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ひと月、離れて(with ポケットこもりん)15
母が幼い頃持たせてくれたハンカチには、さりげなく刺繍がしてあることが多かった。
昔は恥ずかしいと感じ裏返してしまうこともあったのに、今は少しのほつれも気になる程、大切なものになっていた。
「憲吾、これでいい?」
「えっ」
「ふふ、おまけよ」
傘の下に、黄色い向日葵の刺繍?
「あら? ハートがよかった?」
「い、いえ。どうして向日葵なんですか」
「憲吾の弁護士バッジよ」
「あぁ……」
「瑞樹くんが向日葵の花言葉を教えてくれたの。その中で特に私が好きなのは『あなたは素晴らしい』よ。この向日葵は私から憲吾への気持ち」
「母さん」
この年にして母から、ストレートな愛情を受け取るのは恥ずかしい。
だが恥ずかしいを通り越して、嬉しかった。
「ありがとうございます」
「大人になると、守るべきルールも増えて、守るべき人も増えて、なかなか自分を労る機会がなくなっていくのよね。憲吾は特に真面目過ぎる所があるから……心配よ。自分を大切にしてね。あなたは私が産んだ大事な息子なんだから」
何もかも母さんにはお見通しだ。
「憲吾、宗吾と芽生をこの家に快く誘ってくれてありがとう、かっこ良かったわ」
手放しの愛情が擽ったかった。
この母を大事にしていこう。
もういない父の分も。
****
「瑞樹、実は……俺たち今日から実家に1週間お世話になることになったんだ」
「え? 急にどうしたのですか」
「その……いろいろやらかして、ギブアップ! 一休みして出直すよ。俺……父親としてまだまだだと痛感したよ」
それは僕が大阪に来て1週間経った夜の事だった。
恒例になったラブコールは、宗吾さんの悔しそうな声から始まった。
「そんなことないです。いつも宗吾さんは何事も全力投球で、立派です。頑張っています」
「……瑞樹、君がいないと……俺は息継ぎの仕方を忘れてしまうんだ。やるべきことに抹殺されて、大切な心を失ってしまうんだ」
宗吾さんの弱音を聞いた途端、今すぐ駆けつけて、抱きしめてあげたくなった。
「宗吾さん、どうか元気を出してください」
「あぁ、ごめんな、君だって疲れているのに」
「もどかしいです。僕が役に立てないのが悔しいんです」
「そんなことない。俺さ、君に甘えられるようになったんだ」
やっぱり抱きしめてあげたい。
それから抱きしめてもらいたい。
そんな想いが募るラブコールだった。
朝、芽生くんとモーニングコールをした。
「お兄ちゃんおはよう! あのね、昨日ね、おばあちゃんが来てくれたの。おじさんが車で来てくれたの。だから今日からおばあちゃんちにいるよ。ほうかごスクールもいかなくていいんだって。あ、おばーちゃん! おはよう~!」
すっかり元気になった芽生くんの様子に安堵すると同時に、ほんの少し寂しくなった。
僕の居場所、戻った時に……ちゃんとあるかな?
