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花明かりに導かれて 9

「ママぁ、おはよう」 「わ、びっくりした。いっくんってば、随分早起きなのね」 「うん! だってきょうはじじばばのおうちにいくんでしょ? パパといっしょに!」  朝ご飯の用意をしていると、いっくんがパタパタと走ってきたので驚いた。 「パパ、まだかな? まだかな?」  いっくんはそのまま窓にくっついて、背伸びをした。   「いっくんは、本当に潤くんが好きなのね」 「だいすき! ママもでしょ?」 「うん、大好きよ」 「えへへ、いっしょだね」  可愛いいっくん。  あなたと話す時は、いつも素直になれるわ。  もうすぐ、いっくんにパパができるのよね。  まだ信じられないわ。  最初から諦めていたことなのに。  松本の実家には、事前に連絡はしておいた。 …… 「お母さん、私よ」 「菫! 元気にやっているの?」 「なんとかやっているわ」 「いっくんは?」 「いい子よ」 「……あなたって子は、ひとりで頑張り過ぎよ。松本に戻ってきてもいいのよ。あなたといっくん位、まだ養っていけるわ」 「ううん。そんな訳にはいかないわ。私が選んだ道よ。どうか信じて」 「そうなのね。でもどうしたの? 急に」  ドキドキした。  彼が亡くなって1年ほどしてから、散々再婚を勧められたのに、全部断ってきた私が再婚したいだなんて、絶対に驚くわよね。 「実はね……再婚したい人が出来たの。今度の週末に彼と挨拶に行ってもいい?」 「え!」  母は暫く絶句していた。 「驚かせてごめんなさい」 「ちょっと待って! いっくんはどうするの? いっくんも一緒に暮らせるの?」 「もちろんよ」 「……大丈夫なの? いっくんの存在を受け入れてもらえるの? 連れ子になるのよ……虐待でもされたらどうするの?」 「……とにかく会って欲しいの。彼ね、5歳も年下なんだけど、本当にしっかりしているの」 「5歳も!! ますます心配だわ」 「もう、とにかく連れていくからっ」  うーん、実はそのまま電話を切ってしまったのよね。  とにかく会ってからよね。  どんなに彼が……私達親子とのことを真剣に考えてくれているのか。  どんなにいっくんが彼に懐いているのか。  生で見てもらってこそ、伝わるものがあるはずよ。 「あっ、パパっ、パパっだ」  いっくんが窓ガラスに勢い余って、ゴンっと頭をぶつけていた。 「いたぁい……」 「もうっ、落ち着いて。いっくんが怪我したら、ママもパパも悲しいのよ」  私ったら、自然に潤くんのことを「パパ」と言っている。  まだ挨拶も入籍も済んでいないのに、不思議ね。  最初からこうなることが決まっていたみたい。  インターホンがなり、ドアを開けると、潤くんが立っていた。 「菫さん、いっくんおはよう! 迎えに来たよ」 「ありがとう。支度がまだなの、あがってお茶を飲んでいって」 「いいの?」 「もちろんよ」  彼が部屋でいつもの黒いダウンを脱いだ時、びっくりした。 「え……」 「ん?」 「そのセーター!」 「あぁ、どうかな? 挨拶に行くのに失礼じゃないかな?」 「菫色なのね」 「そうだよ、菫さんの色だよ」 「母が大好きな色なの……それで私の名前につけたのよ」 「そうだったのか」  どうしよう!    潤くんが私色のセーターを着て現れるなんて、なんだかくすぐったい気持ち。私……こんなに愛してもらっていいのかな?   「パパぁ、おはよう」 「いっくん、ご挨拶ちゃんと出来て偉いな」 「えへへ、パパっ、あいたかったよぅ」 「オレもだよー」  いっくんと潤くんのハグに、心がポカポカになる。  いっくんの素直な言葉……私も見習おう! 「潤くん……私も会いたかったわ」 「オレもだ」 「パパっ、ママ~ サンドイッチしよー」 「まぁ!」 「いいぞ~」  私達はほっぺたを合わせた。 「ほっぺで、ぎゅーだね」  いっくんの弾ける笑顔が、元気の種になる。 「今日はよろしくな」 「こちらこそ、よろしくね」 **** 「みーくん、君のカメラを見せてくれないか」 「はい」 「あー、やっぱりな。少しメンテナンスしていいか」 「助かります。ありがとうございます」  くまさんがソファの前で胡座を組んで、僕の白い一眼レフのメンテナンスを始めた。カメラ用クリーニングクロスや専用のブラシを使って丁寧に汚れを取ってくれる。 「カメラは汚れていくものさ、でも丁寧にメンテナンスして使ってあげると、長持ちするぞ。……これって、人の心と一緒だな。生きていけば……汚れることもあるだろう。だから都度綺麗に汚れを落としてやるのが大切なんだ。シミになる前に、ちゃんと落とすんだぞ」 「あ、はい……」  宗吾さんのお母さんに言われたことと、同じだ。  あの日、玲子さんからの珈琲を浴びて……目に見えるシミと、心のシミを作ってしまった僕を救ってくれたお母さん。あの日、あの出会いがなければ、僕は宗吾さんの前からそっと消えてしまっていたかもしれない。 「今のみーくんはピカピカだな」 「え?」 「宗吾くんによっていつも磨かれているしな」 「あ……はい」 「それから、芽生くんがそよ風のように汚れを吹き飛ばしてくれているんだな」 「素敵な表現ですね」 「……よかった。本当に良かったよ、君の傍にそういう人がいてくれて……」  くまさんは大丈夫なのかな?  くまさんこそ……心のシミをずっと落とせなかったのでは?  探るようにくまさんを見ると、僕の考えを察してくれたらしい。 「俺のシミは頑固だったが……今はクリアだよ。みーくんが空から降って来た時、粉々になって飛んでいったのさ」 「良かった……この先は僕たちの傍にいてください。お互いに磨いて拭いて、吹き飛ばしていきましょう!」  芽生くんがパチパチと拍手をしてくれる。 「お兄ちゃん、かっこいい! ボクね、しょうがっこうでちょっとやなことがあったときね、『ふー』っていきをはくんだよ。そうすると、すっきりするんだよ」 「芽生くんも、吹き飛ばしているんだな」 「うん!」  生きていくって、いいことばかりじゃない。  理不尽なことも、ついてないこともあるのが人生だ。  そんな時、そっと息を吐いてみよう。  心を落ち着かせることを忘れないでいよう。      

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