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整えていこう 6
「あーもうダメだ! 手が笑ってる」
油性ペンを持ったまま、腕をブンブンと振り回した。
「そ、宗吾さん! ペンのキャップをしないと危ないですよ!」
「あ、そうだったな」
「くすっ、やっぱり大きな子供ですね」
「言ったな」
「あと少しですよ。ラストスパート! 頑張りましょう」
最近はキーボード入力ばかりで、こんなに大量の手書きを一度にしたことがないので、もう限界だ!
といいつつも、この作業をしているのがひとりではなく瑞樹も一緒だから、何だかんだといって楽しい。
「ふぅ、やっと終わりました!」
「俺もだ!」
ハイタッチをして喜びを分かち合った。一体何回『たきざわめい』と書いたのか分からないが、とにかく頑張ったぞ!
瑞樹がお道具箱に綺麗にセットしてくれて、明日の準備を整えてくれた。
「よし、そろそろ寝室に行くか」
「あ、はい」
寝室に入ると、瑞樹が小さな溜め息をついた。
きっと疲れたのだな。
「瑞樹も腕が疲れただろう」
「そうですね。小さい文字ばかりなので、肩が凝ったかも」
「どれ?」
手を伸ばすと、瑞樹が焦った表情で身体を半回転させて避けた。
「ま、まだダメですよ」
「なんでだよ? 純粋に肩を揉んでやろうとしただけなのに」
「う……それでもダメです」
「俺が触れるだけで感じるから?」
「も、もう――言わないで下さい」
みるみる目元を染めていくので、分かりやすいし可愛いよな。
「瑞樹は俺に似てエロい」
「ちょっ! もう、宗吾さんの脳内はいつも元気ですね。くすくすっ」
瑞樹がようやく甘く笑ってくれたので、ほっとした。
「瑞樹、さっきはごめんな」
「……何がですか」
キョトンとした表情で見つめ返され、俺が思っているほど気にしていないのかと、話を続けるのに迷った。
「さっき芽生が言ったこと」
「あ……はい。あの……それは……僕の方こそすみません」
「何で謝る?」
「ここは……僕には十分すぎる場所なんです。だから宗吾さんも変に気を遣わないで下さいね」
瑞樹の表情が掴めなかった。笑っているようで……心で泣いているようにも見える。
「君はそれでいいのか。その……いつか俺と一緒の姓になりたいとか願望はないのか」
瑞樹が更に驚いた表情を浮かべた。
「な、何を言って……そんなの無理です」
「そうかな? 俺は時期が来たらそうなって欲しいと考えているのだが」
これはもっと改まって告げようと思っていたのに、あまりにも瑞樹が心細い表情を浮かべるので止まらなかった。
「だ……ダメです……お願いです。それ以上言わないで下さい」
瑞樹が明らかに困惑した表情を浮かべている。
俺、まずいことを言ったのか。
瑞樹の動揺が心に暗い影を落とす。
「瑞樹、悪かった。急に言い出して。その、君を困らせるつもりはなかったんだ」
心に靄がかかる。
俺だけの空回りだったのかと、虚しさもこみ上げてくる。
俺の心を写し取ったのか……瑞樹が溜まらない表情でギュッと抱きついて来た。
俺の肩に額を当てて、震えながら伝えてくれる。
「ち、違うんです。い……嫌じゃありません。そこまで考えてもらっていることにびっくりしたのと……、僕……まだ怖いんです。あまりに一度に幸せすぎると全部失ってしまいそうで。お願いです。ここはやっと辿り着いた場所なんです。戸籍とかに縛られずに……僕をここに置いてもらえますか。今はただの『みずき』がいいんです。『宗吾さんの瑞樹』になりたくて」
そうだった。瑞樹は幸せに臆病な男だったことを失念していた。そしてだからこそ、ひとつひとつの幸せを大切にする人なのだ。いつもの調子でグイグイと焦っては駄目なのだ。つい芽生の素朴な問いかけに引っぱられて、話を急いてしまったことを反省した。
