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ひと月、離れて(with ポケットこもりん)22

 新大阪駅 「わぁー ボク、おおさかって、はじめて」 「芽生、迷子にならないようにするんだぞ」 「パパ、手をつないで」 「あぁ、もちろん」  芽生と共に新大阪駅に降り立つと、胸がいっきに高鳴った。  瑞樹、聞こえるか。  俺……君が頑張っている土地にやってきたぞ。  地下鉄で関西パビリオンの広告を見かけた時は無性に反対方向の電車に乗って、この足で駆けつけたい衝動に駆られた。  いや、駄目だ。今回は仕事が終わった君を労うために迎えに来たのだ。  君の仕事の邪魔はしない。  お互い1ヶ月離れていたから、会えば感情が昂ぶってしまうのが分かっている。  あとたった1日なのだから、ペースは崩さない方がいい。    梅田駅で降りると、人の往来が激しかった。  ここには君はいないと分かっていても、雑踏の中につい探してしまう。  悪い癖だ。  この1ヶ月……離れていた分だけ、膨らんだ愛。  そろそろ置かせて欲しい。 「パパ、あぶないよ。こっちではエスカレーターは右に立つみたい」 「おっと、そうだったな。ごめんな、ぼんやりして」 「ふしぎだね。おなじ日本なのに、ちがうなんて」 「そうだな。少し文化が違うんだよ」 「さっきから言葉もすこしちがうよ」 「あぁそうだな。大阪弁だ」 「ふぅん、お兄ちゃん、ここでがんばっていたんだね。ひとりで……」  芽生が呟いた一言に、ぐっと来た。  俺には芽生がいたが、瑞樹は一人だった。  菅野くんが傍にいてくれたのは救いだったが、俺たちはいなかった。 「あ、あんこ! おいしそう」 「芽生は、あの寺の小坊主くんの影響を受けたようだな」 「えへへ、キャンプであんこがどんなにおいしいか、いっぱいおしえてもらったもん」 「あんこもいいが、今日はたこ焼きとお好み焼きだ。本場は美味しいぞ」  目星をつけてきた店に、芽生を連れて入った。  まだ夕方の早い時間だったが、子連れにはちょうどいい、 「どうした? 美味しくないか」 「えっとね、お兄ちゃんがここにいたらいいなって……あ、今日はがまんするよ」 「……明日からは、また元通りだぞ」 「うん! お兄ちゃん、いまごろ何をしているかな」 「がんばっているさ」 「ボクたちが大阪にいるって知ったら、びっくりするだろうね」 「そうだな。きっと喜んでくれるよ」  明日の感動の再会シーンを想像しながら、俺はたこ焼きを頬張った。    梅田のホテルにチェックインし、まずは二人で風呂に入った。 「パパぁ、おふろ……せまいから、きついよ」 「我慢しろ、ビジネスホテルだから限界があるんだよ」 「ここじゃ、3人はだめだね」 「そうだなぁ、やっぱり我が家がいいよなぁ」     いやいや我が家でも、そろそろ狭いんだけどな。  いつか瑞樹と家を建てよう。  その時は風呂場はうーんと広くしよう。  俺たちは、もうずっとイチャイチャしていそうだからな。 「パパのお鼻の下、また、びよーんとしているよ」  風呂上がりにバスローブ姿でベッドに座り、冷蔵庫の缶ビールに手を伸ばしそうになったが、やはり今日は止めておこうと思った。  ひとりで飲むのは、もうやめよう。  そして夜9時、定刻通り瑞樹へラブコールをした。  ところが、最初から様子が変だった。 「どうした? 声が沈んでいるな……ん?」  優しく促すと、か細く切ない声が漏れた。   「宗吾さん……会いたいです。もう……今すぐ会いたいです」  今宵の瑞樹の声は、どこまでも儚く切なくて、ぞっとした。 「どうした? 一体何があった?」 「……」  こんな時、瑞樹は心配させないように押し黙る癖がある。そして何でもないと言う癖も。案の定…… 「何でもないです、すみません……ちょっと疲れているみたいで」  放っておけるはずがない! 東京にいたって夜行で駆けつけたくなる程、切ない声だ。 「瑞樹、今すぐ行くよ! 君を一足先に迎えに行ってもいいか」  ありったけの情熱を注いで訴えるは……   「……慰めて下さって、ありがとうございます」 「お、おい! 待てよ」 「……おやすみなさい、もう寝ますね」  瑞樹は一方的に電話を切ってしまった。 「パパ、どうしたの? お兄ちゃんにかわってほしいのに」 「うーん、様子が変だった。よしっ芽生、行くぞ!」 「ボクたち、きゅうきゅうしゃ?」 「あ? あぁ……そうだ、心の救急車、出動だ!」 「じゃあ、いそがないと」  俺たちは慌ててもう一度服を着て、タクシーに飛び乗った。  飲酒しなくてよかった。  1ヶ月ぶりの再会は素面がいい。 **** 「葉山、どうした?」  部屋で蹲っていると……トントンと扉をノックされた。  