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整えていこう 7
宗吾さんの涙を、僕を静かに受け止めた。
どうか今宵は、気の済むまで泣いて欲しい。
今、心に溜まっているものを洗いざらい吐き出して欲しい。
彼がここまで自分の感情を露わにしたことが、今まであっただろうか。いつも僕を励まし大きく包んでくれて、明るく朗らかに笑ってくれた人の涙は想像より重たかった。
しかし絶対に余すことなく受け止めたい雫だった。
僕はまだ宗吾さんの離婚に至る迄の詳しい経緯を知らない。何が決定打になったのかも聞いていない。全部……いつか宗吾さんが話したくなった時に聞こうと思っていた。
だから……今日彼がぽろりと漏らした感情は、とても切ないものだった。
まだまだ万人に理解を得るのは難しい問題だ。同性同士というだけで、差別や偏見の目もある。まして結婚相手の両親からの蔑みなんて、どんなに堪えるか計り知れない。
それでも芽生くんの祖父母だ。
その葛藤が、彼を苦しめている。
「宗吾さん、宗吾さん……僕の宗吾さん――」
何を話せば、どう励ませばいいのか言葉が見つからなくて……彼の名前を呼びつづけ、抱きしめ続けることしか出来なかった。
宗吾さんは僕の胸元に顔を押しつけ、肩を震わせていた。
その微かな振動に、また切なさが募る。
泣き顔を見られたくないのか、そのまま暫く動かなかった。だから僕は手を大きく広げ、彼の広い背中をゆっくりと押しては返す波のように撫で続けた。
「宗吾さん、大丈夫ですよ。時には吐き出すことも、休むことも大切です。僕は今日……あなたのそんな場所になれて嬉しいです」
「ありがとう。瑞樹、手を繋いでくれないか」
「はい」
今度は横になって二人で仰向けのまま手を繋いだ。
「大きな傘になりたいと思ったが、壊れていたみたいで少し濡れてしまったようだ」
「じゃあ……僕の傘に来ませんか。あまり大きくないですが」
「入れて貰おうかな。それに狭いのは大歓迎だ」
「どうして?」
「ギュッとくっついていられるだろう」
「くすっ、そうですね」
お互い向き合って、額をコツンと鳴らした。
「あー、参ったな。あんなに泣いたりして格好悪かった」
「そんなことないです。あの……宗吾さんは泣いてもカッコイイですから」
「ううう、参ったな。やっぱり瑞樹は俺を甘やかす名人だ」
「名人って……ただ……大好きなんです」
「ありがとう。今の俺は幸せだな。あの頃は離婚に向けての話し合いで会う度に人格否定され落ち込む日々だったよ。あいつの両親からはまるで汚いものを見るような目で見られ……それが今日も全く変わっていなかったのが、ショックだった」
酷い……! それは差別もいいところだ。玲子さんは今でこそかなり丸くなったが、当時はそこまで険悪だったのか。そして玲子さんのご両親は、やはり何を言っても……理解は難しそうだ。
「宗吾さんは立派な父親です。どうか何も恥じないでください。残念ですが回避していくしか」
「ありがとう……俺も無駄な争いはしたくない。醜いだけだ。そんな姿、芽生にも見せたくない」
「カッコイイです。でも僕には甘えて欲しいです」
「瑞樹……君がいてくれてよかった。今日、俺の話を聞いてくれて良かった。俺の泣き言を受け止めてくれて、ありがとうな」
宗吾さんが、僕の髪を指で弄り出す。
これは彼の癖だ。
少し眠くて……甘えたい時の仕草。
「瑞樹の髪は柔らかいな。君の優しい心のようで心地いい」
「さぁ、もう今日は眠りましょう」
「あぁ……そうだな。流石に疲れたな」
「僕たちには明日も明後日も未来があります。だから……ゆっくり生きましょう」
僕の口から、ここまで前向きな明日への期待の言葉が出てくるなんて。
宗吾さんと知り合ってから、ゆっくり一つずつ乗り越えてきた成果が出ているのかな? 芽生くんの『スローステップ』のように、焦らずに向き合ってきたから越えられたこと。
