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湘南ハーモニー 25 (菅野編)
葉山が宿泊した翌朝は、いい海風が吹いていた。
葉山の爽やかな心に、俺も浄化されたのか。憑きものが落ちたような、まるで人生の風向きが急に変わったような気分になった。そのせいか風に乗って急に知花ちゃんの声が聞こえ、彼女の墓に呼ばれた気がした。
まさか葉山たちを送った寺で、見えないものが見える力を持ったお坊さんが降ってくるなんて、予期せぬことだった。
「いいですよ……僕の大切な部分に触れても」
風太くんの大切な部分に触れると知花ちゃんに逢えると聞いて、どうしても試したくなった。
だが……彼の一番大切な場所って、どこだろう? もしかしてお饅頭を守るのに必死だったから、それを食べる口か。
「ど、どうぞ……」
彼が俺の前でギュッと目を瞑ったので、そう確信した。
男のくせに小動物みたいに可愛い顔してんな。唇は桜貝みたいに艶めいて、柔らかそうだな。そのままキスしたい衝撃に駆られたが、グッと我慢した。
駄目だ、今じゃない。
きっと近い将来……俺は彼の唇を奪ってしまうだろう。そんな予感に包まれながら、彼の胸元にそっと触れてみた。
心に触れると……お日様色のワンピースを着た知花ちゃんが目の前に、ふわっと現れた。
「と……知花ちゃん!」
「良介くん、逢いたかった」
なんてことだ! 彼女は二十歳のままだった。それは初めてのデートで着ていた服だ。こんな不思議なことが起こるなんて信じられないよ。
知花ちゃんは俺の初めての彼女だった。
すべて彼女が初めてで、彼女も俺が初めてだった。
燃え上がるような短い恋をした。限り或る命だと知り、覚悟の上付き合ったから、一気に上り詰めて一気に墜ちた。
だから彼女が天に召されてしまっても、簡単には忘れられない存在だった。正直に言うと、今日の今日まで引き摺っていた。
彼女の最期の言葉は 『どうかまた恋をしてね。私が終わりなんて嫌』だったのに、ちゃんと目を見て別れの挨拶が出来なかったから、ずっと燻って昇華出来なかったんだ。
あれから五年。新しい恋は始められなかったが、新しい友情を築くことは出来た。
職場で、寂しい瞳の葉山と出逢い、友情を築くうちに、彼が付き合っていた人に振られ、とんでもない事件に巻き込まれたことを知った。そして、そんな彼を全力で支え、彼の瞳から哀しい色を消してくれる存在が出来た事も知った。不思議なことに、その相手が同性だと知っても、気にならなかった。それよりも葉山が幸せそうに笑ってくれる方が大事だった。
葉山の再起は、知花ちゃんを失ってから彷徨っていた俺の虚しい心も癒やしてくれた。葉山にとって『親友』つまり『幸せな存在』の一人になれて、嬉しかった。だからなのか……今度は俺が『幸せな存在』を増やしていく番だと思ったんだ。その心の契機が、今日だった。
「いってらっしゃい」
「逝ってきます! 良介くん、幸せになって! 私も天上で幸せになるから」
その言葉と共に、知花ちゃんの姿は忽然と消えた。
残ったのは、小坊主の風太くんだけだった。
俺は彼を意識して、彼も俺を意識していた。
恋って、突然始まるんだな。まさに今がその時だ。
彼の運転で江ノ島に向かう間、沈黙が続いていた。
らしくないな……何か話題を……
「あのさ、どうしてそんなに最中や饅頭が好きなの?」
「それは決まっていますよ、甘い物はシンプルに幸せになりますから」
「確かにそうだね」
葉山の甘ったるい笑顔に、芽生坊のくすぐったい笑顔も同類かな。あ……風太くんの子リスみたいな表情も、見ていると甘く幸せになる。
「あの風呂敷の中って、全部お饅頭だったの?」
「はい! いつも月影寺の住職が僕に持たせてくれるんです」
「ははっ、餌付けされてんのか」
「かもしれませんね。僕……そのくらいしか、することがないから。家と寺の往復だけで」
「じゃあ、今日もあの風呂敷を抱えて真っ直ぐに家に?」
「もちろんです!」
聞けば聞くほど面白いし、いじらしくて可愛いな。早く灯台最中を食べさせたいな。
「えっと、車はどこに停めますか」
「左に入って裏道へ」
「了解です」
彼の運転は、細やかで乗り心地が良かった。そういえば誰かの運転で車に乗るなんて初めてだな。なんでも自分がで……仕事でも率先して運転して来たからな。
人生もそうだった。
「あのぉ、本当に病院に行かなくていいんですか」
「大丈夫。そうだ、風太くんが治療してよ」
「え? ぼ、僕がですか」
「駄目?」
「い、いいですよ」
駐車場に停めた車の中で、何故か二人とも赤面してしまった。俺は彼を本当に好きになってしまったんだと改めて実感した。
「ここが俺の実家だよ。さぁ、こっちにおいで」
****
えっと~ 出逢ってすぐに実家に挨拶って、急展開過ぎません?
