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花びら雪舞う、北の故郷 33

「なんてことだ……みーくん……君は、あの、みーくんか」  僕をその呼び方で呼んでくれるなんて、やっぱり、この人は……もりのくまさんだ。  小さい頃からくまさんのことは知っていたのに、僕は記憶を閉ざしてしまい、彼の存在を今まですっかり忘れていた。 「くまさん、森のくまさぁ……ん」 「みーくん、大きくなったな。そうか……あの惨い事故で、君だけが……生き残ってくれたんだな」 「……はい……はい、そうです。あの……さっきは助けてくれてありがとうございます」 「あぁ、庭で薪割りをしていたら突然人が降ってきて驚いたぞ。途中で樹に引っかかったから、受け止められたんだ。樹が守ってくれたんだな」  樹が、僕を守ってくれた?  じゃあ……あれは……お父さん……だったのですか。  落下していく僕を力強く抱きしめてくれたのは――  大樹という名を持つお父さんの気配を感じました。 「ざっと確かめたが、怪我はないようだ。とにかく君に会いたかったよ。生きていてくれて……ありがとう! 今、どうしている? あぁ聞きたいことばかりだ。大樹さんの息子さんにまさか会えるなんて――」 「僕もです。両親のことを知っている人を……ずっと探していたんです」 「そうか。俺が全部知っているよ。君のご両親のことなら……君のお父さんは……」  そこで、窓の外から大好き人の声が聞えた。 「瑞樹、瑞樹―― どこだ?」 「お兄ちゃん~ どこぉ?」  僕が窓に張り付くと、愛しい人の姿が見えた。 「誰だ? みーくんを探しているぞ」 「はい! あの、迎えに行ってきます」 「あぁ、ダウンコートを着ていけ」 「はい!」 ****   「パパ、あそこ、見て!」 「なんだ?」  芽生が真っ青な顔で指さした方向を見て、ぞっとした。  白いガードレールの向こう側に、俺の母が編んだ手袋が落ちていた。  しかも片方だけ。 「み、瑞樹?」 「パパ、あぶないよ。ヒロくんがいっていたよ。雪がつもってキレイに見えても、そこはガケかもしれないって。お、お兄ちゃん、どこなの?」  ガードレールから身を乗り出して確認するが、雑木林が茂っているだけで何も見えない。  まさか、ここから落下したのか。  背筋が凍る。 「あっ、パパ! キタキツネさんがいるよ」 「何だって?」  芽生が何かに取り憑かれたかのように、歩き出す。  前方にはフサフサの毛のキタキツネが立っていた。 「よんでるみたいだよ。ついていこうよ!」 「芽生、おい、ちょっと待て」  俺が芽生を引き止めると、キタキツネは小首を傾げ、雑木林に顔を突っ込んだ。 「何をしてるんだ?」 「さがしものかも。あっ……!  雪まみれの顔で戻ってきたキツネが口にくわえていたのは、瑞樹のもう片方の手袋だった。 「パパ! やっぱりこのキツネさん、お兄ちゃんのことを知っているんだ」 「そうだな!」  藁にも縋る思いで、キツネについて行った。 「大丈夫! 大丈夫だ」  いつも瑞樹が言ってくれた言葉を、俺は何度も口にした。 (宗吾さんが大丈夫だと言って下さると、大丈夫だと思えるのです。宗吾さんの言葉はいつも僕の道標なんです)  それにしても……このキタキツネは、どうしてこんなに人に慣れているのだ。まるで忠犬のように道案内してくれる。  雪道を回り道して下界に降りると、突然森の中にこじんまりとしたログハウスが現れた。  煙突からモクモクと煙が出ている光景に、一瞬ゾクッとした。  この建物は、何かに似ている。  あ、あれだ。    あの軽井沢の……瑞樹が拉致監禁された貸別荘を彷彿させる外観に、身体の震えが止まらなくなる。 「瑞樹……瑞樹!! 無事かー」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん、そこにいるのー?」  俺と芽生はキタキツネを追いかけながら、必死に叫んでいた。  すると玄関の扉がガチャッと開いて……    中からミルクティー色の人影が現れた。  君が現れた。  「宗吾さん! 芽生くん! どうして、ここがが?」  俺は夢中で、瑞樹の細い身体を抱きしめた。  体中にタッチして、無事を確かめた。 「ちょ、恥ずかしいです……あ、あの……」 「あぁぁ……えっと、コホン……瑞樹くん、この人は誰だ?」  瑞樹の背後には、黒い大柄な人影が!  黒い長髪に、黒い髭……誰だ? 「瑞樹、このクマみたいな男は誰だ!?」 「あ……もりのくまさんです」 「へ?」  瑞樹は幼子のように俺の腕の中で、小さく笑って泣いた。 「もりのくまさんは……僕の……僕のお父さんの弟子でした」 「みーくん、おいおい。ちゃんとオレの名前を紹介してくれよ」 「あ、すみません。彼は熊田さんです」 「クマだぁぁ?」 「いえいえ、名字が熊田なんですよ」 「あぁそうか。あなたが瑞樹を助けてくれたのか」 「はい……あの崖から落ちてしまった所をキャッチしてくれたので、僕は怪我もせずに無事でした。広樹兄さんに言ったら、怒られちゃいますよね。ガードレールの向こうは危険なのに……うっかり……」  瑞樹が腕の中で照れ臭そうに笑ってくれたので、やっと安堵した。 「君が遅いから……それで……君の車を見つけて……だが……君の姿が見えなくて、焦ったんだ……本当に無事で……無事で良かったよ……くっ」  気が付くと……涙がはらりと、こぼれていた。  安堵の涙だ、これは―― 「う、うぇーん、ぐすっ、わーん」  芽生もほっとしたのか、瑞樹にくっ付いて大泣きしていた。 「すみません。驚かして……芽生くん、驚かせてごめんね」 「みーくん、ここは寒い。中に入ってもらったら、どうだ?」 「くまさん、ありがとうございます。あ、あの……宗吾さんと芽生くんは僕の……」 「分かってるよ。みーくんの大切な家族だろ?」 「……はい! そうなんです!」  熊みたいな男が、瑞樹の栗色の髪をクシャッと撫でて笑った。 「良かったよ。君がまた笑ってくれて――」  俺たちは熊田さんに背中を押されるように、ログハウスに入った。さっきは恐怖に震えたログハウスが、今は暖かい日溜まりのように見えている。 「えっと、そうごさんとめいくんだったな。まずは温かいココアでも飲むかな? みーくんも好きだろう?」 「はい!」  とにかく一息つこう!  瑞樹も同じ気持ちのようで、俺の横で安堵した表情でココアを飲んでいた。    恋しそうな表情で……俺に寄り添ってくれるのが嬉しかった。 「宗吾さんと芽生くんに見せたいものが、二階にあります」 「そうか、楽しみだよ」  

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