滝沢よりもっと近い場所『宗吾さんの瑞樹』とまで言ってくれたのに、俺は何を不安がっているのか。
瑞樹と一緒に暮らし始めて、まだ1年だ。
いつか俺の戸籍にと夢を抱くのはいいが、今すぐどうこうしない方がいい。この国ではまだ同性婚は認められていない。だから養子縁組みで法的には親子になり、事実上の結婚をするしかないのだが、それは今すぐの話でなくていい。もっとしっかり話し合うべきだった。
「ごめんな。突然、驚かせて」
「そ、うごさん……こんな僕ですみません」
「馬鹿、謝るな」
「ですが」
いじらしい瑞樹、心配するなよ。
「なぁ……今日は指輪をして眠らないか」
「あ……はい」
「本当に『俺の瑞樹』でいいんだな」
「はい、僕の居心地のいい場所です」
****
「瑞樹」
「宗吾さん」
去年……紫陽花の季節に交換した指輪。
白いシーツの上で、お互いの指にまだ真新しい指輪を通した。
お互い仕事場にはつけていけないので普段は箱にしまっているのだが、今日はどうしてもつけたくなった。
「つけるのは、由布院以来だな」
「はい、あのときは心強かったです。そして今日も……」
そっと瑞樹をシーツの上に押し倒した。
今日はゆっくり時間をかけて愛したいと思った。
「瑞樹……今日の俺、駄目駄目だったな、かっこ悪かった」
「そんなことないです。あの……宗吾さん、今日……玲子さんのご実家で何か言われたのですか」
瑞樹を抱き寄せたつもりが、逆に瑞樹に抱きしめられていた。
「……」
「宗吾さん、僕に話してくれませんか。僕だってあなたを受け止めたい」
「参ったな……君に弱音を吐くことになる」
そう告げると、瑞樹は意外な顔をした。
「宗吾さんだって人間ですよ。弱音は当たり前です」
柔らかい瑞樹の髪が顎にあたって、くすぐったい。
甘い花の匂いが心を解してくれる。
「もともと……玲子とは離婚は一大事だったんだ。俺の同性愛を隠して結婚したから……その、つまり」
何からどう話していいのか、何を言っても最低の俺をさらけ出すのに。
「宗吾さんの過去、どんな過去でも受け入れます。怖がらないでください」
「ごめんな。瑞樹、瑞樹にもっと早く出逢えていれば……」
「何を言っているんですか。そうしたら可愛い芽生くんに僕は会えませんでした。僕は今ここにいる宗吾さんが好きなんです。過去も含めて、丸ごと愛しています」
それは俺の台詞だったのに、瑞樹に言ってもらえるとは……。
「う……瑞樹、俺さ、こんな俺でも結婚生活……努力したんだよ。芽生も産まれてもう同性愛も封印しようと、なのに……理解してもらえなくて蔑まれて、いや最後は俺の気の緩みが原因だった」
瑞樹が俺に優しく口づけしてくれた。
弱音を吐く唇を労ってくれる。
「宗吾さん、もっと、もっと話してください。僕に……」
参ったな……
このままだと、数秒後に泣きそうだ。
「向こうの親には、あの時も散々だった。人格否定され、汚いものを見るような目で見られ……今日もだ。俺は家にあがるなと……め……芽生の前で思い切り蔑まれて……芽生の祖母なのに……殴りかかりそうになった……罵声をあげそうになった」
飲み込んだ感情を吐き出すと、俺の目から悔し涙が溢れてきた。
「宗吾さんは頑張ったのですよ。大きな……大きな傘で芽生くんを守ってあげたんですね。カッコいいじゃないですか。僕だって聖人君子ではないです。僕の宗吾さんを偏見の目で蔑み、芽生くんの前で父親を馬鹿にするなんて……許せません」
瑞樹はいつになく力強く言い切った。
俺が守ってやらないと、すぐに枯れそうだった君だったのに……
今は地上にしっかり根を張っているのだ。
今は強風に、耐えられるのか。
だから俺は……瑞樹の胸に顔を埋め、肩を震わせた。
「瑞樹……俺……本当は、悔しかった。その場で……泣きたい程悔しかった」
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