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ひと月、離れて(with ポケットこもりん)16
「瑞樹ちゃん、そろそろ行く時間だぞ」
「ちょっと待って」
僕は枕元に置いたポケット芽生くんを、作業服のズボンのポケットにそっとしまった。
「おはよう、僕の芽生くん。今日から一緒だね」
これが今日から、僕の日課になる。
ポケットに入れた途端、グンと体温があがり力が漲った。
上機嫌で玄関でスニーカーを履いていると、菅野がやってきた。
「今日はいい笑顔だな」
「昨日は、ごめん」
「気にするなって」
菅野に肩をガバッと組まれて、髪の毛をぐしゃっと弄られる。
「あっ、もうっ、せっかくセットしたのに」
「そうかぁ? みずきちゃんは少し乱れた位が可愛いぞ。よっ! ナチュラルな国の王子さま」
「……菅野って……」
「ん? どうした?」
「少し宗吾さんに似てきたよね」
「え! それだけは、いやだー」
「くすっ」
僕は、菅野とこんな風にじゃれ合うのが好きだ。
大沼の小学校では、ざっくばらんに接することが出来る友人がいたが、それ以降は僕が自ら輪から退いて作ろうとしなかったから、新鮮なんだよ。
「そうだ、小森くんは?」
「ここにいるよ。もう修行中さ。何も聞こえないみたいで、無になっているよ」
ちらっと胸ポケットを見せてくれると、冬眠するリスのように、小森くんがクルンと丸まっていた。
唇の横にあんこがくっついたままの、無邪気な寝顔はあどけない。
いやいや……修行中の『無』の姿だったね。
「えっと……小さな仏様みたいで、可愛いね」
「だろ? 俺の大切なお守りだ」
「菅野……小森くんと一緒でよかったな」
今日は、今まで言えなかった言葉がすんなり出てくる。
つっかえていた棒が取れたように。
「ありがとう。瑞樹ちゃんの芽生坊も元気か」
「うん、いい子にしているよ。僕を守ってくれる」
「そうだな、それは瑞樹ちゃんにとって『心のお守り』なんだな」
『心のお守り』か。
確かに心が弱ってしまった時、少しの勇気が欲しい時、100パーセント味方になって支えてくれるものがあると心強いよね。
そういう存在を『心のお守り』と言うのかもしれない。
心のお守りは、大切なものや愛読書、心に響いた言葉など、人それぞれだが、僕にとっては、宗吾さんと芽生くんという家族の存在だと言い切れる。
そんな心強い『心のお守り』を持てる僕は、今、とても幸せだ。
いつでも僕の心を癒やし、充電してくれる。
「よし、もう大丈夫だな」
「ここ数日、心配かけちゃったね。それに昨日はあんなことを言ってごめん」
「いや、実は可愛い嫉妬に自惚れそうだった」
「え?」
「俺、本当に葉山の親友になれたんだって、しみじみしたぜ」
菅野も僕も……何となく気恥ずかしくなって、外に飛び出した。
「おー! 今日は秋晴れだな」
「うん、今日も頑張ろう!」
さぁ、1ヶ月の出向も折り返しだ。
気持ち新たに、やっていこう。
見上げた青空の向こうに、芽生くんと宗吾さんの輝く笑顔を見つけた。
****
一週間の実家滞在で、俺も芽生もすっかりペースを取り戻せた。
「それじゃ母さん、世話になりました」
「……宗吾も芽生も、瑞樹くんが帰って来るまでいてもいいのよ」
母さんが珍しく名残惜しそうな声を出して、引き止めた。
きっと、それだけ母さんにとって賑やかで楽しい日々だったのだろう。
それにしても俺を家に呼ぼうと最初に提案してくれたのが兄だと聞いて驚いた。以前の兄だったら、絶対に言わない台詞だ。万が一言われても、あの頃の俺だったら、突っぱねていただろう。
もしかしたら……今まで見えなかったものは、ずっと隠れていたものなのかもしれないな。
全部、全部……瑞樹の優しさのお陰だ。
君が兄の心も、俺の心も柔らかくしてくれた。
「また何かあったらいらっしゃい。一人で抱え込まないこと」
「あぁ、母さんの言葉は心強いよ。逃げ場があるって心強いな。今までは格好悪いと思っていたのに……母さんの存在は、俺にとって『心のお守り』のひとつだ。ありがとう!」
「まぁ……嬉しいことを言ってくれるのね。そうね、瑞樹くんも頑張っているし、宗吾も芽生も、もうひと頑張りね! さぁ元気にいってらっしゃい!」
母さんに肩をポンと押されて、家を出た。
そういえば、母さんはいつも、こうやって送り出してくれた。
背中に母の温もりを感じつつ、俺は芽生と一緒に歩き出した。
「芽生、今日からまたパパと二人だが大丈夫そうか」
「うん! ポケットお兄ちゃんもいるし、もう大丈夫だよ」
「あぁ母さんの作ってくれたぬいぐるみか」
「うん、おばあちゃんの手ってすごいね。まほうの手だね」
「あぁ、母さん、手先が器用だったからな」
昔、ハンカチに傘の刺繍とイニシャルを入れてくれた。
兄さんと色違いで恥ずかしかったが、あれはどこにしまったか。
確か密かに大事にして、しまってあるはずだ。
家に戻ったら探してみよう。
「パパ、お空が青いね」
「あぁ、瑞樹も今頃きっと、この空を見上げているよ」
「お空はつながっているんだったよね」
「そうだ。よく覚えていたな」
瑞樹は、今、俺と芽生と離れた場所で頑張っている。
瑞樹がくじけそうになっている時に、すぐに駆けつけてやれないのがもどかしかったが、瑞樹も同じことを思っていたようだ。俺もわずか一週間にしてメンタルをやられて心配かけた。
そうか……俺もいつの間にか君に弱音を吐けるようになったんだな。
こんな風に離れているからこそ、気付けることがある。
やはり日々起こる物事には、何かしらの意味があるようだ。
「お兄ちゃん、いってきまーす!」
ランドセルを背負った芽生が青空に向かって、大きく手を振った。
空の向こうに、瑞樹の和やかな笑顔を思い浮かべた。
安心しろ。瑞樹の居場所は、ちゃんとここにある。
大阪と東京という物理的な距離は超えられないが、心はこんな風に飛ばすことが出来る。
昨日のラブ・コールも今朝のモーニング・コールも、俺たちの心と心を一直線に結んでくれた。
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