「ただいま~ 姉貴いる?」
ドギマギしながらついていくと、扉を開けるなり大きな声が聞こえてきた。
「まぁ、どうしたの。こんなに可愛い小坊主ちゃんを連れてくるなんて!」
「えーっと、空から降ってきたんだ」
「良介も冗談が言えるようになったのね。そんで雨みたいに降ってきたの?」
「そっ! お饅頭と一緒にね」
「そりゃ御利益ありそうだね」
菅野くんのお姉さんは僕に向かって、合掌した。
えへへ、照れ臭いや。まだまだ何のお役にも立てない修行中の年少の僧、小坊主の僕に、そんな礼を尽くして下さるなんて、いい人ですね!
「良介、この可愛い小坊主ちゃんの名前は?」
「小森風太くんだよ」
「ふぅん、じゃ『こもりん』って呼ぼうかな」
「こ・も・り・ん!」
何それ? 可愛いのですけどぉ~ やったー 僕にも愛称がついちゃった!
「こもりんか。確かに可愛いな。君のこと、そう呼んでもいい?」
菅野くんが僕を覗き込むように聞いてくるので、思わずコクコク頷いてしまった。
いきなりのニックネーム呼びですか~
ところで、1日でこんな急展開していいのですか。まさか……これもまた全部夢ではないですよね?
ほっぺたをムニッと摘まむと、ちゃんと痛かった。
「もちろんですとも。あ……うう、いたた、夢じゃない!」
「おいおい、ほっぺたを痛くしたら美味しいものが食べられないぞ。さぁおいで。灯台最中を一緒に食べよう」
灯台最中!
やったー! やったー!
「うーん、実家だと皆がいるから照れ臭いな。少し散歩するか」
「はい!」
「姉貴~、湿布と包帯と灯台最中とお茶をくれよ」
「ハイハイ、人使いが荒いけど、可愛いこもりんに免じて許すわ」
というわけで、僕こと『こもりん』は菅野くんと初デートに出発です~♫
明日、住職に報告することが一杯だなぁと思うと、ニマニマしてしまう。
「おいで!」
「ワン!」(また言っちゃった!)
「くくっ、やっぱり君は可愛いなぁ」
あとがき(不要な方はスルーです)
****
脱線が続いています。エブリスタの方のコメントで盛り上がった『こもりん』呼びと、あんこ味のちゅう♡まで、書きたくなってしまいました。なので……もう少しだけ月影寺から離れますが、よろしくお願いします。
「小森くん、大丈夫かな?」
「翠? 何を心配して」
翠が心配そうに、山門から続き階段を覗き込んだが、もう誰もいなかった。
「誰もいないし、なんだか良い感じの風が吹いているぞ」
「本当だね。そうか……誰かが去り……誰かが出逢ったのかもしれないね」
翠は晴れ渡る空を眩しそうに見上げて、呟いた。
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