すぐに立てないでいると、菅野の心配そうな声が続いた。  まださっきの事故寸前の出来事に……心臓がバクバクしている。  菅野は無事でかすり傷一つなかったのは、何度も何度も確かめたのに…… 「一体、どうしたんだ? 電気もつけないで」  暗闇も怖かったが、もっと怖かったのは、明るい光を浴びることだったのを思い出してしまった。  あの日……雷雨が鳴り響く、薄暗い車道。  僕が稲妻と対向車の眩しいライトを浴びた時、すべてが終わった。  背中に冷たい汗が流れ、手の平もじわっと濡れた。 「おいっ、葉山、大丈夫じゃなさそうだ! 中に入るぞ」  菅野が心配した声と共に飛び込んでくる。  その時、パッと照明がついた。  蛍光灯の白々しい明かりが眩しくて、顔をサッと背けた。  手元を見つめて、ぞくっとした。  僕の両手……真っ赤に染まって…… 「あ……あぁ、どうしよう! 夏樹……夏樹……っ」  もうだめだ。ズルッと一気に過去に引きずられてしまう! 「お、おい、葉山! どうした?」 「あああぁ……」  喉の奥からは、もう悲痛な声しか出せなかった。  こんなにみっともない姿、菅野に見せたくないのに。  宗吾さん……芽生くん……助けて!  呼吸が出来なくて、喉を押さえて必死に藻掻いた。  菅野と小森くんの声が、どんどん遠くにいってしまう。 「葉山! しっかりしろ!」 「瑞樹くん、しっかりして下さい。みんな無事です! 無事なんです!」  ガクッと身体の力が抜けて、僕の視界は真っ暗になった。  秒針の音だけがカチコチと聞こえる静かな部屋に寝かされていた。  廊下で声を潜めた声がする。  見知らぬ誰かの暗いトーンの声だった。   「悲惨な事故だったのに、あの少年だけ無傷だったのは奇跡だな。しかしお気の毒に……両親と弟が亡くなってしまうなんて」 「可哀想ですね」 「それで親族に連絡はついたのか」 「まだです」 「彼は……独りぼっちになってしまったんだな」  奇跡……?  そんな奇跡はいらない。  お父さんとお母さんと夏樹が死んだ?  僕はひとりぼっち?  怖くて怖くて、目を開けられないよ。  目を開けたら……待っているのは、あの幸せな日々ではないことを知ってしまった。  お父さんもお母さんも夏樹もいない、寂しい世界しか待っていないなんて。  僕はブルブル震えながら目をギュッと閉じた。  すると堪えきれなかった涙が溢れて、頬を伝った。  誰も、もうこの涙を拭いてくれない。  もう誰も―― お父さん、お母さん、夏樹!  僕もそこに逝きたい。  僕を迎えにきて……  重たい身体を必死に動かして、必死に両手を天上に向けて差し出した。  僕を連れていって欲しくて…… 「瑞樹、瑞樹……俺だ! 目を覚ませ!」 「お兄ちゃん、お兄ちゃん、ボクだよ」 「君を迎えにきたよ」 「お兄ちゃん、お迎えの時間だよ」    右手はとても力強い、温かいもので包まれた。   左手はとても小さく、可愛いもので握られた。 ハッと目を覚ますと、僕の大切な人たちの顔が見えた。 「ど……どうして……これは……夢ですか」 「夢なんかじゃない! 君を迎えに来たんだよ。大阪まで」 「……えっ」 「本当は明日、姿を見せるつもりだったんだが放っておけないよ。間に合って良かった」  宗吾さんにガシッと抱きしめられ、これが現実だと、ようやく理解できた。 「宗吾さん……宗吾さん……宗吾さぁん……ぐすっ、ぐすっ」  堪えきれないものがドバッと溢れてきて、宗吾さんに縋り付くように泣き崩れてしまった。 「あぁ……よしよし、今日は怖かったな。もう大丈夫だ。みんな無事だ。誰ひとり……君の周りからは欠けていない」 「うううっ……怖かったんです。僕……また……大事な人を失ってしまうのかと……」 「瑞樹ちゃん、ごめんな。もっとケアしないといけなかったのに……宗吾さんと芽生坊が来てくれて助かったよ」 「菅野……菅野……本当に無事なんだなよな?」  僕はもう一度菅野を見つめた。 「あぁ、瑞樹ちゃんの親友の菅野は、この通り元気だぜ」  いつもの笑顔を確認し、心から安堵した。  隣には元の姿に戻った小森くんも立っていた。  そして僕をしっかり抱きしめてくれている宗吾さんと目があった。  僕と手をつないでくれる芽生くんとも。 「瑞樹、偉かったな。頑張ったな」 「お兄ちゃん、すごいよ!」 「君を迎えにきたよ! 待ちきれなかった。今日からまたチーム滝沢はひとつになるんだ!」 「はい……僕……嬉しい。すごく嬉しいです」  頼もしい宗吾さんによって、あまりに悲しい思い出は消え去った。  冷たい涙が、あたたかい涙に変わっていく。  虹が架かるように、僕の心もカラフルに色づいていった。    

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