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実りの秋 18
「次は2年生全員によるダンス『みんなニコニコ』です」
アナウンスが入ると、宗吾さんが僕に手を差し出した。
「瑞樹、行こうぜ!」
「えっ?」
「もっと近くで見るのさ!」
「あ……はい!」
宗吾さんが、僕を呼ぶ。
僕を迎えに来てくれる!
だからもう頬を濡らす涙は拭いて、明るく笑いたい。
晴れの日に相応しい顔で、芽生くんの踊りを見たい。
「芽生の踊る位置、結構向こうなんだよ」
「分かりました」
「みーくん! ちょっと待て」
歩き出そうとすると背後から、くまさんに呼ばれた。
「このカメラを持っていくといい。芽生くんを沢山撮っておいで」
「えっ、いいんですか」
「当たり前だ。このカメラは元々君のお父さんの物だ。あの日のように、今度は君が大切な息子を撮影する番だよ」
手渡されたカメラのズシッとした重みに、もうこの世にはいない父の存在を確かに感じた。
「ありがとうございます! 撮ってきます。お父さんのように、僕も!」
運動会でカメラを構えるお父さんの姿は残念ながら思い出せなかったが、お父さんが僕だけを見つめてくれていたことは、写真からひしひしと伝わって来た。
「いつか芽生くんと一緒に見返す日のためにも、頑張って撮ってきますね」
「うっ……是非、是非、そうしてくれ」
くまさんが一瞬言葉に詰まった。
でもその後、満面の笑みで送り出してくれた。
もしかして天国のお父さん、あなたも同じことを思ってくれたのですか。
人混みを潜り抜け、辿り着いたのは鉄棒前の広場。
一気に視界が開けた。
ここからなら芽生くんがよく見えそうだ。
「芽生だ! 赤いバンダナに団扇《うちわ》を持っているぞ」
宗吾さんがビデオ片手に教えてくれる。
「あ、僕にも見えました! 可愛いですね。団扇に何か描いてあります?」
「んー ちょっとズームにしてみるよ。あぁ、顔だ! にっこり笑った顔がクレヨンで描いてあるぞ」
「素敵ですね!」
2年生が笑顔の団扇を持って、元気よく踊り出した。そこにアナウンスが入る。
「二年生の両手に持っている団扇には、子供達が大切な人の笑顔を描きました。お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、妹や弟、可愛いわんちゃんや猫ちゃん。みんながいるから笑顔になれます!」
先生の言葉に、胸が熱くなった。
お母さんがいなくても、芽生くんにはみんながいるよ。
今日、君のために集まったメンバーを見てご覧。
芽生くん、君は愛されている。
みんな芽生くんが好きだよ。
ひとりじゃない。
僕にとって君は可愛い弟であり、大切な息子でもあるんだよ。
だから今日のこの瞬間を、ありったけの愛情を込めてカメラに収めさせて欲しい。
いつか芽生くんが大人になった時に、僕と一緒にアルバムを眺めよう!
そんな日が必ず来るよ。
「ははっ、あれは絶対に瑞樹の顔だな」
「え? そうですか」
「あのクリクリとした目と可愛い口、薔薇色のほっぺたは絶対に瑞樹だ」
「ちょ……恥ずかしいです。っていうか、今のビデオに声が入ってしまいましたよ」
「なぁに、どうせ芽生も同じことを思っているんだから問題ないさ。じゃなければ、あんなに上手に描けないよ! 流石、俺の息子だな。そしてもう片方は凜々しい俺だな。どうだ? 瑞樹、俺はカッコイイか」
「そ、宗吾さんは、ビデオに集中してくださいーっ」
つい叫んでしまった。
きっと……お父さんとお母さんの顔を描く子が多かっただろうに……そんな中、しっかり僕を描いてくれた芽生くんが愛おしくて溜まらないよ。
軽快な音楽に合わせて大きく手を伸ばし、クルクル回って、お尻をフリフリする子どもらしいダンスに、笑顔が零れるよ。
最後は2年生全員が団扇を空にかざして、笑顔を弾けさせた。
青空の下、子供の笑顔と団扇の中の笑顔が連なって、大きな花となる。
その中に、僕がいることへの感謝の気持ち。
この光景は一生忘れられない!
