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整えていこう 1
パパタクシーは、芽生くんを、すこぶるご機嫌にしてくれた。
「ふぅ~ 到着したぞ」
「パパ、おいくらですか」
「ははっ、そうだな。ここにお願いします」
「いいよ~!」
マンションロビーで芽生くんを下ろし、宗吾さんがしゃがんだまま頬を差し出すと、すぐに芽生くんが可愛いキスをしてくれた。
宗吾さんは、弾けるように満面の笑みを浮かべた。
あ、いい顔! パパの顔だ!
こんな風に……息子が無邪気にキスをしてくれる時期は、限られている。
宗吾さんにとって貴重な事なのだ。
今日芽生くんのお世話をしてくれた6年生のお兄さんを思い出し、少し切なくなった。背が高くて大人並みの子もいたな。もしかしたら僕もいつか芽生くんに抜かされてしまうのかな。うーん、まだ今はそんな日が来るのが信じられないけれども。
「宗吾さん、今日のこの後の予定は?」
「特にないよ。あとはゆっくりしよう」
「じゃあもう着替えましょうか」
「そうだな、芽生も頑張ったな。慣れないスーツだったのに」
「首がきつかったよ~」
そこで突然、電話が鳴った。家の電話が鳴ることは滅多にないので、なんとなく嫌な予感。
「出ましょうか」
「いや、俺が出るよ」
「もしもし……あ……はい……えぇ、今日でした」
宗吾さんの声のトーンが強ばったのが分かった。
「えっ、今からですか。いや、それは……あの、じゃあこちらから伺います」
もしかして、電話の主って。
「瑞樹、困ったな。その……玲子の実家が芽生に入学祝いを届けに来るっていうから、それは勘弁してもらう代わりに、受け取りに行ってきてもいいか」
やはり……そんな気がした。先ほどまでの楽しい気持ちがしゅんとしてしまったが、顔に出さないように注意した。
玲子さんのご両親は……玲子さんの出産祝いを加々美花壇の配送スタッフとして届けた時、一度会ったことがあるが、なかなか厄介だ。
僕が宗吾さんの家で同居している事は秘密にしている。玲子さんのご両親は残念ながら理解がないので、万が一知られてしまうと芽生くんを奪おうとするかもと、玲子さんから忠告を受けた経緯もある。
「大丈夫です。僕は留守番しているので行って来て下さい」
「えー、おばあちゃんのところにいくの?」
芽生くんもあの時怖い思いをしたから、気が乗らないようだ。しかし、生みの母の血筋でもあるし、無下に出来ない。
「お兄ちゃんもいっしょ?」
「えっと……今日はパパが一緒だよ」
「でもぉ……」
あ……駄目だ。これ以上幼い子に気を遣わせてはいけない。
「芽生くん、僕は今からケーキ屋さんにお買い物に行かないと……」
「そうなの? ケーキ、買ってくれるの?」
「うん、ショートケーキがいいかな? それともチーズケーキ?」
「わぁぁぁ、ボクはいちごののったのがいい」
「いいよ、任せて。じゃあランドセル姿見せておいで。重たいから、教科書は出していこうね」
「はーい。お兄ちゃん、すぐに帰ってくるからね」
「ありがとう」
洗面所で手を洗っていると、宗吾さんがすまなそうな顔で入ってきた。
嫌だ。そんな顔を……今日させたくない。
「瑞樹、俺、かっこ悪いな。正々堂々と俺が瑞樹と付き合っているって言えなくて」
宗吾さんは自分を責めていた。
「宗吾さん、大丈夫です。誰もが全員揃って理解があるわけではありません。だから無理に理解してもらおうと焦っては無駄です。無理に好かれようとしなくてもいのでは……」
宗吾さんが首をブンブンと横に振る。
「だが……瑞樹、君はそれでいいのか。俺は悔しいよ」
「……宗吾さん、人は何のために雨が降ると傘をさすのか知っていますか」
「何って……少しでも濡れないためだ」
