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賑やかな日々 16
「宗吾さん、あなたとこんな風に二人で出掛けるのは久しぶりね」
「……そうだな」
「しかも行き先が私の実家だなんて、変な感じ」
「……久しぶりだしな」
玲子との離婚は、苦い思い出しかなかった。
あれは、まだ芽生が年少の時だった。一方的に突きつけられた離婚届には、ただただ驚いた。
いきなり俺という存在が、玲子と彼女の両親から全否定された日は、幸せになった今でも思い出すと気が滅入る。
俺の自尊心はズタズタに切り裂かれ、手元に残ったのは俺名義で買ったマンションと芽生だけだった。俺は自信満々に自分勝手に生きて来たツケを払ったのだから自業自得だが、幼い芽生には悪いことをしたと猛反省だった。
それまで土日は接待ゴルフに明け暮れ、ろくに子供の面倒なんて見ていなかった。母子家庭のような状態だったのに、芽生は裏切り者の俺の息子だという理由一つで、母親に捨てられたのだ。
最初は母親恋しく、母が消えた理由が分からず大泣きで、俺はどう宥めていいのか分からず、オロオロするばかりだった。
それでも芽生は心の優しい逞しい子供だった。
慣れない育児に、失敗ばかりの俺を見ているうちに泣き止んで、手伝ってくれるようになった。
……
「パパ、どうしたの?」
「芽生……」
「パパ、にっこりして。メイはいまのパパすきだよ」
……
芽生の優しい言葉。
芽生の励まし。
どんなに救われたことか。
自暴自棄になりそうだったのに踏みとどまることが出来たのは、全部芽生のお陰だ。
そして、芽生が見つけてくれた瑞樹。
瑞樹に懐く芽生。
もう芽生を手放すことなんて絶対に出来ない。
そうこうしているうちに、高台の玲子に家に到着してしまった。
ふたりで白亜の御殿のような瀟洒な屋敷を見上げて、溜め息をついた。
「宗吾さん……あなたが結婚の挨拶をしに来てくれた時のこと、覚えている?」
唐突に玲子が言い出したので、焦ってしまった。
「覚えているさ」
「あなた、自信満々だったわね」
「……あの頃の俺はそうだったかもな」
自分勝手に生きていたのを、もう全部認めよう。結婚しても男と夜遊びをして、玲子を裏切ってしまったことも。
「今だから言うけど……私の親はあなたのことがあまり気に入ってなかったのよ」
「だろうな。俺が親だったらそう思うよ」
「まぁ、そう来ると思わなかったわ」
「玲子にはガツンとヤラレタが恨んでいないよ。お陰で生まれ変われた」
「ふふっ、瑞樹くんという最愛の人に出会えたもんね」
「お、おい、それは」
瑞樹とのことを、玲子は両親に話すつもりなのだろうか。
玲子の両親が同性愛に理解があるとは思えない。
瑞樹を不必要に傷つけないでくれ! 頼むからやめてくれ!
そう懇願しようと思った矢先、玲子から意外な言葉が降って来た。
「私ね……今のあなたが好きなんだ」
「え?」
「正確には、瑞樹君と芽生と暮らす宗吾さんってカッコイイって思う」
「そ、そうか」
「そうよ。私も離婚の時は、言い過ぎたしやり過ぎたこと反省しているわ。一時の感情に任せて、幼い芽生を置いていったことも母親失格だった。なのにね……芽生はね、本当に優しい子でね……ぐすっ、今でも私をママと呼んでくれるの。それって今の家庭が温かいからよね。瑞樹くんの影響も強いと思うの」
「玲子……そんな風に言ってくれて、ありがとう」
今、とても深く礼を言いたい気持ちになっていた。
同時に、会うのも嫌で逃げ回っていた玲子の実家とも、今こそ俺が向き合う時なのだと覚悟を決めた。
芽生、瑞樹、どうか俺に力を……誠実に向き合う心を分けてくれ。
「宗吾さん、大丈夫よ。私とあなたは今は足並みが揃っているわ」
「玲子……」
「私達の願いは同じでしょ? 芽生の幸せ、芽生の笑顔を守ること」
「あぁ、そうだ」
「じゃあ簡単よ。二人でお願いしましょう」
****
どういう風の吹き回しなのかしら。
玲子が予定より早く戻ってきたと思ったら、宗吾さんを我が家に連れてくるなんて。
「……お義母さん、お久しぶりです」
あなたが、まだ私のことをそう呼ぶなんて、意外だったわ。離婚時に私も感情に任せて随分酷い暴言を吐いてしまったから、恨まれて当然なのに。
「……二人揃って何の用事かしら?」
「実は芽生のことで……」
「まぁ、やっぱり育てられなくなった? あなたひとりじゃ無理だと思ったわ。玲子はもう再婚してしまったから、我が家で引き取って育ててもいいのよ。芽生は長男だし可愛いし、私達は元気でピンピンしているわ」
一気に捲し立てると、宗吾さんの表情が引き締まった。
こんな表情をする人だったかしら?
