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見守って 2
「葉山、おはよう!」
「おはよう!」
改札で宗吾さんと別れ、会社に向かって歩いていると菅野に声をかけられた。
「あれ? 菅野、すごい汗だな」
「へへっ、寝坊して乗り過ごすところだった。うげっ、汗が……」
額から汗が滴り落ちて目に入ったようで、菅野は痛そうに顔を歪めた。
「大丈夫?」
さっき芽生くんに使ったハンカチで拭いてあげると、菅野が照れ臭そうに笑った。
「よせやい! みずきちゃん、なんか照れるぜ」
「あ、ごめん。つい芽生くんにするのと同じ気分だったよ」
「ははは、俺は小学生か~! そうだ! メイ坊、小学校入学おめでとう!」
「ありがとう!」
「あ……あれ? それって……」
管野の視線が、訝しげに僕の指を辿った。
「どうかした?」
「指輪?」
「あっ! 外すの忘れていた!」
「それって……宗吾さんとのか」
「そうだよ。教えてくれてありがとうな」
「残念だけど、うちの会社ではしまっておいた方が無難だよなぁ。人事はお堅いし葉山は社内で目立つからさ。結婚報告もしていないのに指輪をつけていたら大騒ぎになりそうだぜ」
「……うん、分かっているよ」
左手薬指の指輪は、結婚しているという証し。
僕と宗吾さんは当たり前だが同性同士なので、公に結婚したわけではない。でも去年、北鎌倉で指輪交換をしてから、もう二人の間では家族同様な関係になっている。第三者から見たら理解出来ない話だろうが。
「教えてくれてありがとう。実は昨日の夜からつけて……そのままだった」
「ふぅん……それは二人にとって特別な存在なんだろうな。彼女もいない俺にはまだよく分からんが」
「そうだね。僕たちの……大切なお守りだよ」
菅野は深く頷いて、納得してくれた。
「きっと葉山を守ってくれるよ。でもさ、つけたり外したりしていたら無くしそうだぞ。いつも身につけられるいい方法はないのか」
「えぇ?」
突拍子もないことを言うと、指輪を鞄にしまいながら笑ってしまった。
でも一理あるかも? せっかく二人で結婚指輪を購入したのに職業柄つけられないという新郎新婦も多いと聞いた。だからいつも身につけていられる方法があるのかもしれない。
これって、僕から……宗吾さんに提案してみてもいいのかな?
僕からも『僕らの毎日』にアクションを起こしたくなった。
そんな気持ちになれるのは、きっとこの爽やかな朝のお陰だ。
「そういえばさぁ、この前、宗吾さんが勤める会社の装飾をしたよな」
「うん、それがどうかした?」
「朝、スマホで確認したら、WEB記事にバッチリなっていたぞ」
「え? すぐに確認したい」
部署にはいるなり菅野のパソコンで確認すると『○○代理店・入社式準備風景を㊙公開!』という見出して、僕らが装飾している様子が掲載されていた。
「なぁ……これって小さいけど葉山だって分かるな」
「そうかも。生け込み風景の写真を撮る同意はしたけど、思ったより顔が分かるんだな」
「なんだか心配になってきた。さっきのお守りの話、早めに宗吾さんと相談しておけよ」
「そうだね! 分かったよ」
菅野が心配するのも無理ないし、僕も出来るだけ目立ちたくない。自意識過剰かもしれないが、意中でない男性につきまとわれた暗い過去があるから。
もう二度と、あんな目に遭うのはいやだ。
危険は出来る限り回避したい。
ふぅ、男なのに男に警戒するなんて情けないな。こういう時は、無性に北鎌倉の洋くんと話がしたくなる。そろそろ連絡してみようかな。
あとリーダーが先日勧めてくれたコンクールも、実はあまり興味が持てなかった。見込んでいただけるのは嬉しいが、花は人を癒やすもので、優劣をつけるものではないという思いが根底にあるせいかも。
じゅーん、どうしているかな?
ふと軽井沢にいる弟の顔が浮かんだ。
潤が語ってくれた夢が、心に刻まれている。
潤が育てた花を広樹兄さんが売り、僕が花束やアレンジメントにする。
いつかそんな店を雄大な自然の中に持つのが、僕らの夢だ。
そのためにはしっかり貯金しないとな。
うーん、やはりまだまだサラリーマンはやめられない。
****
給湯室の壁にもたれてコーヒーを飲んでいると、黄色い声が響いた。
「え! 滝沢さんって結婚していたんですかぁー!」
「へっ?」
離婚はしたが結婚はしていたことになるのか。
「あぁ、していたよ」
だから一応肯定すると、もっと騒がれた。おいおい、日本語って難しい。
「ショックですー!」
「え?」
「あ、いえ、何でもないです」
顔を赤らめてパタパタと去って行く女子社員をバイバイと見送って、はたと自分の左手薬指に指輪がついたままなのに気付いた。
そうか‼ これを見て騒いだのか。昨日、瑞樹とつけたまま、取るの忘れてしまったな。
ポリポリと髪を掻きながら苦笑した。
まぁいいか。ここは広告代理店なので自由な社風だ。既婚者でなくてもファッションでしていたりダミーでしている人もいるから、別につけたままでもいいのか。
指輪を見れば、昨夜を思い出す。
瑞樹がどんなに深く俺を励まし、受け止めてくれたか。
瑞樹のさす傘の中に入ると、ザーザー降りだった雨も、まるで春雨のように柔らかくなり心地良かった。瑞樹は花のような香りで両手を広げて優しく包んでくれた。
身体を重ねなくても……手を繋いで眠るだけでも、心と身体が満たされるのだな。
こんな風にしみじみと思えなんて、俺たちの関係がまた一つ深まったのかもしれない。
結局、指輪はそっと外しポケットにしまった。
余計な詮索はされたくない……瑞樹との関係は俺の聖域だから。
だが外すと名残惜しいもんだな。ずっと身につけていられる方法があればいいのに。
いや……きっと何かあるはずだ!
帰ったらすぐに彼に相談してみよう。
きっと瑞樹は花のような笑顔を浮かべてくれるだろう。
そんな予感がする、爽やかな朝だった。
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