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その後の三人『春の芽生え』5
「母さん、遅くなって悪かったな」
「いいのよ。年度末は大変よね。芽生、このまま泊まらせてもいいのよ」
「いや、連れて帰るよ」
「そう? 宗吾も頑張っているわね」
「サンキュ!」
実家で芽生を引き取り、自宅マンションに二人で戻った。いつもなら瑞樹が隣にいるか先に帰宅して部屋の灯りをつけてくれているので、変な感じだ。見上げたマンションの部屋が真っ暗なのが、寂しく感じた。
こんな風に暗い家に戻るのは玲子と離婚した直後を思い出すな。あの頃の横柄な自分の姿が蘇り、いやでも自己嫌悪に陥ってしまう。
珍しく2日続けて瑞樹がいないことで、どんなに普段、彼の存在が俺の生活のウェイトを占めているか、ひしひしと伝わって来た。
今日は……日中会えたのに、もう瑞樹不足だ。
芽生もとぼとぼと歩いて、寂しげだ。
「芽生、明日の夜には瑞樹も帰ってくるから、ここはグッと我慢だ」
「う……ん」
「パパがいるだろ?」
「そうだね! じゃあ帰ったら遊んでね!」
「えっ? そ、そうだな~」
そうだよなぁ、遊びたいよな。俺は疲れたから眠りたいが……いやいや、こんな考えは駄目だろう。こんな時、瑞樹ならどんな答えをするかな。どんな遊びを提案してくれるのか。
気が付いたら、俺はまた君に頼りすぎていたようだ。今から芽生と部屋で何をして遊べばいいのか、相変わらず思いつかず苦笑した。昼間だったら公園に連れて行けば何とかなるのにな。
結局、いつものように戦隊モノのDVDを延々と見せてしまった。しかも部屋で刀を振り回す芽生を野放しに、ソファにもたれながら缶ビールを飲んだ。母さんが持たせてくれたお惣菜をつまみながら、ぐでっと自堕落になっていた。
すまない……君は寝ずに仕事を頑張っているのに。
おいおい宗吾、昼間のお前はどうした? 瑞樹の前だとシャキンと格好良く振る舞えるのに、君がいないとこんなに腑抜けなんて。
「パパー、そこで、ねたらだめだよ」
「眠いんだよ。なぁ芽生もここで寝ないか」
「お風呂は?」
「もう少ししたらはいろう」
「パパぁ……」
****
たくさんDVDをみたけれど、あきちゃった。
箱根でかってもらった刀ももってきたのに、パパってば全然あそんでくれなくて、つまらないよぉ。ずっと、ねむそうにウトウトしている。
「パパ、そろそろ、おふろにはいろうよ」
「う……ん」
そっか、パパもつかれているんだね。
パパも、おにいちゃんがいなくてさみしいんね。
「もう、しょうがないなー」
ボク、自分のお部屋からお布団をずるずるとひきずってきて、パパにかぶせてあげたよ。おふとんって、けっこうおもたいね。
「よいしょっと、ボクもねようかな……あ、歯ミガキしないとお兄ちゃんにおこられちゃう」
背伸びして歯ブラシを取って、歯ミガキ粉をつけたよ。
「ひとりで、でーきた」
ところが、歯ブラシをパクッと口にくわえると、すごくからかった!
「わわっ。ぺっぺっ、か、からいー! おいしくないよぅ!」
まちがえちゃったよ。コレ、おとなのだ。
慌ててお水を出したら、今度はいっぱいはねちゃってみずびたし。ぼくのお洋服もびしゃびしゃだ。
「わ……き、きがえないと……おふろはいりたいけど、おふろはむずかしいな」
おへやからパジャマをもってきて、おきがえしたよ。ボタン、むずかしいし、めんどうだなぁ。ボクも、もうねむいよ。なんだか洗面所がたいへんなことになっているけど、気にしない。
「パパ、もうねるよ」
「おー、こっちこい」
「ベッドでねないの?」
「うごけん」
「もー」
パパってば、ボクのお布団かえしてよー!
しょうがないので、パパの横にくっついて目を閉じた。
そうしたら、チカチカとパパのポケットがひかったよ。
「あ、お電話だ! パパ、はやくでないと」
「うーん」
「あぁ、きれちゃうよ」
パパのスマートフォンにお兄ちゃんの名前が出ていたので、ボクが出たよ。『瑞樹』って、おにいちゃんのことだよね?
