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実りの秋 20
「みーくん、どうした?」
「あの、運動会に来てくれたお父さんの顔が、一瞬見えたような気がして……」
正直に伝えると、くまさんも空を見上げて目を細めてくれた。
「あぁ、大樹さんが近くに来てくれているんだな」
「あの雲の上には……みんな、揃っているのかな……」
「そうだな。俺はそう思うよ」
くまさんが、空に向けて手を振った。
「大樹さん、ここですよ! あなたの息子はこんなに大きくなって、かつてのあなたのように、愛しい息子の写真を沢山撮っていますよ」
くまさんがお父さんに報告してくれる。
その声が、心地良かった。
そこに、ぽすっと、ぬくもりが飛び込んで来た。
見下ろすと、赤い帽子の芽生くんが僕にくっついてニコニコ笑っていた。
「お兄ちゃん! おべんとう、たべにきたよー」
そうか、もうお昼の時間なんだ。
「芽生くん!」
「会いたかった~」
すっかり家の顔に戻った芽生くんは、「お腹ペコペコだよ~」と甘えた声を出していた。
「じゃあ、まず手を拭こうね」
「うん、お兄ちゃん~ ふいて」
「くすっ、いいよ!」
まだ小さな手を丁寧に拭いてあげると、芽生くんが僕をじっと見つめた。
「どうしたの?」
「あのね、これあげる」
「あ、さっきの団扇だ」
「これね、パパとお兄ちゃんをかいたんだよ」
「うれしいよ」
「ダンスが終わった時、先生がこれを持って帰っていいって言ってくれたからうれしくて、おともだちとおおさわぎしちゃった」
なるほど、さっき退場門を通った時、興奮した様子だったのは、それでだったのかと、ほっこりした。
「お兄ちゃんはトクベツかわいくかいたんだよ」
「ありがとう」
「パパは、ボクよりカッコよくかいたよ」
「ははっ、芽生、パパにもくれるのか」
「もちろんだよ。ボクの家族の絵だもん!」
芽生くん、ありがとう。
まだまだ、このままでいいよ。
ゆっくり成長して欲しい。
急いで大人にならなくていいからね。
「さぁ、昼にしようぜ」
宗吾さんがレジャーシートの真ん中に三段重ねのお弁当とペットボートルのお茶を並べてくれた。
「手伝います」
「じゃあ紙皿と割り箸を配ってくれ」
すると函館のお母さんとくまさんに、声をかけられた。
「瑞樹、私達は急に来たから、どこか外で食べてくるわ」
「大丈夫だよ。多めに作ったから、一緒に食べて」
「……いいの?」
「もちろんだよ」
くまさんとお母さんが顔を見合わせて、頷いた。
「じゃあ、混ぜてもらおうか」
「瑞樹、これ、お腹の足しになるかしら? ドーナッツを沢山作ってきたのよ」
「わぁ、嬉しいです」
全員が座るスペースはなかったが周りの人が詰めてくれて、なんとか輪になれた。肩が触れ合う距離に、ぎゅうぎゅうだ。
「こんなにいっぱいで、すごいね」
「あぁ、芽生、いっぱい食べろよ」
「パパ……えっとね、こんなにいっぱい集まってくれて、すごいね」
「あぁ、そっちか」
宗吾さんが芽生くんの頭を優しく撫でた。
「みーんな、芽生に会いたくて集まってくれたんだ」
「うん! パパ……あのね……お友達に……きかれたから……ボク『みんながきてくれる』って答えたんだけど、それであってるよね?」
「……あぁ芽生にはみんながついている! だから大丈夫だ!」
「うん、よかったぁ」
(お母さんは来ないの?)
