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降り積もるのは愛 12

「パパ、お兄ちゃん、はやく! はやく!」 「待って、コートを着ないと駄目だよ」 「芽生、興奮しすぎだ! 瑞樹、君もダウンを着て」 「はい!」  僕たちはコートやジャケットをモコモコに着込んで、ドタバタとマンションの下に降りてきた。  マンションの中庭には子供が遊べる小さな公園があり、見事な銀世界になっていた。  真っ白な世界が、眼前に広がっていた。  今日は晴れているので、昨夜しんしんと降り積もった雪が、朝の柔らかな陽射しを浴びてキラキラと輝いていた。   「わぁ! きれいー まっしろ!」 「おぉ! これはすごいな」 「まさに白銀の世界ですね」  都心に10年ぶりに降った大雪で、20cm以上の積雪に覆われた街は、昨日まで見ていた景色と別世界だった。  僕をどこまでも優しく包み込んでくれる。  雪景色に誘われるように、大沼の雪原を走り回った無邪気な興奮が蘇ってきた。 「すごい! すごいよー お兄ちゃん ここ、スキー場みたいだね」 「そうだね、あそこを歩いてみよう」 「うん!」  まだ誰も足を踏み入れていない新雪は、踏みしめるとキュッキュッと音がした。 「これは気持ちいいな」 「はい! 真新しい気分になれますね」 「だな」 「あれ? わぁー すごい!」  少し前を歩いていた芽生くんが、驚いた声をあげた。 「どうしたの?」 「お兄ちゃん、ここ、ボクたちが一番じゃなかったみたいだよ」 「え?」  芽生くんが指差す方向を見ると、小さな足跡が踊るように歌うように走り回っていた。 「え……誰?」 「こんな朝早くに、小さな子供の足跡だけなんて変だな」 「ですよね」    宗吾さんが顎に手をやり訝しがっている。    僕も不思議な心地で、宗吾さんと顔を見合わせてしまった。    すると芽生くんがその足跡に、自分の足をあてて叫んだ。 「わかった! お兄ちゃん、これはナツキくんだよ。ボクのよりちょっとだけ小さいからね」 「えっ」  そんなに素敵なことが?  足跡は広場の中央に突然舞い降りて、そこから縦横無尽に楽しそうに走り回っていた。  僕は知っている。こんな風に楽しく元気よく走り回る足跡を見たことがある!  この僕が、かつて見た光景がまざまざと脳裏に蘇ってくる。 「おにいちゃん~ おにいちゃん、こっちだよー」  僕を呼ぶ幼い声。  小さな足跡は雪原をキャンパスに描かれるアート! 「あ……夏樹……夏樹なの? こんなに雪を降らせて、ここに遊びに来てくれたのは……夏樹なの?」  僕は自然に走り出していた。 「瑞樹、ちょっと待て! 落ち着け」 「あ……でも夏樹がまだ近くにいるかも」 「お兄ちゃん、待って」  嬉しくて会いたくて、僕は足跡の行方を追って駆けだした。  お兄ちゃん、今はもう十分幸せだよ。  ひとりではない、幸せに暮らしている。  それでもね、夏樹が傍にいると思ったら会いたくなってしまうんだ! 「瑞樹、そっちは茂みだ。止まれ」 「あ……っ」  急ブレーキをかけると足が滑って、雪で覆われた生け垣に倒れ込みそうになった。 「おい、危ないぞ!」 「お兄ちゃん」  宗吾さんが手を伸ばして転ぶのを止めてくれたが、引き戻された拍子に、ダウンコートを尖った小枝に引っかけてしまった。  ビリッ―― 「あっ!」  目の前が白くなった。  風に吹かれ雪景色に舞い上がる羽毛は、まさに天上に還って行く夏樹の羽のようだった。  天使の羽なの? 「あ……夏樹……」 「お兄ちゃん、あれは夏樹くんの羽だね」 「うん……本当に遊びに来てくれたんだ」 「楽しそうだったね」 「うん……」  宗吾さんがそっと手を繋いでくれる。 「瑞樹、ダウン破ってごめんな」 「これは広樹兄さんのお古で、もうだいぶ痛んでいたんです」 「新しいの買おうか」 「そうですね。最後は夏樹が天国に戻る羽になってくれたのなら、本望です」  空高く舞い上がった羽毛が、ふわりふわりと僕たちを包むように舞い降りて来た。  優しい羽が、僕の頬を掠める。  人知れず浮かんでいた涙を吸いとり、優しく頬を撫でてくれる。 『おにいちゃん、ぼくは元気にやっているから、泣かないで。雪があんまりキレイだったから、ちょっと遊びにきたんだよ』  そんな可愛い声が聞こえるようだった。 ****  その日の午後、また驚くことがあった。  軽井沢に住んでいる潤から、大きな小包が届いた。  開けてみると、ミルクティーのようなベージュのダウンコートが入っていた。 「えっ!」 「すごい、ダウンコートなんて、タイムリーだな」 「驚きました」  お母さんが潤の所に遊びに来て、軽井沢のアウトレットで一緒に選んだと手紙が添えてあった。しかも僕と広樹兄さんと潤、三人でお揃いだと書いてあった。 「うっ……うう」  今度は本気で泣いてしまった。  嬉しくて、嬉しくて。  お母さんと潤の気持ちが温かくて、溜まらないよ。   「瑞樹、試着したらどうだ?」 「はい」 「お兄ちゃんにぴったりのやさしい色だねぇ」  僕は真新しいダウンコートを着て、宗吾さんに写真を撮ってもらった。  そして軽井沢にいる潤とお母さん宛てに送った。  ダウンコートはぬくぬく暖かく、離れていても一緒にいるような、家族の温もりを感じていた。  すぐに返信があった。そこにはお揃いの黒いダウンを着た潤が映っていた。 「潤も似合っているよ。お母さんの写真も見たい」と打つと、今度は電話があった。 「兄さん、いいのか」 「なんで?」 「そのさ……オレが母さんを独り占めしているみたいで悪いなって」 「馬鹿だな、潤……そんなこと思っていないよ。潤が沢山お母さんに甘えられてよかった」 「甘えてなんか、いねーよ。あ、あのさ……アフタヌーンティーのチケットありがとう。お母さんを連れて行ったんだ。その時の写真を見てくれるか」  潤は恥ずかしそう、また写真を送ってくれた。  赤いセーターと緑のセーターを着た二人が、とても温かそうな部屋で微笑んでいる。 「セーターの色、カーネーションみたいだね。二人は……共に支え合っているんだね」 「へぇ……流石兄さんだな。ホテルの人にも言われたんだ。母さん、花に例えられてメチャメチャ喜んでた」 「そうだね……僕達のお母さんは花のような人だよ。いつもそう思っていた。うん、この写真で確信したよ。優しいカーネーションみたいだ」  

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