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賑やかな日々 15

「経くん、結を実家に預けてきたわ」 「玲ちゃんお帰り。お義母さん、大丈夫だった」 「うん? どうかした?」 「……いや、その……」  経くんの顔色がサッと曇ったので、首を傾げてしまった。 「もしかして、またママがあなたに何か言った?」 「うーん、そのさぁ……結も可愛いけど、やっぱり男の子が良かったわって言ってたよ。まだ、あの子に執着を持っているのか気になって」 「え? まだそんなこと言っているの?」 「何だろうね、執着なのかな?」 「やっぱり今日芽生と会うことは言わなくて良かったかも」 「……うーん、一度お母さんとちゃんと話した方がいいよ。相手があることだし。子供心を無駄に傷つけて欲しくない。執着も無関心も、どっちも辛いから」  経くん……経くんの両親も、彼が幼い時に離婚して……親権で揉めて……結局、両方からいらないって言われた切ない経験があると聞いている。 「ごめんね。嫌な過去を思い出させてしまったわね」 「いいんだ。ただ……幼い子供の気持ちを大切にして欲しいなって」 「うん、うん……そうよね。芽生の気持ちが一番よね。私の勝手で置いて来てしまったあの子には幸せになって欲しいわ」  今日は芽生の誕生日前日。当日は家族で祝うものだから、私は遠慮して今日を指定した。  そういえば、以前家にまで押しかけて、瑞樹クンを悲しませてしまった事がある。 「到着したみたいだよ」 「本当?」  宗吾さんの車だわ。まず瑞樹くんが降りてきて、次に芽生がピョンと現れた。   「また少し背が伸びたみたい。あら? 知らない人がいるわ。まるで森のクマさんみたいな風貌ね」 「ふぅん……あの人が今日のお客さんかな?」 「経くんのお客様?」 「たぶん、紹介してもらおう!」  出迎えると、芽生が明るい表情を見せてくれたのでホッとした。  私の実家では怖い思いをさせてしまったから……ここにしてよかった。 「ママー!」 「芽生!」  まだママと呼んでもらえることに、心の中で感謝した。 「抱っこしてあげる」 「ママ? ボクもう二年生だよ。赤ちゃんじゃないよ」 「駄目?」 「うーん、じゃあトクベツだよ」    しゃがんで手を広げると、芽生は少しだけ躊躇った後、ぽすっと身体を預けてくれた。  懐かしい温もりに触れ、心がほわんとなった。  私が産んだ子……寂しくて怖い思いをさせてしまってごめんね。  そんな後悔が付きまとう子。   「元気だった?」 「うん、ママも?」 「元気よ」 「よかったぁ、ママが元気で……それがいちばんうれしいよ」 「芽生ってば……そうそう、あの瑞樹クンの横に立っている人はどなた?」 「おじいちゃんだよ」 「え?」  びっくりして顔を上げると、熊みたいな男性に会釈された。 「はじめまして。熊田と申します。俺は……その、みーくん……瑞樹くんのご両親をよく知る者で……」  大きな身体でしどろもどろになっていく様子が、なんだか可愛らしかった。そこに瑞樹クンが助け船を出したわ。   「玲子さん、お久しぶりです。熊田さんは僕の父親のような存在です。偶然この冬再会出来て……それから懇意にしています。今日は美容院の方に用事があって」 「個室のお客様ですね」 「よろしくお願いします」    瑞樹クンは両親を交通事故で亡くしたと聞いていた。そんな彼が「お父さんのような存在」とはにかみながら紹介してくれる。これって、かなりすごいことよね。 「経くん、彼をとびきりカッコよくしてあげて」 「了解! 腕によりをかけるよ」  熊田さんと経くんが個室に入った後、私は温かい紅茶を入れた。  以前、ここで瑞樹クンに珈琲をぶっかけたことを思い出し、穴があったら入りたい程の羞恥心に包まれた。あの頃の私は奢っていて意地悪だったわ。恥ずかしい。 「お紅茶です。どうぞ」 「あ……ありがとうございます」  瑞樹クンは前回会った時よりも表情が和んで、ますます可愛らしくなっていた。  歳を取ったはずなのに、どんどん可愛くなっていくなんて狡いわぁ。  宗吾さんに愛されているのね。  で、宗吾さんは?  あら? また老けた? 目元の皺が増えたような? 「おい、そんなにジロジロ見んなよ。老けたとか思ってないよな?」  あらぁ当たりだわ。この人、昔から勘だけは鋭いのよね。 「幸せ皺と幸せ太りかしらね、ふふん」 「おい!」 「くすっ、あなたが幸せそうで何よりだわ」 「それは……玲子もだろう?」 「うん、お互いにね」 「今日は話があって」  そこで瑞樹クンが気を利かせてくれた。 「芽生くん、クマさんの様子を見に行こうか」 「うん!」     二人が席を外したので、久しぶりに元夫婦として顔を突き合わせた。 どうやら何か深刻な話がありそうな雰囲気ね。何事かしら? 