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実りの秋 45

 新幹線の駅で、兄さんを見送った。  兄さんは両手に沢山の荷物を持っていて手を振れない代わりに、最高の笑顔を見せてくれた。 「じゅーん、楽しかったよ! また会おう」 「兄さん、来てくれてありがとう!」  兄さんは最後にオレに近寄って、小さな声で囁いた。   「潤、僕たちにお父さんが出来てよかったね」  その言葉に心を掴まれた。 「じゃあ行くよ!」 「あ……あぁ、気をつけて」 「うん!」  兄さんは相変わらずアイドルみたいに可憐なので、すれ違う人がチラチラと横目で見るのが気になった。だから熊田さんにぼやいてしまった。   「兄さん、本当にひとりで大丈夫ですかね」 「今のみーくんなら大丈夫だ」 「そうでしょうか」 「そうだよ」  熊田さんの一言一言が、心強い。  兄達とはまた違う、深く強い愛を感じる。  もう一度兄さんの言葉を噛みしめた。 『僕たちにお父さんが出来て良かったね』か……  いっくんが父さんを知らずに育ったように、オレもずっと知らなかった。  父親って、いてくれるだけで……こんなに頼もしい存在なのだな。  どこかで熊田さんは瑞樹兄さんのお父さんの弟子だったから、オレの母と再婚はしたが、オレの父親ではないと思っていた。瑞樹兄さんの新しいお父さんなのだと。  だから今日、まさかオレの結婚相手の子供の運動会を見に来てくれるなんて思いもしなかった。しかも兄さんと一緒に帰ってしまうかと思ったのに泊ってくれるなんて…… 「さてと、この可愛い坊やは俺が抱っこしたままでいいか」 「あ、すみません」 「いっくんは俺の孫なんだよな? 」 「は、はい!」 「じゃあ、おじいちゃんが抱っこしてもいいよな?」 「もちろんです!」  熊田さんは、カッコいい。  こんな人が父さんになってくれるなんて、嬉しい。 「さぁ、戻ろう。そうだ。俺たちも夕食は駅弁にしよう。潤くん、これで人数分買ってきてくれ」 「ありがとうございます。と、父さん」 「あぁ、いいな。俺も君のこと潤と呼んでもいいか」 「もちろんです!」 「頼もしい息子が出来て嬉しいよ」  父さん、父さん……父さん。  いっくんが何度もオレを呼ぶ気持ちが、今なら痛い程分かる。  オレも連呼したい衝動に駆られていた。 「父さんって呼ばれるの、嬉しいよ。オレには一生縁がないと思っていたから」 「父さん、オレ……」 「潤もいっくんと同じなんだな。父さんと触れ合った記憶がないんだな」 「は……い。だから実感が湧かなくて……父さんってこんなに大きくて暖かい存在なんですね」 「そう感じてくれるのなら、うれしいよ。じゅーん」 「えっ」 「みーくんのマネさ」  父さんの胸に抱かれるいっくんは頬を赤く染めて、可愛い子リスのように丸まっていた。 「さぁ、奥さんの所に戻ろう。俺もさっちゃんに会いたい」 「は、はい!」  オレの父さん。  あぁ、最高だ。  なんていい響きなんだろう。 ****  ふぅ~ 重たかった。  お父さんと潤と別れ新幹線に乗り込み、指定席に着席した。  通路側の席を選んだが、まだ早い時間のせいか隣は空席だった。  心の奥でほっと安堵する自分に苦笑した。  新幹線にひとりで乗るのは、やっぱり少し苦手だ。  もしもあの人が急に目の前に現れたら……どうしよう?  そんな不安はいつまでも消せない。  こればかりは仕方がない。  植え付けられた恐怖は消しきれない。  だが、そんなことは、もう二度とない。  宗吾さんが教えてくれた言葉を信じているから。 『もうアイツはいないよ。遠くに行った。二度と目の前には現れない』  その言葉がお守りだ。  宗吾さんに新幹線に乗った事と、釜飯を夕食に購入した事を伝えて……すとんと眠りに落ちた。  昨日から早起きしてお弁当を作って大忙しだった。流石に疲労困憊だ。  宗吾さんもきっと今頃昼寝中かな? 芽生くんと一緒に。  いい夢を見て下さい。  僕も見ますね。そうだ……宗吾さんと芽生くんと秋のピクニックに行く夢がいいな。僕の大好きなログハウスをもうすぐ見に行ける。次の楽しみはそれだ。  軽井沢から東京まで新幹線で1時間。  本当にあっという間だ。  便利になったね。 「間もなく東京駅に到着致します」  アナウンスにハッとして顔をあげた。  