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夢から覚めても 5
会社のロビーで、葉山を呼び止めた。
「おーい、葉山、ちょっと待て!」
「えっ、菅野、どうしたんだ?」
「あのさ、葉山の傘はあるのか」
「あっ」
葉山は、案の定……芽生坊の傘だけ握りしめ、大雨の中走り出そうとしていた。
「僕も……傘、なかったんだ」
恥ずかしそうに頬を染めるの様子が可愛いな。
「ははっ、だと思ったぜ。ほら、これ持って行けよ」
「え、いいの?」
「気にするなすんなって、俺の置き傘だよ」
戸惑う葉山の手に、黒い傘を握らせてやった。
「菅野のは?」
「もう1本あるから大丈夫だ」
「そうか……じゃあ……助かるよ」
「葉山がびしょ濡れでお迎えに行ったら、芽生坊が心配するだろう」
「あ……、確かに」
葉山らしいよ。自分よりも相手の幸せを願う奴だから。
「ほら、行った行った! 慌てて転ぶなよ。焦るなよ」
「くすっ……うん」
「なんで笑う?」
「僕が子供みたいだ」
「ははっ、だな。じゃーな」
同期として友人として、親友として放っておけないぜ。
ナイーブなみずきちゃん!
置き傘の話は嘘じゃない。ちょうど骨が折れて壊れたので、差し替えようと持って来たんだ。
もう1本は、捨てるはずだった傘のことだが、内緒だぞ。
骨が曲がっているが、させるからいいよな。ひとりもんの俺にはこれでいいが、葉山には似合わない。
葉山は、芽生坊にとって格好いいパパなんだろ?
特に今日みたいな雨の日に、少しでも早く迎えにいってあげようとする葉山は最高にかっこいい!
****
電車に乗っている間に、雨脚が更に強まった。
電車が遅れないといいがと願ってしまう。
大人の僕でも不安になるのだから、放課後スクールで待つ芽生くんはもっと不安だろう。
まだ一年生なのに、毎日七時の迎えでは、疲れてしまうよな。
せめて週に何回かは六時台に行けたらいいのに。
僕は放課後スクールのような場所を利用したことがないので、芽生くんの気持ちに100%寄り添えうことが出来なくてごめんね。だから今の僕の気持ちを信じて、今日は早く迎えに行こうと決めたんだ。
この分なら六時半には着けそうだ。
移りゆく車窓の風景に、いつしか遠い昔を思い出していた。
10歳までは……専業主婦だった母が家にいたので、いつも学校が終われば真っ直ぐ帰宅出来た。当時の僕は……それこそ何所にでもいる普通の小学生だった。
ランドセルを置いたら、セイたちと野原を駆け周り、雨の日は夏樹とお絵描きをした。
……
「おにいちゃん、みて」
「夏樹は、何を描いたのかな?」
「にじ」
「あれ? 少し色が足りないかな」
「そうなの? おにいちゃん、いっしょにかいて」
「うん、いいよ。赤と橙に黄。えっと……緑の次は青。そして藍色と紫で七色だよ」
あの日は、夏樹と画用紙に大きな大きな虹を描いたよね。
「わぁ~、これならいつでもにじがみえるね」
「じゃあ、子供部屋の天井に貼ろうか」
「うん! パパをよんでくるよ」
あ、そうか……あの絵は天井にお父さんが貼ってくれたんだ。
そういえば、背が高いお父さんだった。
「瑞樹、夏樹、上手に描けたな。虹のジンクスって知っているか」
「ジンクスって?」
「それはな」
お父さんの話を思い出す。
「虹は『幸運の前触れ』という言い伝えがあるそうだよ。だから虹を見つけたら、もうこれ以上辛いことは起きず、幸せが待っているということなんだよ。瑞樹も夏樹もよく覚えておきなさい」
雨が上がると、夕焼け空に見事な虹が架かっていた。
夏樹と手を取り合って喜んだよね。
……
あの日の虹、また見たいな。
もう辺りは暗く雨脚は酷くなるばかりなので、今日は虹なんて見られるはずもないのに何故だろう。無性に見たくなってしまった。
駅から放課後スクールへの道のりは、菅野に気をつけろと言われたのについ早足になってしまう。
芽生くんが待っている。
芽生くんが寂しがっている。
「お兄ちゃん!」
「芽生くん、お迎えに来たよ」
芽生くんを見た時、全部、僕の勘が当たっていたと確信したよ。
少しだけ赤い目、隠すお絵描き。
胸の奥が切なく切なくなってしまうよ。
泣きたい気持ちを我慢しているのが分かったから、ここでは一緒に頑張ろうと思った。
芽生くんの落ち込んだ気持ちを晴れに導くのは、菅野がくれた傘だった。
傘を開くと、僕も見たかった虹が見えた。
なんてタイムリーなのだろう!
芽生くんと僕の心にも虹がかかるよ。
僕が傘をくるりと回せば、芽生くんもくるりと回す。
これが僕らの出発の合図って、決めたんだよね。
芽生くんとふたりだけの約束が増えて嬉しいよ。
雨は酷いけれど、僕らの足取りはしっかりしていた。
マンションの前に辿り着くと、向こうから声がした。
「あ、パパだ!」
「本当だ! 宗吾さんだ」
宗吾さんが大きな傘を持って、手をブンブン降っていた。
手には僕と芽生くんの傘を持っている。
「おーい、二人とも~濡れなかったか。駅まで迎えに行こうと思っていたんだぞ」
「ありがとうございます」
ふたりで、たたっと駆け寄って、傘を傾けて挨拶をした。
「パパ~、かんのくんからすっごくかっこいいカサをもらったんだよ。見てみて」
芽生くんが嬉しそうにカサをくるりと回した。
「お、虹が出てんな」
「うん! すごいよね」
「おう、とにかく家に入ろう。瑞樹、雨の中迎えをありがとうな」
「宗吾さんこそ、家事ありがとうございます」
「あー、あのさ、洗濯もの、びしょ濡れでやり直していた」
「今日の天気予報は、見事に外れてしまいましたね」
「まぁな、そんな日もあるさ」
「はい! そうですね」
ポストを覗くと宅配ボックスに荷物が届いていた。
「あ……広樹兄さんからだ。なんだろう?」
「わぁ~お兄ちゃんにも贈り物があったんだね。よかったぁ」
「贈り物って嬉しいよな。選んでくれた人の気持ちや用意するまでの時間も添えられて、あったかいよな」
宗吾さん……。
宗吾さんのその言葉も、僕にとって最高の贈り物ですよ。
雨に降られても輝きを増すのが、僕たち家族の時間だ。
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