「実はな、芽生の小学校にお義母さんが突然やってきて、連れていこうとしたそうだ」 「え?」 「聞いてないのか」 「知らなかった」 「芽生の話は、もうしていないか」 「あ……うん、それが……」 「しているんだな」 「芽生が可愛いのよ」 「それはありがたいが、親権は俺なんだ。勝手に連れ出されては……芽生も怖がっているし」 「芽生に怖い思いは、もうさせたくないわ」 「同感だよ」    宗吾さんの話にはひやりとした。  いつかママが冗談で、「やっぱり芽生ちゃんに会いたいわ、芽生ちゃんの親権、どうして手放したの? いっそ、ここに攫ってきちゃおうかしら」と言っていたのを思い出した。 「玲子は芽生の生みの母だろう」 「そうよ」 「そして玲子のお義母さんは、玲子の生みの母だ」 「……うん」 「だからこそ理解して欲しい。もう……芽生は俺と瑞樹と穏やかに暮らしている。どうか波風を立てないで欲しい」 「……分かった」  宗吾さんの目は真剣で、父親の目をしていた。 「あなたのそんな顔、もっと早く見たかったわ」 「……すまん」 「もう別々の道を歩んでいるけれども、あなたは芽生の母親でいることを許してくれたわ」 「許すも何も生みの母は玲子だろう。お前はもっと自分に自信を持て。もうお義母さんの言いなりの娘でなくてもいいんだ。芽生を守る気持ちを奮い立たせてくれ。俺もそのためなら助力する」  宗吾さんの言う通りだわ。    いまだに母の顔色ばかり見て、なんかもう大人なのに格好悪いな。  宗吾さんが瑞樹クンと芽生を全力で守るように、私も今の家族……経くんと結という大切な存在を守りたい。 「宗吾さん、私、もっと変わる。芽生の生みの母として恥ずかしくないようになりたい。私の母にも変わって欲しいの。芽生にとって怖い祖母ではなく、温かい人になって欲しいの」 「玲子……お前も変わったな」 「あなたこそ! 口約束では心許ないわ。念書も書かせて」 「玲子……お前から言い出すなんて。俺も変わるよ。一度俺からも頼みに行く。そうだ! 今からお義母さんの所に挨拶に行かせてくれないか。今の俺の姿をしっかり見て欲しい」   ****  宗吾さんと玲子さんが、真剣な顔で話しているのが見えた。  きっと玲子さんなら理解してくれる。  僕はそう信じている。  今日はもしかしたら……芽生くんの件で、玲子さんとご実家に行くことになるかもしれない。僕の方は、そうなってもいいよう覚悟は出来ている。  僕は彼の帰りを待つだけだ。  その予感は的中し、宗吾さんと玲子さんは、そのまま実家に行くことになった。 「瑞樹、行ってきてもいいか。君は大丈夫か」 「信じて待っています」 「……ありがとう。今日は芽生は連れていかないよ。今日は俺だけを真っ直ぐに見てもらいたいからな」 「分かりました。しっかりお預かりします」 「頼む」  残されたのは、芽生くんと僕、そして熊田さんと経さんという不思議なメンバーだった。   「ねぇねぇ瑞樹クン、君のお父さん、髭と髪を整えたらすごくイケメンになったよ」 「え?」  振り向くと、見たことがない人が立っていた。 「えっと……くまさん? 本当にくまさんですか」 「あぁ、そうらしい」     18年という苦悩の年月が彼の目に強い意志を宿し、口元も引き締めて、あっと驚くほどダンディな姿になっていた。 「くまさん、ものすごく、かっこいいです!」 「照れるよ。やっぱり髭がないとスースーして寒いな」 「すごくいいです。みんな惚れちゃいますよ」 「え? そ、それは困るぞ」 「?」   何故か盛大に照れるくまさんに、先ほどまでの少し憂鬱な気持ちが吹っ飛び、楽しい気分になっていた。 「さーてと、せっかくの機会だし留守番チームで遊ぼうか、今日はもう店は閉めちゃうね」 「やったー」  玲子さんの相手の経さんは、ノリのよい人らしく、硝子張りの店のカーテンをしめて、ニヤリと笑った。 「じゃあ、このお兄ちゃんにメイクして遊ぼうかな」 「へ? ぼ……僕ですか」 「そう。君ってものすごくメイク映えしそうだから、させて、お願い」 「う……」 「お兄ちゃん、ボクのお兄ちゃんをもっとキレイにしてくれるの?」 「そうだよ」 「みーくん、楽しそうだな。やってもらえよ。こんな時は羽目を外して遊んで待つのがいいさ」 「くっ、くまさんまで」  くまさんも髭と髪を整えたら、変な自信が湧いてきたらしい。 「う……す、少しだけなら……いいですよ」 「そうこなくっちゃ。宗吾さんをあっと驚かせようね!」 「いやいや、ちょっとでいいです」 「ワクワクするなぁ~ お兄ちゃんこわくないよ」 「芽生くんまで」 「みーくん、人生には余興も大事だ」 「くまさんまで」    確かにさっきまでの憂鬱な気持ちが、すっと消えて行く。  ただじっと辛い時が過ぎるのを待つだけだった僕が、今を楽しんでいるなんて!  

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