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賑やかな日々 11

 もう五月か……  大沼に帰ってきてから、少し気が抜けてしまった。  みーくん、元気にやっているか。  冬に18年ぶりに再開し、すぐに君を訪ねて東京にも行った。  いっきに訪れた幸せに、まだ少し慣れず、全部あれは夢だったのではと夜になると不安になるんだ。  そんな時心を和ませてくれるのが、みーくんからの連絡だった。  彼からのメッセージには、いつも美しい写真が添えられ、優しい言葉が添えられているので、心が和むんだよ。  彼のそんな優しくきめ細かな性格は、母親の澄子さん似だ。  そしてもう一つ、心を動かすのが函館の葉山咲子さんとの交流だ。  彼女はみーくんの育ての親で、若くしてご主人を亡くし二人の子供を抱えて大変な時に、みーくんを引き取り生かしてくれた人だ。  カッコいいな。俺には出来なかったことを成し遂げた彼女に抱く感情は、いつも明るく色づいている。  函館に遅い春がやってくるように、俺の心にもようやく花が咲いたようだ。     その晩、ふとワインが飲みたくなったが、買い置きを切らしていることに気付いた。 「そう言えば……大樹さんともよくこの山小屋で飲んだな」  作業が夜更けまでかかると、きまって二階にあがってワインセラーからワインを抱えて戻ってきた。 ……   「熊田、一緒に飲もう!」 「大樹さん、あなたは一体、二階のセラーに何本抱え込んでいるんですか」 「あそこには宝物が入っているから、お前は勝手に飲むなよ」 「飲みませんが、何が入っているんですか」 「……熊田には、教えておくよ」 「何です?」 「実は、最近手に入れたんだよ。瑞樹の生まれた年のワインを」 「へぇ?」 「長期保存に向いたワインだから、瑞樹が二十歳になった時に、一緒に飲むのが夢なんだ。次は夏樹の分も探そうと思ってる」 「……いいですね、子供を持つのって、ロマンですね」 「あぁ生き甲斐だ。熊田……お前は結婚しないのか」 「俺はここが居心地がいいんですよ。みーくんとなっくんを息子のように思っています。それじゃ駄目ですかね?」 「……そうか」  大樹さんは安堵の溜め息を吐いた。 「駄目じゃない。俺たち家族のすぐ傍に熊田がいる安心感って、半端ないよ。瑞樹と夏樹のこと頼んだぞ。特に瑞樹は繊細な子だから、俺たちに何かあったら心配だ」 「縁起でもないこと言わないで下さいよ」 「悪い悪い。熊田のサポート宣言が嬉しくてつい。よし二十歳になった瑞樹と男同士三人で酒を交わそう、約束だぞ」 「いいですね」 「あと10年だ。子供の成長は早い。目に焼き付けておかないと、あっという間さ」 ……  気がつくと無垢の床に、ポタポタと水滴が落ちていた。  俺……泣いているのか。    みーくんと再会してから涙脆くなったよ。  そうだ! あのワイン!  慌てて、二階の一番奥にある大樹さんの書斎に駆け込んだ。  ここは大樹さんのプライベードルームなので、置いてあるものに触ったことはなかった。月に1度掃除する程度で、何もかもあの日のままだ。  机の下に隠すように置かれている小さなワインセラーを思い切って開けると、そこにはあの日の会話通り、みーくんの生まれ年のワインが眠っていた。  折しも、今日はみーくんの誕生日だ。  それも思いだした。 「なんてことだ……もう彼は29歳になってしまった。9年も経過してしまったじゃないか」  大樹さんの夢をぶち壊してしまった。  俺は……なんてことを。  もっと早く気付くべきだった。 「くそっ!」   大樹さんとの約束を、また反故にしてしまった。 「くそっ!」  もう一度ドンっと壁を叩くと、大樹さんの机に積み重なっていた書類がバサバサっと落ちてきた。 「あっ……すみません」  まるで大樹さんがいるかのように、口をついていた。  そして書類の中に、あどけない字と絵を見つけた時は、また涙が溢れた。 「みーくんとなっくんの手作りラベル……こんなところに翌年の分を用意していたの」  思い立った時には、もう5月2日が終わろうとしていた。  諦めるのか、このまま。  せっかく繋がった縁、蘇った縁を繋げるのは熊田、お前の役目ではないのか。  そんな声が天上から降ってくる。 「まだ間に合うでしょうか」 「瑞樹はそんなに、せっかちではないよ。今頃……きっと幸せの余韻に浸っているさ。行くなら今だ」  夜通し準備をした。  1日遅れてしまったが彼の誕生日を祝うために、俺は大空を飛ぶ鳥になる。  今年の特別な蜂蜜は、クローバーの花から取れたものだ。  それから、澄子さんがよく作ってくれた卵サンドを持って行こう。  食べきれない程、君の家族の分も―― ****  今、目の前の青い芝生でみーくんと坊やが四つ葉のクローバーを探している。時々、こちらを振り返っては、ニコニコと笑ってくれる。 「みーくんは幼い頃と同じ笑顔だな」 「最近、心から明るく笑ってくれるようになりました。最初の頃は殻に閉じこもっていました。うわべは微笑んでも……どこか寂しそうで」 「そうか……実はここに来たのには理由があって……」  俺は宗吾さんに、昨日の話をした。   「なるほど、そういう理由だったのですね。きっかけがあって良かったです」 「先日も来たばかりなのに……家族水入らずのところ、図々しく悪いな」 「俺は邪魔だなんて思った事、一度もないです」 「君はいい奴だな」 「本当にそう思っています。熊田さんがいると瑞樹が幼くなる。それがまた可愛くて溜まりませんよ」  昨夜、よほど満ち足りた夜を過ごしたのだろう。  二人の絆が、また一層深いものになっていた。 「みーくんの父親役、譲ってくれてありがとうな」  きっと彼は時に、みーくんの父親役も買って出てくれたのだろう。  家族……恋人……父親、いろんな役を…… 「肩の荷が下りましたよ。俺は恋人に専念できますしね」 「生涯愛してあげて欲しい。もう孤独に震えることがないよう」 「はい、誓います」 「本当にいい子なんだ。昔から天使のように清らかで優しい子なんだ」 「大切にします。生涯」 「夢を語ってもいいか……いつか見せて欲しい。君たちの結婚式を」 「くまさんが望んでいると知ったら、瑞樹、絶対に喜びますよ」  そこにみーくんと坊やが嬉しそうに戻ってきた。 「パパ、おにいちゃんが見つけたよ。よつばを」 「瑞樹が」 「あ……はい。なんだか照れくさいですね」 「いいじゃないか。お? 指輪にしたのか」 「あの……くまさんにあげても?」 「もちろんさ」  俺の指に、白詰草と四つ葉の指輪がやってきた。  幸運がやってきた。 「くまさんが幸せになりますように」 「あ……俺で……いいのか」 「はい、くまさんの番ですよ」 「が、頑張るよ」 「いいですね、前向きな言葉を聞けて嬉しいです」  それから……黄色い卵がたっぷり詰まったサンドイッチを皆で頬張った。 「幸せ色が詰まっていますね」 「あぁ、しあわせをつめてきた」  あの山小屋に残る、大樹さんからみーくんへの愛情をたっぷりとな。

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