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花明かりに導かれて 8

「くまさーん、ここがボクのおへやだよ」 「おや、クマと羊のぬいぐるみがいるな」 「あっ、これはね、パパがしゅっちょうのとき、おにいちゃんがだっこしてねむるものだよ」 「ははっ! みーくんは相変わらず、ぬいぐるみ好きか」 「め、芽生くんってば、それはナイショだよ」 「そっか。じゃあくまさん、ナイショにしてね」 「わかった!」 「ゆびきりしてね」  芽生くんが張り切って、マンション内を案内している。  くまさんも本来の明るさを取り戻して、芽生くんと和気藹々している様子が微笑ましかった。 「こっちはお兄ちゃんのおへや。今日はくまさんのおへやだよ」 「悪いな、みーくん」 「いえ、自由に使って下さい」 「へぇ、ここはカーテンの色がいいな」 「ラベンダーモーブ色です」 「……『恋する色』と俺は呼んでいる」  くまさんは時々、ドキッとすることを言う。 宗吾さんが選んでくれたカーテンの色……僕は大好きだ。  薄くグレーがかった紫色で、薄い青色の野草のようだから。 「こっちがパパのおへや。おうさまのベッドがいるよ」 「キングサイズか。これはこれは」  駄目だ……ふぅ……なんだか猛烈に恥ずかしくなってきた。 「きょうはお兄ちゃんも、パパとここでねむるよ」 「……ははっ」  とどめを刺されて、クラクラする。  父親代わりの人に、それは照れ臭いよ。 「家族の大切な場所に泊めてくれてありがとう。俺に気兼ねなくいつも通りに過ごしてくれ」 「いや、それは……」  そこに宗吾さんが両手にワインを持って、登場した。 「北海道ワインを仕入れたんですよ」 「おぉ、よく手に入ったな」 「くまさんと飲みたくて」 「嬉しいことを」  その晩は、宗吾さんお手製のビーフシチューを食べた。 「へぇ宗吾くんは料理上手なんだな」 「最初は何も出来なかったんですよ」 「ふむ、努力の味がするよ」 「熊田さんのホワイトシチュー、最高でした」 「あれから作る度に、君たちと分け合って食べたことを思い出したよ。そうだ、これお土産だ」  くまさんからのお土産は、写真立てだった。  森の木で作られた、温もりのあるハンドメイド作品だ。  中には僕たちの笑顔が収まっていた。 「あ……これ、あの時の」 「そうだよ。君たちが宿泊した時の思い出だ」 「とても素敵です。あっ、くまさん……もしかして、昔も作ってくれました?」 「……思い出してくれたのか」 「今の今まで忘れていました」 「いいんだよ。今、思い出してくれたのだから」  10歳の誕生日に、僕は家族の写真を部屋に飾った。  その写真立てには、木の枠部分に10という数字が彫られていた。  くまさんが作ってくれたものだったのか。  事故後初めて家に戻った時、ショックで床に叩き付けて壊してしまったが。  自分がそんなことをするなんて……信じられず驚いてしまった。 「ごめんなさい……僕、当時は家族の写真を見るのが辛くて壊してしまいました」 「いいんだよ。みーくん。俺も当時は荒れまくって、部屋中滅茶苦茶にしたしな」 「……くまさん」  そんなにも……僕の両親の死を嘆き悲しんでくれたのか。不謹慎だが、そこまで思ってくれたことが嬉しく感じた。 「写真立ての裏も見てくれ」 「あ……」  写真立ての裏はキャンバスボードになっていて、スズランが描かれていた。 「わぁ、おじいちゃん、絵もじょうず」 「これはみーくんの花だよ」 「『幸福の再来』……くまさんとの再会のことのようですね」 「俺にとってもだよ」  とても和やかな晩だった。  芽生くんがくまさんに、小学校で使っている物を熱心に説明している。  僕と宗吾さんは互いに寄り添って、目を細めた。 「おじいちゃん、これがランドセルだよ。ボクがいつもおんぶして学校につれていくの」 「はは、おもしろい表現だな」 「この子はパパみたいに食いしんぼうでよくたべるの。きょうかしょやふでばこも、まるのみだよ~」 「楽しいな」 「これはえんぴつ! まっすぐでかっこいいでしょ! なんでも書けるんだよ! 書くときいい音がするよ~」  くまさんの目尻も、もうずっと下がりっぱなしだ。  僕たちは、何でもない一日の何でも無い時間が、どんなに尊いものか知っている。  だから、何もかもが嬉しいことで、感謝したくなる。 「またこんな時間を持てるなんて……俺……長生きしないとだな」 「くまさんはまだまだ若いです。これからです。もっともっと……ずっとずっと」 「分かってるよ。大樹さんの分も長生きする。君に伝えたいことが山ほどあるしな」 「ありがとうございます」 ****  菫色のセーターを着て、洗面所の鏡に映してみた。 「うわっ、これ……オレ?」  いつも着ない色なので、見慣れない。 「照れ臭いな。でもいい色だ。兄さん、ありがとう!」  コートを羽織り、颯爽と寮の階段を駆け下りた。 「潤、何処に行くんだ?」 「北野さん!」   北野さんは、空間プロデュースの会社を経営している人で、オレが働く『軽井沢イングリッシュガーデン』のレストランや売店の内装デザイン、シーズン毎に開催されるイベントコンセプトの企画・提案までしてくれるマルチな人だ。オレのことを息子のように気にかけて、可愛がってくれている。 「なんだ? 今日はずいぶん、めかし込んでいるな」 「実は……付き合っている人の両親に挨拶しに行く所です」 「おぉ! それで緊張した面持ちなんだな」 「はい……受け入れてもらえるか心配で」 「まずそのセーターの時点で第一印象合格だろう」 「そうですか!」    兄さんを褒められたような心地で、嬉しくなる。 「それで手土産は持ったのか」 「あっ、忘れていました」 「だと思った。よし、これを持っていけ」 「いいんですか」  北野さんが渡してくれたのは、チョコレートで出来たイースターエッグバスケットだった。籐のバスケットの中に、卵とうさぎ型のチョコレートが沢山入っている。   「丁度ローズガーデンのイースターイベントに向けて、英国から取り寄せたんだ」 「助かります……でもどうして……うさぎのチョコなんですか」 「うさぎは沢山子供を産む特徴があるから、それが『新しい命(再生)』『復活』と結びついてイースターの象徴になったそうだよ」 「そうなんですね。再生か……縁起がいいですね」  再生、再来……『再』って文字っていいな。  人生は一度きりだが、希望は何度でも抱いていい。  夢も際限なく求めていい。  夢と希望をのせて生きていく。  そんな人生を菫さんといっくんと送りたい。  その最初の一歩を、オレは踏み出した。       

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