僕も子供達と一緒に、青空を見上げた。
空に浮かぶ大きな白い雲。
あの雲の上から、お父さんもお母さんも夏樹も見守ってくれている気がした。もしかしたら宗吾さんのお父さんも一緒にいたりして。
空を見上げると人が癒やされほっとするのは、空が大切な人と繋がっているからなんだね。
離れて暮らしていても、この世で会えなくなってしまっていても、空は会いたい人と、心を繋げてくれる。
「お父さんの写真を無事に見ることが出来ました。一緒に見ることは叶わなかったけれども、くまさんが僕のお父さんとなり支えてくれます。今日だって駆けつけてくれて労ってくれました。そして僕の知らないお父さんのことも、いつも沢山教えてくれます。お父さんは、もう二度と会えない場所にいってしまったとずっと思っていたけれども、最近はどこか身近に感じています。またいつか会えると存在となりました。お父さん、雲の上から見てくれて、ありがとうございます」
****
軽井沢。
「ママぁ、あしたはうんどうかいだよぉ。ママもちゃんときてね」
「うんうん、楽しみね。パパといっしょにがんばる姿、おうえんするね」
「よかったぁ。ママぁ……あのね、またちょっとだけさわってもいい?」
「うん、もちろんよ」
「あい! やさしくするね」
いっくんが、そっと私のお腹に手を当ててくれた。
まだ赤ちゃんみたいな紅葉みたいに可愛い手。
「いっくん、だーいすきよ」
「ママぁ、いっくんもだいだい、だーいしゅきだよ。だからはやくげんきになってね」
「うん、パパもいるから大丈夫よ」
この妊娠は、家族の絆を深めてくれる。
そんな気持ちが満ちているわ。
つわりがキツくても、笑顔を浮かべられるの。
「ふぅ~ 菫さん、いっくん、ご飯が出来たぞ」
「わぁい! いっくん、ぽんぽんしゅいた」
「今日はシチューだぞ」
「すごーい! パパ、パパ、パパ、ありがとー!」
潤くん、ありがとう。
お料理はまだ得意とはいえないけれども、必死に覚えようと努力してくれている。
一緒に暮らすようになって、初めて知ることばかりよ。
潤くんはかなりの努力家だわ。出来ないことを出来ないと諦めないで、一歩でも近づけるように懸命に覚え、実践し身体で習得しようとしてくれるの。
「あれ? 潤くん、ちょっと右手を見せて」
「あ……なんでもないよ」
潤くんが気まずそうに手を後ろに隠す。
「潤くん!」
「大丈夫だって。軽く鍋で火傷しただけだよ。蓋のつまみって、熱くなるんだな」
「お鍋によけるど、うちの熱くなるわ。もしかして鍋掴みを使わなかったの?」
「……使うは使ったけど」
そこで、はたと気付いたわ。我が家の鍋掴みは、私が自分用にジャストサイズで作ったもので、潤くんの大きな手は入らないということを。
「ごめんね、気付かなくて」
「いや、手は入らなくても一応使えたよ」
「でも火傷しちゃって」
「ごめん」
「謝らないで! しっかり冷やして、それから薬を塗ってあげるわ」
「菫さんは優しいんだな。就職してから怪我なんて日常茶飯事過ぎて、こんなの舐めとけば治るさ」
「慣れないで! 人は傷つけば痛いと感じるものよ。ちゃんと見せて」
「あ……うん。じゃあ……」
潤くんが素直に手を出してくれた。
よく見れば無数の傷跡がある。
「不器用なのさ、本当は」
「でも努力家だわ」
「……人を傷つけてばかりだった」
「今は心の痛みが分かる人だわ」
「そういえば……就職するまで、少しでも怪我すれば、すぐに誰かが飛んできて治療してくれた。母さんにも兄さんたちも、大事にされていたんだな」
「潤くんの家族は、今も皆、あなたを愛しているわ」
「あ、ありがとう」
「今は私がいるから、遠慮しないで痛い時は痛いって言ってね」
潤くんが泣きそうな顔をする。
必死に我慢している顔だわ。
彼をふわりと抱きしめてあげると、いっくんもパパにくっついてくれた。
「パパぁ、いたいのいたいのとんでけ」
「いっくん、そんな言葉まで知っているのか。ありがとうな」
「えへへ、よかったでしゅ。あのね、これ、めーくんにおしえてもらったの。めーくんはね、みーくんにおしえてもらったんだって」
みーくんとは瑞樹さんのことね。
潤くんが過去に上手くいかない時期があったと告白してくれたお兄さん。
瑞樹さんの繊細な優しさが、回り回って、今、潤くんに届くなんて!
本当に素敵な巡り合わせだわ。
血が繋がっていなくても、素晴らしい兄弟よ。
「ありがとう、オレ……やっぱりとても幸せだ」
「私も、ほっとする」
潤くんの冷たくなった手に触れて、そっと囁く。
「もう痛くない? 潤くん、大好きよ」
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