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誓いの言葉 35
兄さんが到着した途端、少し乱れていた心がすっと落ち着いた。
広樹兄さんは、ボロボロだった僕を支えてくれた人だ。
兄さんは、僕をずっと見守って応援してくれた。
結婚しても変わらず僕を大切にしてくれる熱い兄さんが、大好きだ。
ずっとお父さん役を一手に引き受けて奮闘してくれた兄さんに、新しいお父さんが出来る。そう思うと心が震えるほど嬉しくて、瞳が潤んでしまう。
「瑞樹、もう感激しているのか」
「いろいろ、嬉しくて」
「瑞樹、ありがとうな」
「え? 僕は何もしていないよ」
「いや、母さんに新しい出会いを与えてくれたじゃないか」
「あぁ……僕もまさかこうなるとは……ねぇ、兄さん、くまさんと母さんは道中どうだった? 仲良くしていた?」
思わず好奇心から聞くと、兄さんに軽く笑われた。
「へぇ、慎ましい瑞樹でも、そこ、気になるんだな」
「だって……僕の大切な母さんのことだから」
「……ありがとうな。瑞樹が母さんを気にかけてくれるのが嬉しいよ。それがさぁ……機内でも新幹線の中でも、二人の糖度が高くて目眩がするほどだったんだぜ。くまさん……ありゃ、もう詐欺だな」
「え?」
「最初はボサボサ髪で髭ボーボーでデンジャラスな雰囲気だったのに、あんなイケオジになるなんて、詐欺だ」
「あはっ」
確かに僕も最初はクマのオバケかと思うほど驚いたもんな。
「瑞樹……少し変わったな?」
「えっ、どこが?」
どうかわったのかな?
自覚があるような……ないような。
「とにかく明るくなった!」
広樹兄さんがニカッと笑うと、宗吾さんと芽生くんもつられてニカッと笑った。
「ふふん、お兄さん、それは俺のお陰ですよ」
「えー! ボクのおかげだよぅ~」
「え? 芽生、そこはパパだろ。パパに譲れよ!」
「ううん、そこはボクだよぅ、パパ、『ひとりじめはよくありませんよ』っておばあちゃんがいつも言ってるよ」
宗吾さんと芽生くんが、口を尖らせてふざけている。
「ははっ、相変わらず瑞樹はモテモテだな」
「くすっ、うん、明るくなったのは……宗吾さんと芽生くんの二人のお陰だよ」
「だよな。本当に、いい傾向だ」
兄さんが手際よくブートニアを製作していく様子に、見惚れてしまった。
ブートニアとは、新郎が衣裳の左胸に挿す花飾りのことだ。
「そうだ、瑞樹、ブートニアの意味を知っているか」
「……兄さん、教えて」
甘えるように言うと、兄さんは破顔した。
「よしよし、教えてやるよ。結婚にまつわる素敵な言い伝えがあってな……ヨーロッパでは昔、男性がプロポーズしたい女性に花束を贈るのが一般的だったんだ。男性が野原に咲いている花を摘んで、女性のために花束を作り、それを受け取った女性が、男性の作った花束から花を1本抜いて「イエス」の返事として男性の胸に挿したそうだ。それがブートニアの由来だってさ」
何て素敵なエピソードなんだろう。
とても和やかで幸せな情景が浮かぶようだ。
「そこで、ちょっと趣向を凝らしてみないか」
「どんな?」
「ブーケの中に、ブートニアを忍ばせておこうと思っているんだ。二人は結婚指輪を、まだ準備していないだろう。だからこの花束を代わりにしたらどうだ?」
とても素敵な提案だ。指輪の代わりに、ブーケを使うなんて!
「兄さん、とっても素敵な演出だね」
「くまさんの胸にブートニアを挿したら、潤たちが準備したベールを母さんに被せよう。そこから一気に結婚式だ」
「素敵な演出だね。上手くいくかな?」
「上手くいくさ。三兄弟で頑張って考えたんだから。芽生坊、これはここだけの秘密だぞ」
芽生くんも大人の会話に耳を傾けて、目を輝かせていた。一員になれたことが嬉しいのだろう。
「わかった。しーっだね」
そこに菫さんといっくんがやってくる。
「お邪魔します~ 潤くん、そろそろ私達も着替えをしないと」
「あ、菫さん、今、行くよ」
菫さんは僕と目を合うと、ニコッとお辞儀をしてくれた。
「菫さん、おめでとうございます。あとでブーケをお届けしますね」
「瑞樹くん、今日は私達のためにありがとうございます」
「こちらこそお招きありがとうございます」
菫さんと潤の物と、お母さんとくまさんのブーケ・ブートニアが無事に完成し、仲良く作業台に並んでいる。
今まで作ってきた数々のブーケの中でも、会心の出来映えに満足していた。
清々しいまでの満足感と達成感だ。
ふっと額の汗を拭うと、宗吾さんに労われた。
「瑞樹、頑張ったな」
「はい! こんなに嬉しいことはありません」
「よし、俺たちも着替えよう。何しろ、君と芽生には、とっておきの衣装を準備したのだから」
「はい!」
それぞれ更衣室と表示のある部屋に向かい、式の準備をする。ここは専門の結婚式場ではないので不便もあるが、イングリッシュガーデンのスタッフの人達が趣向を凝らし、準備してくれているのが嬉しかった。
「あー、コホン、ここに葉山潤くんのお兄さんはいるかね?」
「はい、僕ですか」
更衣室に向かうために後片付けをしていると、初老の紳士に呼ばれたので背筋が伸びた。きっとこの人が、このイングリッシュガーデンのオーナーだ。
「はじめまして。葉山瑞樹です」
「おぉ、君が……あの加々美花壇にお勤めだとか」
「あ……はい、僕の名刺です」
「フラワーアーティストでいらっしゃるのか。潤はいいお兄さんを持ったな」「弟がいつもお世話になっています」
「今日のことを、聞いたよ」
紳士が晴れやかな顔でウインクする。
「何でも、お母さんの再婚を、先にお祝いするって」
「あ……はい。そうなんです」
「……親族控え室は味気ない会議室なんだ。でも、それじゃ勿体ない。我が家の別棟にあるコンサバトリー(英国式サンルーム)を使うといい」
コンサバトリーは、家の中にありながら天井や側面がガラス張りで、日光がさんさんと降り注ぐ空間だ。
くまさんとお母さんの結婚式にぴったりで、嬉しくなった。
「宜しいのですか」
「一生に一度のお祝いだから、ぜひ使っておくれ」
「ありがとうございます」
「模擬結婚式に、素晴らしいブーケとブートニアを添えてくれてありがとう。撮影で使わせてもらうよ」
「はい。お役に立てれば嬉しいです」
「……ところで、模擬結婚式は建前で、今から起こることは、本物の結婚式だよ。どうか、お幸せに」
「はい!」
紳士は僕と宗吾さんと芽生くんを見て、また微笑んだ。
「君たちもお幸せに」
「あ……はい」
僕にまで、祝福の言葉を下さるなんて……
北鎌倉で宗吾さんと指輪を交換した日を思い出し、胸が熱くなっていると、宗吾さんがポケットから指輪を取り出してくれた。
「作業も終わったし、もうつけられそうか」
「はい! 是非、つけたいです」
二人の誓いを込めた指輪をつけて……
潤たちとお母さんたちの幸せを願おう。
誰もが幸せな存在なのだから、
どうか……皆、幸せに――
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