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花びら雪舞う、北の故郷 37

「みーくん、本当にオレが持っていて……いいのか」 「はい。何となく、父もそうして欲しいと願っている気がします」 「……」 「あのピクニックの帰りに、お父さんがこのログハウスにカメラを持って入っていったのを思い出しました。あの時……二人はどんな会話をしたんですか」  みーくんには、全てを話してやりたい。  だから包み隠さず、伝えよう。   …… 17年前 1本の電話が運命を分けた。 「熊田、おはよう! 俺だ」 「大樹さん、今日は作業場に何時頃来ますか」 「あぁ、悪い。今日は家族でピクニックに行くんだ。お前も来るか」  大樹さんは優しい人で、いつも独り身のオレのことを、気に掛けてくれた。   「いいっすよ。お邪魔ですから」 「そんなことはない。熊田はオレたちの家族も同然だ」 「ありがとうございます。でも本当に大丈夫ですので」 「そうか、じゃあ、帰りに寄るよ。たぶん写真を沢山撮るだろうから、熊田がひとりで現像してくれ」  いつもは大樹さんの助手なのに、初めてだ。  全てを任せてもらえることに、大きな喜びを感じた。  その日の午後、インスタントラーメンを食べながら窓の外を見ると、遠くに 黒い雲が立ち込めていた。 「一雨くるな」  急いで洗濯物を取り込み、2階の部屋の窓を閉めた。  暫くすると稲光の後、ザーッと雨が降り出した。 「酷い雨で視界が悪いな。今日は大樹さんに寄ってもらうのは、やめたほうがいい」  きっと来ない。  そう思っていたのに……大樹さんがびしょ濡れになりながら、ログハウスに駆け込んできた。 「大樹さん!」 「すごい雨だな。お前、ここに一人で大丈夫か」 「オレは大丈夫ですよ、そんなことより大樹さんこそ風邪引かないようにして下さい」 「ありがとう! これ現像しておいてくれ。今日のピクニックの写真だ」 「頑張ります」  手にのせられたカラーネガフィルムが、ズシッと重たく感じた。  責任を感じた。 「期待しているぞ。頑張れよ!」 「そんなの……勿体ない言葉ですよ」 「オレの思いは全部、お前と共有しているんだ。だから頼もしいよ」 「大樹さんの手となり足となり働きます」 「……そうじゃない。お前もお前の写真を撮るんだよ!」 「オレの?」  森への思いだけを紡いでくれればいい。  そんな風に言われた。 「分かりました」 「雨が酷くなってきたな。じゃあ帰るよ」 「気をつけて下さいよ」 「そうだな。あ、そうだ……今日はここにカメラを置いて行くよ。雨に触れると厄介だからな」 「了解です。メンテナンスしておきます」  大樹さんが、明るい笑顔を浮かべた。 「気が利くな。頼む。また明日作業しに来るよ」 「待ってます」  呆気ない別れだった。  何気ない日常会話がまさか……最期の言葉になるなんて、夢にも思わなかった。 ……  黒い一眼レフは、オレにとって大樹さんの形見だった。  だから、この17年間、肌身離さず抱きしめていた。 「本当にごめんな。あの日オレがピクニックに行っていれば……あの日ここに寄らなかったら……そんな後悔ばかりだ」 「くまさん。話してくださって嬉しかったです。やっぱりこのカメラはくまさんに渡して正解ですね」  みーくんが、カメラを構える真似をする。  指で作ったファインダーから、オレを見つめている。  その笑顔の奥に、澄子さんと大樹さんが見えるようだ。 「くまさん! どうか、笑ってください」 「えっ……」  みーくん……  君は、今日この場に辿り着くまで、どんな人生を歩んできたのか。    どんなに絶望し悲しんできたのか。  君だって……筆舌に尽くしがたい年月だったろう。  10歳で一度に両親と弟を亡くし、その壮絶な事故現場を目の当たりにしたのだから。  なのに、オレに笑いかけてくれるのか。  野に咲く花のように可憐に笑ってくれるのか。   「くまさん。僕も苦しかったけど、くまさんも苦しかったはずです。もういいじゃないですか。両親は夏樹と天国にいるんです。僕にもたまに会いに来てくれますよ」 「え?」  みーくんが、ファインダーを窓の外に向ける。 「あの雪は、花弁雪《はなびらゆき》ともいいますよね」  雪を花にたとえた言葉なら、沢山ある。  大粒のはらはらと舞い落ちてくる雪を、花弁雪という。 「天から舞い降りてくる雪には、命と祈りが込められている気がしますね」 「そうだな。本当にそうだな」  一片に込められた幸せは、天国にいる人からの贈り物だ。 「お父さんもお母さんも喜んでいるみたいです。僕には分かるんです。くまさんと再会出来たことを喜んでいるから、今日の雪は……だから『瑞花』 ですね」  瑞花《ずいか》とは……めでたい雪……豊作の兆しだ。  お互いに閉ざした記憶を解放していく。  それは、この地上に残された者だから、出来ることだ。 「みーくん、そしてみーくんを愛してくれる家族、こっちを向いてくれ」 「はい!」 「おう!」 「はぁい!」  オレは涙で滲む世界を、大樹さんのカメラにみーくんの家族を収めた。  カシャッ―― (熊田、息子のこと、頼んだぞ。今のお前なら任せられる) (くまさん、瑞樹は優しくて繊細な子なの、優しく見守ってあげて) (くましゃん、おにいちゃんとあそんでね、いっぱいいっぱいあそんでね)  聞こえる!  彼方からの声が、初めて聞こえた! 「大樹さん……澄子さん……なっくん……っ、あなたたちのこと……オレ……大好きです」 「くまさん」 「みーくん、君とこの世で生きていこう! オレの写真を見て欲しいし、みーくんの写真も見せてくれ」 「え?」 「大樹さんが言っていたよ。長男の瑞樹は……繊細で優しい子だ。彼が触れたものには優しさが宿るように感じる。将来、きっと写真を撮るようになるよ。人々を幸せにする写真を」  その時になって、ずっと微笑んでいたみーくんの目から、大粒の涙が溢れた。 「お父さんが、そんなことを……」     

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