「はい。僕も避けれないものに抗ってびしょ濡れになって風邪を引くよりは、傘を差して通り抜けたいです。その方が風邪も引かないし、笑顔も絶えません」
安全パイを取ると思われてもいい。今は、僕が原因で揉める時間よりも、僕が時と場合により一歩引くことで、平穏を得られる方がいい。
「分かった。すぐに戻ってくるから、ちゃんと待っていてくれよ」
「はい、僕の居場所は、ここです」
そうは言っても……宗吾さんと芽生くんを見送ると、やっぱりため息をついてしまった。
僕が希望したことだ。馬鹿、凹むなと叱咤激励するが、すぐにケーキやさんに行く気がせず、とりあえずネクタイを緩めて自分のベッドに横になった。
いい事も悪い事もあるのが人生だな。
目を閉じると、今日1日の高揚感から来る疲れなのか、眠たくなってきたので目を閉じた。
次にインターホンの音で、目が覚めた。
宗吾さんかと玄関を開けると、宅配の荷物だった。
「あ……函館のお母さんからだ」
このタイミングで、母の優しさに触れて涙が出そうになった。
「なんだろう?」
ダンボールの中には、函館の地元デパートの包みがいくつか入っていて、カードも添えられている。
「瑞樹、元気にやっている? 芽生くん小学校入学おめでとう! おばあちゃん気分でいろいろ買ってしまったの。お祝いに贈らせてね」
お母さん……あのお母さんが芽生くんのおばあちゃん気分と言ってくれた。それが嬉しくて貯まらないよ。入学お祝いまで贈ってくれるなんて、無性に声が聞きたくて函館に電話した。
「もしもし葉山生花店です」
「広樹兄さん、僕……」
兄さんの声も、僕を落ち着かせる。
「おぉ! 瑞樹じゃないか。今日は芽生くんの入学式だろ? おめでとう!」
「ありがとう」
「荷物、届いたか」
「うん」
「この前、生まれてくる赤ん坊の準備で母さんとデパートに行ったんだ。そしたら母さん、入学祝いコーナーから離れなくてさ」
「そうなんだ」
「俺も一緒に買ったんだ。都会の学校のことは分からなくて趣味じゃないかもしれないが、幼い瑞樹のことを思いだしながら選んだら、楽しかったよ」
「兄さんも……ありがとう」
なんだかしぼんでいた心が、またぽかぽかになってきた。
「瑞樹なの? もぉぉ早く替わってよ」
「そう焦るなって」
電話の向こうの日常にほっとする。
「瑞樹、元気にしていた?」
「はい、今日は入学式に一緒に行ってきました」
「まぁ、よかったわね」
「はい」
少し沈んだ声だったのだろうか、母が敏感に察知する。
「瑞樹、人生っていいことばかりではないわ。私も瑞樹もそれはよく知っているわよね。上がったり下がったりの繰り返し……でもだからこそ幸せな存在を大切に思えるし、家族が傍にいて戻ってきてくれることに感謝したくなるものよ」
僕も肩の力が抜けて、幼い話し方になっていく。
「うん……そうだね」
「ふふ、少し凹んでいたのでしょう?」
「なんで分かるの?」
「何年一緒に暮らしたと思っているの、瑞樹」
「あ……」
「あなたはそんな時、甘い物を食べると元気が出していたわよ。乳製品好きだったわよね。近くにいたらケーキでも買ってあげるのに」
そういえば、お母さんがたまにふと地元のケーキやアイスを買ってくれた。それは決まって僕が凹んでいる時だった。
「ケーキでも買いに行こうかな」
「そうよ。少し外を歩いていらっしゃい。春の風を浴びて」
「うん、そうするよ」
「瑞樹は、ずいぶん素直になったわね」
母との電話の後、気持ちが晴れていた。
心の雨はやんだ。
傘を畳んで、出かけてみよう。
そして大好きな人たちがここに戻ってくるのを、笑顔で出迎えたい。
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