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光の庭にて 12
「お兄ちゃん、カタツムリさんだよ」
「本当だ」
「あっ、葉っぱとチューしてるよ」
「ええっと……」
芽生くんならではの無邪気な発想だが、急に照れ臭くなってしまった。宗吾さんも気まずそうに、隣でモゾモゾしている。
僕たち、距離が近すぎる……
引力の魔法のように、キスをしたくなる距離だ。
今、目が合ったら……欲情してしまう。
静まれ、僕の心臓。
「さ、さーてと、そろそろ戻るか」
「うん! 次はおふろだね。お兄ちゃん、立てる? ボクの手をどうぞ!」
芽生くんがまるで騎士のように手を差し出してくれたので、体重をかけないように、小さな手を取った。
芽生くんの瞳も宗吾さんと同じで、雨の雫を受けてキラキラと輝いていた。
宗吾さんの血を色濃く引く芽生くんは、僕の宝物だよ。
「芽生くん、ありがとう、助かったよ」
「えへへ、どういたしまして!」
「おっと、雨脚が強くなってきたな」
宗吾さんのポンチョは特大サイズだったので、腕をあげると庇《ひさし》のようになり雨風を凌げそうだった。
「よしっ、二人とも、ここに入れ」
「はい!」
「うん!」
「ええっと、母屋はこっちだったよな」
「パパ、あっちだよ」
「おう、そうか」
母屋に向かっていると、白いモノが目の前を横切った。
目を凝らすと、またもや巨大てるてる坊主の出現だった。
「えっ? パパ、今の……おばけ?」
「いや、あれは小森くんだろ」
「こ、小森くーん」
呼びかけたのに、巨大てるてる坊主は振り返りもせずに、行ってしまった。
「あれ? 聞えなかったかな……小森くん、どうかしたのかな?」
「うーむ、ちょっと怪しい動きだな」
「ワクワク! ボクたち、たんていさんみたいだね」
僕たちは気になって、小森くんが向かった山門を覗き混んだ。
すると……そこには……!
「えっ!」
「どうして……紫陽花を刈り取って?」
その光景に驚愕した!
てるてる坊主が、山門の石段脇に咲いている旬の紫陽花をどんどん刈り取っていたのだ。
階段には紫陽花の花が、丸ごと転がっていた。
「あぁ……なんてことを!」
「小森くん、よせ! 気でも狂ったのか!」
宗吾さんが慌てて走り出そうとするが、突然風雨が強まり、容易には近づけない。
紫陽花は大輪のまま、石段を儚く転げ落ちていく。
こんな光景を見るために、ここに来たんじゃない。
月影寺に咲く紫陽花の運命は、これじゃない!
「やめてくれ! 小森くん!」
自分でも驚くほど大きな声を出すと、背後から軽快な足音がした。
「どうしたんですか~ あのぅ? 呼びました? 僕はここですよ」
「えっ?」
振り返ると、小坊主姿に傘を差した小森くんが首を傾げていた。
「お、おばけ~!!!!」
芽生くんが腰を抜かしたので、宗吾さんが急いで抱き上げた。
「え? 僕ですよ……本物ですって! ほら足もありますでしょ」
「……‼」
僕たちは無言で、山門の階段で暴れる、てるてる坊主を指さした。
すると小森くんの顔色がサッと変わり、ふわふわした雰囲気を潜め凜とした面持ちになった。
サッと傘を閉じて、一気に駆けだした。
一体なんだ? あれは誰?
僕と芽生くんは宗吾さんにしがみついて、事の次第を見守った。
「こらっ! 悪戯小僧は紫陽花がきらいなの? それとも好きなの?」
「うぅぅ……」
小森くんが、てるてる坊主と対峙している。
「そうか、おかあさんが好きなんだね。分かった。一輪あげるから、さぁもう、お逝きなさい!」
お、おゆきなさいって……?
