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花びら雪舞う、北の故郷 47

 風呂場で俺にもたれるように眠ってしまった瑞樹の身体を清め、バスローブを着せてやった。  今宵の瑞樹は俺の想いに応えるように、どこまでも積極的になってくれた。  優しい瑞樹は、俺の不安も俺の嫉妬も、全部そうやってなぎ倒してくれる。  儚く優しく清らかな中に潜む、瑞樹の男らしい部分を垣間見た気がするよ。  ベッドに瑞樹を寝かせると、入れ違いに芽生が起きた。 「ん……パパぁ、なんじ? ボク……おなか……すいた」 「芽生、起きたのか」 「うん。お兄ちゃんは?」 「お風呂で逆上せたから、少し寝かせるよ」 「おふろ、ぼくも入りたい! パパ、いっしょに入ろう」 「お、おう!」  ここからは父親モードだな。 「じゃあ、風呂を入れてくるから、待ってろ」 「うん!」  風呂場に瑞樹との情事の痕跡が残っていないか、隈なくチェックした。 「おっと、危ない!」  空っぽになった蜂蜜の瓶は、ゴミ箱へ。  これで証拠隠滅だ。  俺はさっき入ったばかりだが、汗をかいたのでちょどいい。 「芽生、入るぞ」 「はーい! パパぁ……今度いつおじいちゃんに会える?」 「ン? 今日会ったばかりだろう」 「うん、でもまたすぐに会いたいな」 「そうか、芽生もくまさんと出逢えてよかったな」 「うん!」  瑞樹とくまさんも、このタイミングで出逢えて良かった。もしも……くまさんと瑞樹が違うタイミングで出逢っていたら、何もかも違う世界になっていただろう。俺と芽生の家族になっていなかっただろう。  そう思うと、人生とは本当に不思議だ。  風呂から上がり、俺は鍋の準備をした。  広樹、君は本当にまめだな。ちゃんと今日の夕食まで仕込んでいってくれるなんて……有り難いよ。  長男らしい気遣いが、心地良い。俺の兄とは真逆だが、根本的な部分は同じなんだな。 「わぁ、いいにおい~」 「石狩鍋だぞ」 「いしかり?」   「石狩鍋」とは、 鮭と野菜を煮て味噌仕立てで味わう北海道の郷土料理だ。仕上げにバターを加えてコクと風味をプラスしろと、広樹からのメモに書いてあったので、バターを真ん中にのせると、とろりと溶けていった。 「わぁぁ、バターさんがとろけていくねぇ」 「熱々だからな」 「とろとろだぁ」 「とろとろか……」 ****  風呂場で眠ってしまった僕は、気が付くとバスローブ姿のままベッドに寝かされていた。  また抱き潰されてしまったのか。そう思うと男なのに恥ずかしい気持ちと、意識を失うほど高められたことに、ドキドキした。  僅かに漏れる灯りの先から、いい匂いが漂ってくる。  もしかして、石狩鍋?  僕の大好物だ。僕の味覚はお父さんと似ていたのかな? シチューもそうだけれど、石狩鍋もお父さんの好物だった。   お父さんの血が流れているこの身体が、とても愛おしい。  お父さん、ずっと忘れていてごめんなさい。今なら思い出せます。お父さんの声、お父さんの顔、お父さんの手、お父さんの笑顔……お父さん……っ 手を伸ばし、目を瞑った。  会いたくて――  幼い頃こんな風に手を伸ばしたら、いつも抱っこしてくれたお父さん。  会いたいけれど、もう会えない人。  だが……今日からは沢山思い出していく。  会えないから、思い出したくもなかった過去は、もう解放された。  もう一度手を伸ばしたら、グイッと引き上げられた。 「瑞樹、起きたのか」 「宗吾さん!」  ギュッと抱きしめられた。 「身体、大丈夫か。負担かけたよな」 「いいんです。嬉しかったので」 「ありがとう。夕食に石狩鍋を作ったよ。広樹が大半仕込んでくれたものだが」 「嬉しいです。あっ、芽生くんは?」 「向こうで待ってるよ」 「今、行きます」  明るい方向へ進もう。  寝室から居間に移動すると、天使が待っていた。 「お兄ちゃん! 見て見て~ バターがトロトロ」 「バターをのせるのが美味しさの秘訣なんだよ」 「ふぅん。何だか、お兄ちゃんみたいだね」 「え? ぼ、僕はとろけないよ……」(さっきとろけたけど) 「とろける? 『おいしさのひけつ』ってことだよぉ?」 「あぁそっちか」 「うん。僕とお父さんだけだとね……なんだか足りないの」  芽生くんがキラキラな瞳で、訴えてくる。 「もう、お兄ちゃんがいないとダメなんだよ。ぼくの家族にはね!」 「あ……ありがとう」  いつも、いつだって優しい言葉が降ってくる。  芽生くん、君は……なんて優しいんだ。 「僕はここにいるよ。どこにもいかないよ」 「ヤクソクだよ。ボク……しんぱいしちゃった」 「ごめんね。芽生くん」 「お兄ちゃんっ」  まだ七歳の小さな少年は、僕の天使。  花びら雪は、ここにも降っている。  ****  みーくんたちを見送って、ログハウスに戻る。  いつもなら殺風景な風景なのに、今日は違う。  明るい空気。  笑顔の残像が、そこかしこに散らばっている。  だから、今日なら会えそうだ。  冷蔵庫から缶ビールを一本取り出し、飲みながら二階に上がり、左の部屋に入る。  部屋の壁という壁、全てに飾ってある大樹さんたちの写真。  一枚一枚に挨拶をする。 「澄子さん、幸せな笑顔ですね」 「なっくん、お兄ちゃんに抱っこされて嬉しそうだな」 「大樹さん……相変わらずカッコイイですね」  幸せを絵に描いたような家族に、乾杯。  最後に……  最後の一枚に挨拶しよう。  最期の大樹さんに。 『熊田、あと一枚撮れるから、一緒に撮ろう!』 『えぇ、大樹さんとツーショットですか』 『あぁ、熊田は俺の家族同然だからな。ほらもっと寄れよ!』  カシャッ――  大樹さんの黒い一眼レフで自撮りした、ラフな写真。  そこに映るのは今よりずっと若い、二人の笑顔だ。 『よし、これでいい。全部、現像してみてくれ』 『雨の中、すみませんでした』 『大丈夫だよ、気にするな。このカメラごと預けるから、後は頼む』  そうか……『後は頼む』だったのか。  最後にそう言って別れた。 『はい、任せて下さい』    大樹さん、俺にみーくんという希望を残して下さってありがとうございます。  大樹さんが見守れなかった分……俺が見守っていきます。    

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