僕……ぐっすり眠っていたのか。  隣の座席は空席のままで、車内は静かだった。  新幹線の中でひとりでこんなに熟睡出来るなんて、初めてだ。  行きは勢いで乗ったもの緊張して辺りをキョロキョロ見渡していたのに。  僕は……また少し変化出来た気がして嬉しくなった。  東京駅のホームに、新幹線が滑るように到着する。  そこに宗吾さんからのメールが届く。 「瑞樹、間もなく到着だな」 「はい! すぐに家に帰りますね」 「窓の外を見ろ」 「え?」   新幹線の窓の外には宗吾さんと芽生くんの姿が見えた。 「ええっ?」 「瑞樹、迎えに来たよ」    ホームに下りるとすぐに宗吾さんが荷物を全部持ってくれて、僕の手は空っぽになった。そこに芽生くんの温もりがやってくる。  本当に自然に、僕の手を握ってくれる仕草に嬉しくなる。 「芽生くん、会いたかったよ」 「お兄ちゃん、ボクもだよ」   芽生くんはよく眠りお昼寝もしっかり出来たようで、すっきりした顔をしていた。 「瑞樹、おつかれさん、上手く行ったようだな」 「あ、写真、お父さんから届きましたか」 「バッチリな。サービスショット入りだったぞ」 「?」 「ペンギンウインナーだったんだな」 「あぁ、あの写真ですね。あれはお父さんと僕とで宗吾さんを甘やかそうって話し合って送ったんですよ」 「甘やかす?」 「えぇ」 「確かに甘かったな」 「くすっ、宗吾さんもいい夢を見ましたか」 「あぁ!」    宗吾さんが楽しそうに明るく笑う。  そう、この笑顔が見たかった。  車の中で、宗吾さんがニヤニヤしている。 「パパ、お顔ーちゅういだよ」 「あ、すまん、すまん」 「芽生くん~ どうして宗吾さんはこんなにニヤけているの?」 「えっとね。ボクがねている間に、おかいものをしたんだよ。お兄ちゃんがよろこぶのかったって、さっきからずっとこんなお顔なの……こまったさんだねぇ」 「うん、そうだねぇ」 「おいおい? 俺は通常運転だぞ」  くすっ、一体何を買ったのかな?  楽しみにしていいのかな? 「不在票が入っているはずだ。ちょっと待て」 「宅配ボックスに?」 「あぁ! 来ていたぞ! 瑞樹が持ってくれ」    宗吾さんに渡されたのは、大手通販会社のロゴ入りの箱だった。  大きな箱の中には、小さな箱が入っているようで、とても軽かった。  芽生くんが手洗いに行くと、宗吾さんは僕を抱きしめて耳元で囁いた。 「それ、楽しみだな」 「だから一体、何ですか」 「いいものさー だが今日は疲れているから無理かな? だが、ちょっとだけ試してみたいよ」 「え?」 「だから今度じっくり試すよ。今日は試運転さ」 「ええ?」  僕の頭の中にはいろんなものが浮かんでは消えていく。  まさか、まさか……とうとうアレに? 「宗吾さん、まさかこの中身って……大人の……」 「へ? ははっ、瑞樹も通常運転だな。飛ばしてくれるのは大歓迎だが、それは芽生公認で買ったものだぞ」 「は! あ……僕……また……」 「中身はシャワーヘッドさ、水漏れしていただろう。新しいのにした」 「なんだ……」 「そっちを期待してたのか」 「していませんって!」  僕たちがじゃれあっていると、手洗いを終えた芽生くんがニコニコ笑っていた。 「パパとお兄ちゃんは、なかよしでいいね! ぼくのかぞくは、なかよしさんだね」  僕は躊躇うことなく、芽生くんを抱き上げる。 「おいで!」 「うん!」 「芽生くんとも、なかよしだよ」 「えへへ、お兄ちゃん、おかえりなさい、お兄ちゃんがいないとね……ヘンなかんじだったよ」 「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ」 「瑞樹、俺からも……改めてお帰り! 俺もそう思う! 俺たち三人で家族なんだと、君がいない間ずっと思っていたよ」  僕には帰る場所がある。   「お帰り」と言ってくれる人がいる。  大好きな人が待っていてくれる。  それがしみじみと嬉しくて、僕は何度もいっくんのように二人の名前を呼んでしまった。 「宗吾さん、芽生くん……宗吾さん、芽生くん!」 「なあに?」 「何だ?」 「二人とも大好きです!」    

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