「宗吾さん? 僕です」
やっぱりお兄ちゃんだ!
「おにいちゃん!」
「あれ? 芽生くんまだ起きていたの?」
「うーん、そうなの」
「そうか、でももう夜の11じだよ? 何かあったの?」
お兄ちゃんが心配そうに聞いてくれるので、ほろりとしちゃった。
「あった! パパがねちゃった!」
「今、ちゃんとベッドにいるの?」
「ううん、ソファで寝ちゃった」
「また転た寝しちゃったんだね。困ったパパだね」
「お兄ちゃん、パパをおこして」
「じゃあ、ちょっと受話器をパパの耳にあててごらん」
「わかった」
やっぱりお兄ちゃんって、いいな。
ボクのこと、よく分かってくれている。
****
「葉山、お疲れさん。一休みしようぜ! コーヒーでも飲みに行くか」
「菅野、ごめん。一度家に電話してくるよ」
「ははん、ラブコールか。コーヒーは買ってきてやるよ」
「あ、ありがとう」
23時頃ようやく二件目の大がかりな生け込みが終わり、流石に疲労困憊だ。
こんな時は……声、聞きたいな。
疲れた身体が、宗吾さんと芽生くんの声を欲していた。
もう芽生くんは寝てしまっただろうが宗吾さんは起きているだろう……誰もいない廊下の片隅で、秘めやかな気分で電話をしてみた。
すると電話に出たのは困った声の芽生くんで、宗吾さんはソファで転た寝中らしい。もう……僕がついていないとすぐ自堕落になってしまうのは、相変わらずですね。
芽生くんが宗吾さんの耳元に受話器をあててくれたので、すっと息を吸い込んで、低い声を出した。
「宗吾さん……起きて下さい」
「……」
「あの、宗吾さんってば!」
「……」
あれ? 全然起きる気配がないのですけれども……?
「お兄ちゃん、パパ、びくともしない」
「くすっ、仕方の無い人だな」
こうなったら必殺技だ!
今度は甘く優しく、囁いた。
「宗吾さん、瑞樹です。あの……起きて下さいませんか」
「むにゃ……おぉ! 瑞樹、もう帰ったのか」
「違いますよ。様子が気になって電話したらやっぱり。昼間の格好良かった宗吾さんはどこにいったのですか。すっかり行方不明ですね」
「え、ちょっと待てよ。ここにいるぜ!」
「くすっ、ソファでうたた寝は風邪を引きますよ。お風呂は入りましたか。歯磨きもして下さいね」
「イイ!」
「何がいいんですか」
「瑞樹があれこれ口うるさく言ってくれるのはいいなぁ。俺は君がいないと腑抜けだ」
「もう、何を言って……」
『僕がいないと駄目だ』とストレートに言われて、ドキドキしてしまった。
「瑞樹、早く会いたいよ」
電話の向こうで宗吾さんが僕の幻を抱きしめているようで、ドキドキが続く。酔っ払っているのかな? 芽生くんが傍にいるのに……そんなにあからさまに。
挙げ句の果てに、『ちゅっ!』とリップ音まで立てて、駄目だ……卒倒しそう! 首筋をキツく吸われた気分になり、身体がカッと熱くなった。
「ちょ、何をしているんですか。も、もう起きたのなら切りますよ」
「悪い悪い……つい。瑞樹はもうひと頑張りだな」
よし! 声の調子がキリッとしてきた、良かった。
「はい、僕も宗吾さんの声を聞いたら元気になりましたよ」
「俺もだ。瑞樹……君がとても好きだ」
最後はとびっきりの決め台詞で、頬がますます火照った。
「も、もう――恥ずかしいです」
「えへへ、おにいちゃんとパパは今日も『アチチ』だね~」
わわっ、やっぱりバッチリ聞かれちゃった。
「め、芽生くん、パパが起きたみたいでよかったよ。早く眠るんだよ」
「うん。あのね……お兄ちゃん、お仕事がんばってね。がんばっているお兄ちゃんって、すごいよ! カッコイイよ!」
「ありがとう!」
カッコイイか……芽生くんに言われると、とても嬉しいよ。
電話の内容はハチャメチャだったが、ヤル気が満ちていた。
会えない夜は、会いたい気持ちが募る。
こんなにも愛おしく会いたいと想う家族が、この世の中にいる。
それが嬉しくて、電話を切った後も余韻に浸ってしまった。
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