あぁ……こんなこと考えるなんて、お母さんにも憲吾さんにも宗吾さんにも芽生くんにも悪いのに。いつからこんな捻くれた考えを持つ人間になってしまったのかと、自分に少しがっかりしてしまった。
それから1週間、宗吾さんのラブコールも芽生くんとのモーニングコールも、欠かさずあった。
ただ……芽生くんはいつもと様子が違く、そわそわしていて、少し遠く感じた。
「何かいいことあったのかな?」
「うん! すごくいいこと。でもまだナイショだよ」
「そうか」
「今日はね、おばあちゃんとぶんぼうぐやさんにいくの」
「よかったね!」
生活が落ち着いた二人から聞かされる、ゆとりのある楽しそうな日常が眩しかった。
会いたい。
帰りたい。
僕もその輪に入りたい。
でも、今回の仕事はとても重要な任務であり、僕にとっても、やり甲斐のある仕事だ。
パビリオンの花たちが、毎朝僕を待っている。
入院中の彼から手塩に掛けられた花たちが、やっと僕にも心を開いて懐きだしたんだ。
仕事と家族、家庭……
そんなジレンマに人知れず悩んでいた。
それからポケットサイズになった小森くんと管野の仲睦まじい様子も、眩しかった。
いつの間にか、大阪に来て二週間経っていた。
何かあったら駆けつけるといった僕は、何もなくても駆けつけたい気分になっていた。
こんな醜い気持ち、管野には言えない。
鏡を見ると、寂しそうな僕が映っていた。
こんな表情を浮かべていたなんて情けない。
必死に取り繕うが、管野にはバレてしまうだろう。
こんな顔をしていた頃を、よく知っているから。
「うっ……う……う……」
今、僕は芽生くんからの手紙を読んで、嗚咽している。
ポケットには小さな芽生くんが入っている。
「馬鹿だなぁ、瑞樹ちゃん、こんなになるまで我慢して……宗吾さんと芽生坊は瑞樹ちゃんを全力で愛しているんだぞ、もっと自信を持てって」
「管野……ごめん。管野にも嫉妬してたんだ。小森くんといつも一緒でいいなって」
「ばーか。そんなことで謝るなよ。俺だって逆の立場だったら、羨ましくてたまらないよ」
「瑞樹くん、ごめんなさい。僕、自分のことばかりで修行が足りませんでした」
違う、違うんだ。
「管野が笑ってくれるの、管野が幸せそうなの……全部小森くんのお陰だ。お邪魔になんて思ったことないよ」
「あ! そうか……僕は御守りとして来たんだった。一番大切なことを忘れていました」
「くすっ、確かに少し大きな御守りサイズだけど……不思議なことを言うんだね」
「だから……あの、あの……これからも肌身離さずお近くにいさせていただいてもいいですか」
躊躇いがちに聞いてくる小さな小森くんが、いじらしくて可愛くて、抱きしめてあげた。
「あんこ……食べる?」
「はい! 食べまーす!」
「管野、今日は僕があんこあげたい」
「ははっ、よろしくな」
「あーん! あーん!」
僕はその晩、ポケットサイズの芽生くんを抱きしめながら、ラブコールをした。
「芽生くん、起きていますか」
「あぁ……声が弾んでいるな。ということはあれが無事に届いたのか」
「宗吾さんも知って?」
「あぁ……君を驚かせようと秘密にしていたようで、やきもきさせて悪かったな」
「……本当言うと、少し寂しかったです」
宗吾さんが息を呑む。
「ごめん、寂しい想いをさせちまったな」
「もう大丈夫です。だって……僕には芽生くんがいますから」
「芽生にかわるよ」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、そこにボクがいるんだね」
「うん、ちゃんと来たよ。可愛い芽生くん、ボクの芽生くんがいるよ」
「よかった~ ボクにはお兄ちゃんがいるよ。だからボクたちは……さみしくないよね!」
ボクたち……素敵な言葉だね。
僕も芽生くんも一緒だ。
寂しいという気持ちに、年齢制限はないんだね。
だから僕も本音を吐こう。
「芽生くん、お兄ちゃんね、本当はとても寂しかったんだ」
「やっぱりおばあちゃんの言った通りだった! うんうん、同じだよぅ。ボクもさみしかったよぅ……ぐすっ」
「芽生くん!」
「お兄ちゃーん、お兄ちゃーん」
僕たちは……今すぐ抱き合える距離にいない。
でも、それを補い繋いでくれるのが愛情だ。
「おいおい、芽生も瑞樹も泣くな。パパがいるだろう。さぁおいで!」
それは電話越しにも伝わる、確かな愛情。
そして深い抱擁。
目を閉じれば、いつも傍に愛しい人がいてくれる。
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