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花びら雪舞う、北の故郷 2

「芽生坊、トイレに一緒に行くか」 「うん!」  潤が飛行機の中でも芽生くんの相手を熱心にしてくれたので、ゆっくり飲み物を飲めた。 「はぁ、美味しい。ん? 瑞樹も珈琲にすれば良かったのに」 「……あ、でもシータイムというドリンクが爽やかで好きなんですよ」 「そうか……悪いな、俺だけ」 「いえ!」  芽生くんと過ごすようになってから、つい熱いドリンクは敬遠してしまうようになった。 「瑞樹、潤……また変わったな」 「ですよね」  潤の話では、ローズガーデンで庭の手入れをしていると、来園者の小さな子供に話しかけられることが多いそうだ。だから鍛えられたと。  僕が函館の家に引き取られた時、潤はまだ5歳だった。お世話してあげた小さかった潤を思い出すと、感慨深いものがあるよ。  途中上手くいかずに、こじれてしまった間柄だったが、こんな風に僕の大切な芽生くんを、潤が優しくお世話してくれる光景を見られて、幸せだよ。 「宗吾さん、潤……やっぱり誰かと付き合っているみたいですね」 「だな。さらに人当たりがソフトになったのは絶対にそのせいだ。俺に任せておけ! 夜たっぷり飲ませて聞き出してやるよ」 「くすっ、ほどほどにして下さいね。潤が可哀想です」  あの日、潤と飛行機に乗れなかった僕は、もういない。機内でも幸せな時間を過ごすことが出来、僕の気持ちは、ますます膨らんでいった。  望郷の想いが、満ちてくるよ。 「瑞樹」 「あ……」  宗吾さんがさりげなくブランケットの中で、手を握ってくれた。  宗吾さんのこういう大胆で積極的な所が好きだ。  本当に彼は愛情深く、温かい人だ。 「お兄ちゃん、じょうずにおトイレ出来たよ」 「偉かったね。怖くなかったかな?」 「ジュンくんが笑わせてくれたから、ぜーんぜん!」 「そうなの? 潤、ありがとう」 「お安いご用さ! 俺さ、兄さん、おむつ替えを手伝ったこともあるんだぜ」 「え! 潤がおむつ替えまで?」 「……おもらししちゃった子の処理も出来るし、いやはやローズガーデンは、ある意味ワンダーランドだよ」 「そうなのか」 「兄さん、働くのって面白いな」  潤の口からそんな台詞を聞ける日が来るなんて――  飛行機は定刻通りに函館空港に着陸した。  北の大地に戻って来た。  いよいよだ。  重たい機体が大地に降り立つ衝撃を、感慨深く受け止めた。  そして到着ゲートに着くなり、広樹兄さんの声が鳴り響いた。 「瑞樹ー! 潤ー!」 「兄さん!」  宗吾さんと潤が僕の横からサッと離れたかと思うと、僕は広樹兄さんにもみくちゃにハグされた。 「久しぶりだなぁー! 瑞樹は相変わらず可愛いなぁ~」 「に、兄さんってば……」  相変わらずの無精髭だね。もうっチクチク当たって痛痒いよ。 でも……やっぱり照れ臭くも嬉しくて、僕も兄さんに軽く抱きついてしまった。 「お店は良かったの?」 「みっちゃんと母さんの許可はもらってきたさ」 「嬉しいよ。大勢で押しかけちゃってごめんね」 「いや、賑やかなのが大好きだ! おー、宗吾!」  宗吾さんと広樹兄さんも、ハイタッチ! それから兄さんがちょっと照れ臭そうに、潤の頭をくしゃっと撫でた。 「潤、お前、更にいい顔になったな」 「サンキュ! 兄さんは相変わらずのブラコン全開だよな」 「おー! じゃ、お前もハグハグしてやるぞ」 「遠慮するよ。俺より芽生くんを抱っこしてやってくれよ」 「おぅ芽生くん、覚えているか」 「うん! ヒロキおにーちゃん♡」 「か、可愛い……男の子も可愛いな。次は男の子もいいな」  芽生くんが兄さんに抱っこしてもらう。  兄さんは、宗吾さんよりも更に体格が良くて背が少し高いので、芽生くんもキャッキャッと嬉しそうに笑っている。 「店のバンで来たんだ。行こう!」 「ありがとう!」  空港から函館市内の家までは、兄さんの運転で向かうことになった。  僕は緊張した面持ちで、窓際でじっと外を見つめた。  ここにひとつ、僕の関門がある。  過去に見た光景が蘇ってくる。  あれは広樹兄さんの結婚式の時だ。僕だけ先に帰省して参列し、遅れてやってきた宗吾さんと芽生くんを空港まで迎えに行った時、大きな工事現場の前で信号待ちをした。  その瞬間、目に入ってきた光景に、ひっと悲鳴を上げそうになった。  それは現場を囲う養生ネットの会社のマークだった。あの印を見るだけで、心臓が嫌な動きをする。あいつのスーツの胸元についていた社章と同じだから。  あの日、僕はアクセルを思いっきり踏んで、過去を振り切るように飛び立った。だから……もう大丈夫なはずだ。 「おっと信号だ、悪い!」  キュッと音を立て、車が信号で停止した。  ふと横を見ると、あの日と同じ場所だったのでドキッとした。  だが……そこには工事現場ではなく真新しいマンションが建っていた。  当然、アイツの会社の看板もない。 「瑞樹……大丈夫か」 「……はい。宗吾さん時が経過するって、こういうことなんですね」 「ん? あぁ……そうか、ここか」  宗吾さんもこの場所を覚えているらしく、深く頷いてくれた。 「もうここにも、ないな」 「はい……そういえば、どこにも見かけませんね」 「……そうだな」  前はもっと頻繁に見かけていたあのマークが函館の町に、まだ見当たらないのが不思議だったが、僕にとっては朗報だ。  何故なら……安心して息が出来るから。  事件直後、函館で療養して時は、隣駅にアイツの会社があるのが怖くてろくに出歩けなかったことを思い出す。  看板は見当たらなくなったが、会社の前を通るのは正直今でも怖い。  あそこは高校への通学路だった。それで目をつけられ、追い回され、高校時代にも大変な目に遭った。  ギュッと膝の上で手を握りしめると、宗吾さんが優しく上から包んでくれた。 「瑞樹、もう大丈夫なんだよ」 「どういう意味です?」 「……知りたいか」 「はい、知りたいです。でも、ここでは……」 「分かってる。あとで話すよ」 「はい」  僕は自己防衛もあって……あの事件の情報から一切を遮断してきたが、もしかしたら宗吾さんは何かアイツの行方を知っているのかもしれない。  僕は今こそ、目を背けず向き合いたい。  今、アイツがどこにいて何をしているのか。  僕はもう二度と傷つけられたくないから。  逃げるのなら逃げる。  避けるのなら避ける。  どんな手段を使ってでも、もう絶対に勝手に僕に触れさせない。  僕の身体は、僕のものだ。  そして僕が大切に思う人にだけ触れて欲しいんだ。  もう……意志を曲げることは、イヤなんだ。 「おい、怖い顔になっているぞ」 「あ……すみません」 「安心していい。瑞樹はもう大丈夫なんだよ」  宗吾さんが何度も何度も、大丈夫だと言ってくれる。    それだけで安心出来る。  僕が愛した函館の街が戻ってくる予感に包まれていた。         

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