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日々 うらら 7
「……瑞樹」
「……んっ……」
いつもなら瑞樹の方が早く起きるが、今朝は疲労困憊のようで目を閉じたまま眠たそうにしていた。
「今日は寝ていていいよ。会社午後からだろ?」
「……ふぁ……い」
「くくっ、可愛いな」
舌足らずな寝惚けた様子なのはレアだから、俺は目を細めて瑞樹の柔らかな猫っ毛を撫でてやった。
昨日は沢山、感じてくれてありがとうな。
抱かれてくれてありがとう。
全てを投げ出して、全てを委ねてくれた。
感謝している。
そして愛している。
朝からキザか。
照れ臭くなるよ。
俺ってこんなロマンチックな男だったか。
瑞樹と過ごす日々は清らかな光に包まれているようだから、自然とそうなってしまう。
布団をかけ直してやり、ひとり部屋を出た。
「あー これはまた、散らかってんな」
帰国して家に戻るなり、芽生の宿題の山にショックを受ける瑞樹と出くわした。
瑞樹はハプニングが苦手だ。
動揺する君を慰めて、芽生の勉強を促して、そこから怒濤の時間だった。
「やれやれ、誰に似たんだか」
まぁ俺に似たのだが。
だが、まだ小さい芽生にも、こんな風に普通の子供らしい一面があることにホッとした
失敗したり転んだりしながら、子供はやがて大人になっていく。
だから慎重になり過ぎるなよ。
空気を入れ換えようとリビングの窓を開けると、すごい光景だった。
まるで生命の泉だ。
真っ白な朝顔が、鉢植えにぎっしり咲き誇っていた。
「へぇ……流石だな。凄いな。こんなに咲くなんて」
「パパー、おはよう! お水をやらないと」
可愛い足音がしたので振り向くと、ペットボトルを持った芽生が立っていた。まだパジャマ姿でボサボサ髪だったが、ニコニコと溌剌とした笑顔を振りまいていた。
「おはよう、ひとりで起きたのか」
「うん! あさがおさんにお水をやるからね」
「それ、いいな。ジョウロなのか」
芽生が大切そうに抱えているものは、ペットボトルのキャップに穴を開けて、周りをカラーテープでデコレーションした可愛いジョウロだった。
「えへへ、お兄ちゃんが作ってくれたんだよ」
「良かったな。これなら芽生でも重たくないな」
瑞樹らしい気遣いに関心した。
朝顔の鉢は、瑞樹が世話すれば綺麗に花が咲くだろうが、ちゃんと芽生の入る余地を残してくれている。いや……むしろ積極的に関われるように、こんなアイテムまで用意してくれる。
全部、心から相手の気持ちを思いやれるから出来ること。
「パパ、ボクね、もっと力持ちになりたい」
芽生が少しだけ悔しそうな顔をする。
ん? こういう表情は珍しいぞ。
幼稚園の時には見せなかった、大人びた表情だった。
「どうしてだ?」
「あのね、お兄ちゃん、とっても忙しそうだったの……パパがいない時」
「そうだったのか。どんな風に?」
おそらく瑞樹から話すことはないと思ったので、芽生に詳しく聞いてみたくなった。
「ボクの部屋の電気がね、きれちゃったの」
「そうか、瑞樹が替えてくれたのか」
「お兄ちゃんが、おイスにのって」
「大丈夫だったか」
「ボクがイスを押さえたよ」
「偉かったな、他には」
「お買い物! おにもつたくさんなのに、お兄ちゃん全部ひとりで持っていて……パパがいたらよかったなって思ったよ」
「そうか、そうか」
芽生の頭をポンポンと撫でてやった。
優しい子だ。
「なぁ芽生も留守中、ありがとうな。瑞樹を守ってくれて」
「ボクは何もしなかったよ」
「いや、一緒に眠ってくれたんだろう? 瑞樹はおかげで怖い夢を見なかったよ」
「そうかな? そうだといいな」
「それに芽生と一緒にデートもいっぱいしたんだろ?」
「うん! えへへ、あのね、とってもたのしかったよ」
ちょっと羨ましいが、良かったな。
小さな芽生の存在が、瑞樹の恐怖と寂しさを充分和らげていたと思う。
「あ、お兄ちゃんは? おこしてくるよ」
芽生が寝室のドアを開けようとしたので、思わず止めてしまった。
「ちょっと待て。 今日は寝かしてやろう。疲れているんだ」
「うん……でも」
芽生が心配そうに、モジモジし出す。
「どうした? 小学校まではパパが送ってやるぞ。朝顔の鉢やお道具箱、一人じゃ持ちきれないだろう」
「う……ん」
芽生の声は、まだどこか不安そうだった。
「なんだ? パパじゃ駄目なのか。瑞樹がいいのか」
少しだけ俺もムキになってしまった。(俺も大人げないよな)
すると芽生はブンブンと頭を振って否定した。
「ちがうよー パパがアサガオ、もってくれるの、すごーくうれしい。でもね……」
「ん?」
深呼吸だ。深呼吸をしよう。
瑞樹を見習って根気よく……躊躇う理由を聞き出そう!
「どうした?」
「あのね……ボクとパパがいないときに、おにいちゃんが起きたら……さみしいし、こわいかもって」
「あーそこか」
失念していた。瑞樹の身になれば、寝坊したことを恥じ、しかも置いてきぼりにされたように感じて寂しがるかもしれない。
「うーむ、やっぱり起こすか」
「ううん、お兄ちゃん、毎日ボクよりずっと前に起きて、いそがしそうだったから……今日はねかしてあげようよ」
「いいのか」
「んーっとね」
芽生が一人前に腕組みして、何やら考えている。
小さな頭で一生懸命だ。
「あ、いいこと思いついたよ!」
「何だ?」
「お手紙を書いてくるよ」
「おぅ、芽生からの手紙があれば喜ぶよ」
「ほんと? ボク急いでかいてくるよー、あ、まずはアサガオさんにおはよう言わないと」
芽生が「おはよう~♬ ボクのかわいいアサガオさん♬」と歌いながら、ペットボトルで水をやっていた。
一人前になってきたな。
芽生と瑞樹の愛情をたっぷり注がれた朝顔だから、こんなに綺麗に咲いたのだなと納得した。
その後……芽生が瑞樹の枕元に置いた手紙を見て、不覚にも泣きそうになった。
……
お兄ちゃん、おはよう!
ぼくとパパはいないけれど、すぐにかえってくるからね。
あのね……きょうはゆっくりねむってほしかったから、わざとおこさなかったんだ。
ぼくね、パパがいなかった10にちかん、とってもたのしかったよ。
お兄ちゃんがいてくれたから、さみしくなかったよ。
お兄ちゃんって……やさしくって、やさしくって、ほわんとしているんだもん。
アサガオのことも、たくさんありがとう。
みんなにみてもらうの、たのしみ。
じゃあ、がっこうにいってきます!
またあとでね!
ぜったいに、ぜったいに、だいじょうぶだよ!
お兄ちゃんのことがだいすきなメイより
……
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