真面目にコツコツやると、ちゃんと報われるのだと思うと、嬉しくなる。
ひたむきに生きることは、見通しが良くなること。
両手で掬ったしあわせを、こぼさないようにゆっくり運んでいこう。
未来へ――
僕の未来。
宗吾さんと歩む未来のために、毎日を大切に。
*****
宗吾さんと手を繋いで眠ると安心した気持ちになり、また夢を見た。最近、頻繁に母の夢を見るのは、ずっと堰き止めていた記憶が溢れ出しているからだ。
夢を見ることも、夢で会うことも、悪いことではない。天国からのメッセージとして素直に受け止めていこう。
……
「みーくん、雨が酷くなってきたわ。そのままじゃ、濡れちゃうよ」
「ママ!」
「さぁ、もうママの傘においで」
レインコートを着て水たまりを踏んで遊んでいた僕を、お母さんが呼んでいる。見上げると虹色の傘が、雨の雫を跳ね飛ばしてキラキラ輝いていた。
「ママのかさ、キレイ!」
「そうかな? ふふっ、まるでみーくんと相合い傘だね」
「あいあいがさ?」
「そうよ、仲良しの人同士がギュッとくっついて、歩くのよ」
お母さんの傘は、当時の僕には、とても大きくて居心地が良かった。
「みーくんも、いつか誰かの大切な傘になるのかな? 楽しみだな」
「うん、ママもいれてあげるよ」
「ありがとう。じゃあ元気でいないとね!」
今日僕がさした大きな傘は、あの日の傘に似ていた。
そして今、宗吾さんにさしている傘も。
守り守られていく。
そんな関係を、この先繋いでいきたい――
「イイと思うな!」
「え?」
「ふふ、驚いた。瑞樹が傘に入れてくれるなんて照れ臭いけど、嬉しい」
いつの間にか僕は成長し、今の僕になっていた。そしてお母さんを傘にいれてあげていた。
「私も、あなたがいないと泣いてばかりいられないわね。今日……あなたが傘をさせてよかった。瑞樹を大切にしてくれる人は、あなたが大切にする人よ。今日のあなたたち、とても良い関係だったわね。瑞樹、あなた……苦労した分、大きく成長したわね」
母はいつの間にか消え、僕の傘には宗吾さんと芽生くんが入っていた。
虹の橋を渡りながら、僕たちは笑い合った。
「瑞樹、もうすぐ雨が止むな」
「はい」
「また、ここにいれてくれ」
「あ、喜んで!」
****
バフッ――!
突然胸に衝撃を受けて、目を覚ました。
至近距離に、芽生くんの黒髪が揺れ、キラキラな瞳が見えていた。
「お兄ちゃんー、おはよう! ボクひとりでおきたんだよ」
「わ、芽生くん、おはよう! 偉かったね」
「あー、パパと手をつないでる! アチチだね」
「わっ!」
宗吾さんの手は、まだ僕の手をギュッと握っており、もう片方の手は僕の腰を深く抱きしめていいた。
あれ? まだ目を閉じているので眠っているのかな?
それにしても朝までずっとこの姿勢だった?
油断していたら、もぞもぞと、布団に隠れた宗吾さんの手が動いたので恥ずかしくなった。
(そ、その動きは……怪しすぎますよ)
「お兄ちゃん? おかお、赤いよ」
「な、なんでもないよ」
「いいなぁ~ ボクも中にいーれーて」
ばっと布団が捲られると、宗吾さんの手もさっと消えた。
(はは、すばしっこいですねぇ……)
「おはよう! 芽生、瑞樹」
「パパ、起きていたの? おはよう!」
「あぁ、芽生は真ん中だ。さぁ手を繋ごう」
「うん!」
あの日の原っぱのように三人で手を繋いで、寝転んだ。
白い天井が、まるで青空のように見える爽快な朝だった。
雨上がりって、いいな。
昨日の煩いも全て洗い流され、すっきりとした気分だった。
毎日色々なことが起きる。
その都度、気持ちはアップダウンする。
だからこそ、協力しあって整えていこう。
凸凹道も、ふたりで……平坦な歩きやすい道にしていこう。
『整えていこう』 了
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