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湘南ハーモニー 26 (菅野編)

「さぁ、出かけるぞ」 「はい!」  目の前には、『灯台最中』の入った紙袋が揺れていた。僕は大の甘党だから、これは溜まらない。 「あの……どこへ?」 「こもりんは、江ノ島見物をしたことある?」 「いえ……恥ずかしながら、いつも『かんの家』の最中を購入したら、Uターンしていました」 「ははっ、やっぱりな。じゃあ海にでも行くか」 「はい! どうか、どうか最中をお忘れなく」  あ、そうだ! 手の治療を忘れていたよ。 「あの、待ってください」 「え?」  僕はぴょんっと飛び跳ねて、彼の背中に抱きついてしまった。 「わっ!」 「あのっ、先に手の治療した方がいいと思います」 「あぁ、そうだったな」  玄関先で、彼の手に湿布を貼り、ぐるぐると包帯を巻いてあげた。 「へぇ、こもりんは、器用だね」 「えへへ」 「ほんと可愛いな」  ひゃあ……照れます。 「よし! じゃあ行こうか」  僕たちは参道を登って大きな赤い鳥居を潜り、右側の山道に入り、そのまま道なりに15分ほど歩いた。 「君とは急展開だよな。俺、今、すごくドキドキしているよ」 「ぼ、僕もです」 「着いたよ。ここは江ノ島の名所『稚児ヶ淵』だ。ここから眺める夕日の美しさは格別なんだ。今日はきっと美しい夕日が見られるだろう。だって……君と出会えた日なんだから」  あれ? 確か……『稚児ヶ淵』って悲恋物語から来ていると、住職が話してくれたような。  かつて修行僧がこの地で美しい稚児と出会い恋に落ちたが、その後思い悩んだ稚児は断崖絶壁から身を投げ、恋が叶わなかった僧侶も後を追って身を投げたそうだ。  どうして、そんな悲しい場所に? 「安心してくれ。名前の由来になったような悲しい伝説は、もう二度と起こらないよ。そのことを言いたくて……敢えてここに連れてきたんだ」  そのニュアンス分るかも……! 僕の言葉で置き換えてみよう。 「……そうですね。最悪の事態を迎えた場所には、もうそれ以上の苦しみは存在しません。そこは、未来への希望、夢……幸せで溢れる場所に生まれ変わると住職が言っていました」 「へぇ、月影寺の和尚さんは良い事を教えてくれるんだな」 「はい! 住職はとっても綺麗で優しいんですよ。今日だって、お饅頭を抱え切れない程下さいました!」 「それ…… ごめん、少し妬きそうだ」 「えっ」  僕達は、波の音と海の香りを感じる岩場に並んで腰掛けた。   「さぁ、灯台最中を好きなだけ食べていいよ」 「やった〜! いただきます」  箱一杯に並ぶ灯台のカタチの最中は、皮がカリカリで香ばしく、あんこの甘さが絶妙だった。 「もぐ、もぐもぐ……ふはぁ~ しあわせ」 「本当に美味しそうに食べてくれるんだな」 「えへへ」  しまった! 夢中に食べ過ぎた?  菅野くんにじっと見つめられて、照れ臭くなってしまった。 「あんこ、ついているよ」 「え? ここですか」 「違うよ。逆だよ」 (ああん、恥ずかしいです) 「あれれ?」 「くくっ、そんなに慌てなくても、大丈夫だよ」  菅野くんって優しいなぁ。 「あの……本当に僕と付き合ってくれるんですか」 「もちろんだよ。俺と付き合ってくれるかい?」 「……信じられません」 「どうして?」 「だって僕は胸もぺったんこの男ですよ」 「だから?」 「もしかして揶揄われているのかなって、心配になります!」  あれれ? 僕、どうしてしまったの? こんなの、駄々っ子みたいだ。急に恥ずかしく居たたまれなくなって、ここから消えたくなった。 「僕、もう、帰ります!」 「え? ちょっと待って」 「やっぱり無理なんでしょう?」 「どうして? なんで、そーなる?」 「だって……菅野くん、さっきキスしてくれなかったから! ぼ……僕の一番大事な所に」  慌てて帰り支度をして、パタパタと走り出してしまった。  わーん、いいムードだったのに~! 勝手にいじけてしまうなんて、最悪! 恥ずかしい、恥ずかしい、もう消えてしまいたい。 「こもりん、待って! 違うんだ! さっきしなかったのは……っ」 「え……」  ドンっ  ここで、か、壁ドンですか~ (僕、少し情報が古いのです) 「あ、あの?」 「風太! よく聞け!」  菅野くん、真顔だ。しかも『ふ・う・た』と呼び捨てですか! これはグッときます! 痺れます! 「……君とのキスはね、誰かのためではなく、君と俺だけのものにしたかったんだ」 「ぼ、僕……ふぁーすとキスなんです」(ああん、言わなくてもいいのに、馬鹿! 馬鹿!) 「嬉しいよ。尚更、欲しい」 「へ?」 「君のファーストキスは俺がもらう」  あわわ!  菅野くんの顔が、どんどん近づいてくる。  背後は岩場で、身動きが取れないよ。  僕は目をギュッと閉じて、顎を逸らした。  僕も同じ気持ちです。  唐突ですが、菅野くんにあげたいです!    

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