もしかしたら、そんな風に聞かれたのかもしれない。
ふとしたやりとりに少しの切なさが生まれるが、それはみんながいるから、掻き消してくれるね。
そういえばボクも……
函館のお母さんは花屋の仕事があって運動会には来られなかったけれども、必ず広樹兄さんが来てくれたんだよ。
おにぎりがいっぱい詰まったお弁当箱を持ってきてくれて、嬉しかったんだ。
それを兄さんと肩を寄せ合って、モグモグ食べたよね。
あの時、兄さんが僕の傘になってくれて、うれしかったよ。
『誰かがいなくても、誰かがいてくれる』
それでいいんだよね。
欠けた月がまた満ちていくように、人は人で補いあって生きていく。
****
函館。
店番をしていると、みっちゃんに声をかけられた。
「ヒロくん、ごめん! 優美がぐずってお昼ご飯をまだ作れてないの~」
「大丈夫だよ。今日は俺が作るよ!」
「ごめんね、ご飯は炊いたんだけど……」
「じゃあ、おにぎりでも握るか」
「助かるわ」
確か冷凍庫にたらこがあったはず。
腕まくりして手を洗うと、ふと昔を思い出した。
瑞樹を引き取ったのは、瑞樹が10歳の時だった。
間もなくやってきた秋の運動会。
きっと去年は亡くなった両親と弟が駆けつけて、さぞかし賑やかだったはずだ思うと、可哀想になった。
……
「母さん、今日は瑞樹の運動会に行けるの?」
「……行けるはずないでしょう。誰か人でも雇えれば行けるのにね」
「じゃあ俺が店番やるよ」
「中学生の子に任せられないわ」
「……俺が運動会に行くよ」
「でも、広樹は中間テスト前じゃないの?」
「そんなの関係ない。外でも勉強できるさ」
「じゃあ……いい? これでパンでも買ってあげて」
小銭をチャリンと渡されて、これは違うと思った。
「母さん、あのさ、金はいいから、残っているご飯でおにぎり作っていい?」
「いいけど? 作れるの? あ、いらっしゃいませ」
「……やってみるさ!」
家の手伝いは良くしていたが、料理は苦手だった。
「アチチっ、あれ? 具がないな」
鮭やたらこでも入れてやれば喜ぶだろうに……あいにく冷蔵庫を覗いても見当たらず、仕方が無いので、塩をふりかけて海苔を巻いた。
かなりいびつだが……ないよりはあった方がいいだろう。
弁当箱を持って運動会に行くと、もうとっくに始まっていた。
「瑞樹……どこだ?」
すぐに見つかった。
瑞樹だけ、体操着も帽子も違ったから。
それが余計に彼を目立たせ孤独にさせていることが、中学生の俺にもひしひしと伝わって来た。
「俺の体操服……ボロボロで着られなくてごめん。紅白帽もなくしてごめんな」
これからは瑞樹に譲れるように、大切に着ようと誓った。
ぽつんと佇む少年に近寄る子はおらず、昼食時間になると、それぞれの親が迎えに来てくれる中、瑞樹だけが取り残されていた。
「瑞樹、弁当持ってきたぞ」
「あ……広樹……兄さん」
「どうした? ほら、あっちで食べようぜ」
レジャーシートを敷いて瑞樹を木陰に座らせ、その横に俺も座った。
潤の幼稚園の物だから、かなり窮屈なレジャーシートだった。
横で瑞樹の小さな身体が震えている。
とても寂しかったんだな。
それは口に出せなくて、そっと肩を抱いてやった。
「ほら、食べろ。具がなくて悪いが」
「ううん……よかった……」
来てくれて……
それはか細い、聞き取れない程小さな声だった。
こんな俺でも、まだ中学生の俺でも、瑞樹の傘になれるんだ。
これからはもっと頑丈な傘になるよ。
小さな瑞樹がまた明るく笑えるように、幸せになれるように、兄さん頑張るよ。
……
「ヒロくん、大丈夫? 泣いてるの?」
「えっ、まさか」
「気のせいか。あ、美味しそう! 相変わらずおにぎり握るの上手ね」
「昔、特訓したからな」
今ごろ、芽生坊の運動会か。
だから、思い出したのか。
小さくて寂しかった瑞樹はもういない。
今頃、賑やかに食事中だろう。
よかった。
本当に良かったな!
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