼吸。少し落ち着けよ。そうだ、ビール飲むか」  宗吾さんがいそいそと缶ビールを冷蔵庫から持ってくる。 「ほら、乾杯! 少し寛げ」 「宗吾さんは、すっかり自宅モードですね」 「自宅はいいなーって旅行の後はいつも思うよ」 「はい!」  すると芽生くんが両手をパーにしてやってきた。石鹸の香りがするね。 「パパもおにいちゃんもおててあらうのが先だよ。ボクはもうあらったよ! ほらピカピカでしょう? だからもう羊の赤ちゃんを出してもいい?」 「偉いね、うん、いいよ!」  芽生くんが嬉しそうにリュックをひっくり返している様子を見て、宗吾さんと顔を見合わせて苦笑した。 「あぁ……もう床にばらまいて……散らかしていますね」 「すまん、何故かここだけ俺に似たな」 「くすっ、僕たちも手を洗いましょう。大人が手も洗わずにビールを飲んでは……」 「しめしがつかないよな」 「ですね」  洗面所で手を洗っていると「瑞樹、こっち向けよ」と言われ、顔を向けると突然軽くキスされた。 「あ、あの……」 「た・だ・い・まのキスだ」 「あ……はい」 「瑞樹からは?」  も、もう……さっきまで逞しくて男らしくて惚れ惚れしていたのに、いつもの宗吾さんモードだ。でも、これもイヤじゃない。 「わ、分かりました」    ちらっと扉の向こうを確認してから、僕からも…… 「た・だ・い・ま」  と、4回……彼の唇をそっと啄んだ。    すると、宗吾さんが僕を包み込んでくれ、とても和やかな空気が生まれた。 「これで……全部俺の瑞樹になったな、旅行、おつかれさん!」 「宗吾さんが……すぐ傍で見守って下さったからです」  じわりと膨らむ想いがある。  愛する人の傍にいるだけで、人は和やかな気持ちになる。  和やかになれるのは、お互いに思いやりと優しさに満ちているから。  僕の存在も……意味がある。  僕はここにいていい。この先もずっとずっと――

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