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降り積もるのは愛 19

「そろそろ水族館に移動しようか」 「おー!」 「くすっ」 僕たちはカフェを出て、また歩き出した。 「あれ? 芽生くん。ちょっと待ってね」 「んん?」 「お口のここに、ココアがついているから」 「あ~」 「ちょっとペロッとなめてごらん」 「ペロペロ~」 「ふふっ」    まだ落ちきれなかったので、僕はしゃがんで、芽生くんの口元をハンドタオルで拭いてあげた。   「あ……っ」 「どうしたの?」    芽生くんが困った顔を浮かべている。 「お兄ちゃんの真っ白なタオル、きたなくなってしまうよぅ」 「あぁ、いんだよ。洗えばちゃんと落ちるから」 「そうなの? じゃあ……ありがとう!」 「どういたしまして」  汚れたって、大丈夫だよ。  気持ち次第でちゃんと落とせるんだよ。  ふと……あの日の出来事を思い出した。  あの日、あの場所は……こんな寒い日だった。  大切に守ってきたものを根こそぎ奪われてしまった軽井沢。  だが……あの時の汚れは、もう綺麗に落ちたんだ。  汚れてしまったと泣いた日は、もう過去だ。  どうしてだろう?  最近ふと瞬間にあの事件を思い出す。  それはきっと僕が今、とても幸せな時間を過ごしているからなのかな。  そして、もうすぐ潤と函館に行くからだ、きっと――  この前行った時は、あの建設会社の看板の前を、無事に通り過ぎることが出来た。  だから今度も……もう大丈夫なはずだ。 「瑞樹? 大丈夫か。次は君の好きな水族館だぞ」 「あ、はい!」   気持ちを切り替えないと……  そうだ、僕は海が好きだ。  北国育ちだが、函館の街には近くに海があったから、馴染みが深い。  いつも学校帰りに目を細めて、海を見た。  海の広さに感動し、海の深さに癒やされ、海で心を休ませていた。  だからなのか水槽の前に立つと、騒めいていた心がすっと落ち着いた。  そっとガラスに擦れるとひんやりと冷たくて、スッと穏やかな心地になれた。 「お兄ちゃん、お魚さんいっぱいだねぇ」 「うん。そうだね」 「あ! あれ!」 「ん?」  イカが浮遊しているのを指さして、芽生くんが目をらんらんと輝かせていた。 「どうしたの?」 「あれって、さっき食べたのだよね~ おいしそう! じゅるるー」 「ぷっ! おーい芽生、いいムードが台無しじゃないか」 「くすっ、宗吾さん、叱らないで下さい。僕の弟もよくそんなこと言っていましたよ」 「お! それは、潤だな」 「あ、そうです。潤の方です」 「いかにもアイツが言いそうだ」 「ですよね、潤は食いしん坊でした」 「分かる」  宗吾さんが腕組みしてフンフンと頷いている。 「函館に行ったら、アイツにたんまり食わしてやろう」 「それは喜びますよ」 「いや、やっぱりやめた」 「え?」 「アイツには、ひもじい思いをさせよう」 「え?」 「小さな頃、好物は君の分まで食べたりしただろう」 「あ……」  何でそれを知っているのか。 「瑞樹、君はいい人過ぎるぞ。食べ物の怨みが怖いことを俺が教えてやろう。なっ」 「くくっ」  宗吾さんと話して言ると、過去の暗い思い出も、なんだか楽しくなってくる。  宗吾さんは本当にムードメーカーだな。 「はい、じゃあ、そうしましょう」 「あー、パパたち、それは『わるだくみ』っていうんだよぉ」 「ギョギョ! 芽生は難しい言葉を知っているんだな」 「えへへ、おばあちゃんのうりうりだよん」  うりうりって?   くすっ、もしかして……受け売りのことかな?  芽生くんがお尻をぷりぷりさせるのがとても可愛かったので、突っ込むのはやめておいた。  宗吾さんも同じ気持ちらしく、僕と顔を見合わせてニコニコしている。 「瑞樹、芽生、あっちも見ようぜ」 「はい」  今度は、南太平洋の魚の群れだ。  ロマンチックでカラフルな、南国の魚の洪水。  キュッ…… 「瑞樹、俺たちの息子は可愛いなぁ」 「あ……」  俺たちの息子と……?  そんな風に僕のことを位置づけてくれる宗吾さんが、やっぱり大好きだ。  そのまま、僕は宗吾さんに近づいた。  そっとダウンコートの袖を近づけて、手を握りあった。  モコモコのコートはいいな。  こんなこと出来るなんて。 「便利なコートを手に入れたな」 「あ……はい」 「函館旅行でも大活躍だな」 「はい」 「みーずき、函館は怖くない。もう怖くないんだよ」  僕を励ましてくれる優しい言葉には、思いやりという愛が籠もっている。 「そうですね。宗吾さんと芽生くんが一緒なので、楽しみです。僕の故郷でも、新しい思い出を沢山作りましょう」  そう微笑みかけると、宗吾さんは暗闇でも分かるほど赤面していた。 「うう、幸せ過ぎる……」 「パパ、どうしたの? 落ち着いて」  僕らの進む道はとても明るい。  僕は優しさに包まれ、愛を注がれて生きているから。  寒い冬にしんしんと降り積もるのは、愛だ。                           『降り積もりのは愛』 了

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