小森くんの慈悲深い言葉に、また雨風が強まり紫陽花が空に舞い上がった。僕たちがそれを見上げているうちに、てるてる坊主の姿は忽然と消えていた。
「今の、なんだ?」
「さ、さぁ……なんだったのでしょうか」
「お……おばけさんだったの?」
「うーん」
三人で頭を抱えていると、翠さんと流さんも駆けつけてくれた。
「うぉー? 俺が丹精を込めて育てた紫陽花が壊滅してるじゃないか、何事だ?」
「なんてこと……小森くん、何があった? もしかして……また」
「住職~ もう逝ってしまいましたが、加減の分からない子供だったのです。おかあさんに紫陽花を送りたかったそうです」
「……そうだったのか、それでは仕方が無いね。もう逝ってしまったのなら」
あの、あの、あの、『いく』ってやっぱりそちらの『逝く』ですか。
「あぁ瑞樹くんたちもいたのか。悪かったね、驚かせて……もう大丈夫だよ。それより参ったな。ただでさえ梅雨時は人が来ないのに、紫陽花も見事になくなってしまうなんて」
「翠、刈られてしまった紫陽花は元に戻らん。片付けるか」
「うーん」
翠さんが眉を八の字に寄せている。
「宗吾さん、僕たちも手伝いましょうか……紫陽花、綺麗に咲いていたのに勿体ないですね」
「……そうだな。あ、そうだ!」
宗吾さんがポケットからスマホを取り出して、画像を見せてくれた。
「これ、瑞樹になら出来るんじゃ?」
「……あっ、花手水ですか!」
「どうだ? これを作るのに、この紫陽花を利用できないか」
「やってみます!」
僕は翠さんに手水に花を生ける許可をもらい、階段に散らばった紫陽花を拾い集めた。
「お兄ちゃん、ボクも手伝うよ」
「瑞樹、俺もやる!」
花手水とは神社やお寺の入り口にある手を清めるための手水舎に、花を浮かべた物のことで、紫陽花で作ると水面のゆらぎと淡い色合いが相まって、涼しげで心癒やされる風景を生み出してくれる。
「ありがとうございます」
すぅ、はぁと深呼吸して心を整える。
刈り取られた花の命をもう一度魅せるのが、僕の仕事だ。
紫陽花の泥汚れを優しくゆすいで根元からカットして、そっと水に放つ。
「わぁ、いきかえったよ!」
「綺麗だな」
「はい、こんな風に紫陽花を浮かべていきます」
「よし! 俺たちが泥を落とすよ」
「ありがとうございます。助かります」
「お兄ちゃん、青ばかりじゃなくていろんな色があった方がキレイじゃないかなぁ」
「芽生くん、いいことを言うね」
すると洋くんがやってきた。
「瑞樹くん、すごいね。とても綺麗だ」
「洋くん、このお寺には違う色の紫陽花もあるのかな?」
「寺庭のは青と水色ばかりだが、俺の離れ周辺の紫陽花だけは土壌が違うのか、白とピンクのが咲いているよ」
「それ、少しだけ分けてくれる?」
洋くんが美しい顔を綻ばせた。
「良かった……俺でも……少しは君の役に立つんだな」
「もちろんだよ。すごく心強いよ」
「ええっと、俺は不器用だが……綺麗な物を見るのは好きなんだ」
「じゃあ洋くんのイメージで作ってみるよ」
「お……俺の?」
洋くんは目元を染めていた。その頬に雨の雫があたると、美しい顔に深みが増していた。
「そこで見ていてね」
「あぁ」
皆の助けを借りて、月影寺らしい花手水が完成した。
「うわぁ! きれい!」
「すごいよ」
楚々とした水色や青い紫陽花に、混じる白とピンクの紫陽花がアクセントだ。
大きな花瓶に花を生けるように、水を花器に花を生けた。
「瑞樹くん、これは素晴らしいね」
「あ、翠さん、勝手な真似をしました」
「いや、最高だよ。こんなに美しい景色になるなんて……これは是非檀家さんにも見ていただきたいな」
「そうだな。最近はめっきり人も来ず寂しいもんな」
「だよねぇ。御朱印もお守りも、さっぱりだね」
翠さんと流さんが、うんうんと相槌を打っている。
「それなら任せてくれ!」
宗吾さんが映える写真を撮って、あっという間にSNSで拡散してくれた。
「さぁ種は撒いた。俺たちは退散しよう!」
皆の協力が、心地良かった。
助け合える喜び、皆で成し遂げる喜びを、ひしひしと感じていた。
月影寺には、人と人との縁を深める魔法がかかっているようだ。
やっぱりここはすごい。
僕らのパワースポットだ。
補足
『重なる月』未読の方には分かりにくくて申し訳ありません。
寺の小坊主、小森くんには彷徨える魂を天上に導く不思議な力が備わっているという設定です。
美しい花手水の写真、アトリエブログに載せますね。
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