「お義母さんのお気持ちは嬉しいのですが、どうか芽生のことは俺に任せて欲しいです。芽生はようやくこの環境にも慣れ、毎日笑顔で過ごしています。お義母さんもご存じですよね」
「……」
この前小学校の衝動的に行ってしまったこと、知っているのかしら。 門を出てくる時はお友達と屈託のない笑顔だったのに、私を見た途端、笑顔が消えてしまったので、カッとして手を無理矢理引っ張ってしまった。
……
「おばあちゃん、手、いたいよ、ちょっとまってよ……ぐすっ」
……
あの日から、恐怖に怯える芽生の顔が、脳裏にこびりついて離れなかった。
あんなに怖がらせるつもりはなかったのに、どうしてこうなってしまったのかしら。
「俺と芽生は今は幸せに暮らしています。だからこのままでいさせて欲しいのです。頼みます」
宗吾さんが……あの遊び人で派手だった宗吾さんが、憑きものが落ちたように真摯に頭を下げてくるなんて驚いた。
私は……この人の何を見ていたのかしら?
あなたも離婚してから相当苦労したのね。でも苦悩よりも幸せが滲み出ているような?
「ママ、私からもお願い。私は最愛の息子を捨ててしまった酷い母なの。でも宗吾さんがしっかり子育てを受け継いで、私を恨むのではなく、会えば「ママ大好き」と言ってくれる素直で可愛い子供に、芽生を育ててくれているの。だからこのまま宗吾さんに任せたいのよ。どうかお願いします」
勝ち気で我が儘な娘の玲子まで頭を下げて……
二人とも私が知らない所で、大きな心境の変化があったのね。
なんだか馬鹿みたい。
私ばかり過去の二人の影にやきもきして。
「ば、ばぁ……」
孫娘の結が、お昼寝から起きて私を呼んだので、一旦席を外して抱っこして連れてきた。
「宗吾さん、私と経くんの娘の結よ」
「可愛い子だな」
「抱っこする?」
「あぁ」
宗吾さんが慣れた手付きで、結を抱っこした。
あの頃のような偉そうな勝ち気な態度ではなく、どこまでも自然体で優しい眼差しだった。
「軽いな~ 女の子は柔らかいんだな」
「そうね」
「玲子、ごめんな。そして幸せそうで嬉しいよ」
「宗吾さんこそ」
いいなと思った。
この二人、縁が続かず別れることになったけれども、今はこんな感じで過ごせるようになったのね。
「私も……芽生には笑っていてほしいのよ。もう無理矢理何かするなんてことしないわ。あの子を悲しませたくないの」
「次の面会の時は、ここに俺が連れてきます。芽生のおばあちゃんとして、これからもよろしくお願いします」
「そうして欲しいわ。私も会いたいのよ。別れても、玲子の産んだ子供で、私の孫なの」
「はい。お互いに、歩み寄りましょう」
****
「瑞樹くん、そんなに固くならないで」
「じょ、女装ですか……やっぱり?」
このパターンで考えられるのは、ただ一つ。また会社の余興のように女装させられるのかと思うと、少しだけ気が滅入る。僕は宗吾さんに抱かれる方だが、けっして女の子になりたいわけではないから。
「まさか、君はれっきとした男の子だよね?」
「子はいらないかもですが」
「くすっ、男の人でもメイクするんだよ。韓流アイドル風でいいかなぁ~ 綺麗で可愛いからメイクしがいあるってこと」
「……そうだったのですか」
経さんが鏡越しにウインクしてくる。
「俺の友人にも瑞樹くんみたいな子がいるから、気持ち……分かるよ」
「あ、はい」
「女装なんてしないから安心して。さぁ目を閉じて、魔法をかけるよ」
「分かりました。お任せします」
経さんって、心の深い人のようだ。
玲子さんの相手が、経さんのような人でよかった。
この二人はきっと上手くいく。
そんな予感に包まれながら、メイクをしてもらった。
さぁ、目を開いた時、どんな僕に会えるのか。
楽しみになってきたよ。
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