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新春 Blanket of snow 9
芽生くんの言葉に、一気に場が和んだ。
誰も知らない秘話とは、まさにこのことだよ。
当時芽生くんはまだ3歳になる前だったはずだが、印象的な匂いとセットだったから、スッと思い出せたのかもしれないね。
「瑞樹、よかったら主人の書斎に入ってみる?」
「えっ」
お母さんに誘われて、一瞬返事に窮した。
何故ならお父さんは同性愛には理解が全くなく、宗吾さんはそのことで仲違いして家を飛び出したと聞いていたからだ。
そんなお父さんの部屋に僕が足を踏み入れるのは、良しとしないのでは?
戸惑っていると、お母さんが僕の背中を撫でてくれた。
「瑞樹……あのね、聞いてくれる。主人は私よりずっと年上で昔気質の職人みたいな性格だったの。でもね、きっと今頃天国で喜んでいると思うの。じゃなきゃ芽生の記憶を使って、この場を盛り上げてくれるはずないわ。主人はずっとひたむきで可愛いものが大好きだったのよ。瑞樹……あなたはまさにぴったりよ」
「思い切って行ってみようぜ! 俺も父さんが他界してから入ったことがないので、いい機会だ」
「……はい」
確かに、またとない機会なのかもしれない。仏壇の前で拝むだけで、小さな写真でしか知らない宗吾さんのお父さんの部屋に入るのは。
「失礼します。あっ……」
一瞬文机に背筋を伸ばして向かっている男性の姿が見えたような気がした。
「うわ、やっぱり今でも樟脳臭いんだな」
「お父さんは和装が好きで樟脳じゃないと駄目だって頑固だったのよね。もう補充していないのに染み付いているみたいね」
宗吾さんが入り口で立ち止まっている僕の手を引いてくれる。
「……父さん、瑞樹です。俺の大切な人です。あの頃のような浮ついた気持ちではなく、彼の家族をひっくるめて愛しています。だから……父さんにも知って欲しいです」
宗吾さんの言葉に、ぐっときた。
宗吾さんにも失ったものがあったのだ。
お父さんとすれ違ったままの別れ、それをずっと悔やんでいたのだ。
滲み出る後悔の念を感じると、切なく胸が震えてしまう。
「本当は笑顔で向き合いたかったのに、最期まで反抗して最低でした。どうか許して下さい」
「まぁ宗吾。そんなに自分を責めないで。親の立場からすると、また少し違うわ。お父さんは、ちゃんと宗吾の心の奥を見つめていたはずよ。表面上は怒っていたように見えたかもしれないけれども……本心は違うのよ」
お母さんの言葉にはいつも救われる。
「そうなのか、父さんはずっと俺を憎んで怒っていたんじゃないのか」
「いいえ、いいえ、それは絶対にないわ。あなたはそんな風に思って、苦しんでいたのね」
「母さん……」
こんな後悔にまみれた宗吾さんを見るのは初めてだ。
「これをはめてみて」
「え……これはお父さんがいつもしていた腕時計じゃ」
古い腕時計を、お母さんが宗吾さんの腕につけてくれた。
「秒針がカチコチ聞こえるでしょう。まるでお父さんの脈みたいよね」
「うっ……」
僕も胸が一杯になった。
お父さんの書斎には、まるですぐ傍に来てくれているような優しい空気が流れていた。
「憲吾も宗吾も私たちの大切な子よ。お父さんの血を引いた愛しい息子よ。親子って難しいわね。ずっと近くにいるので、叱りつけたり反抗したり、いがみあったりふてくされたり……感情をぶつけあって生きていくのよね。でもね、そんなこと出来るのも親子だからなのよ。深い所ではちゃんと繋がって認め合っているの。そうだわ、お父さんが晩年気に入っていた禅語を見れば、少しは伝わるかしら」
お母さんがスッと指さした方向には、一枚の古びた色紙がかかっていた。
『山是山《やまこれはやま》 水是水《みずこれはみず》』
「どういう意味です?」
「山には山の良さがあって、水には水の良さがあるのよ。つまりそれぞれの個性が調和して、自然はバランスを取っているということを表現しているの」
「父さんがこれを? これって俺を認めていてくれたということなのか」
「素直になれないって損ね。歩み寄れないわ。違いを認めて歩み寄れば、生前に和解できたのかもしれないのに……そういう意味では宗吾はお父さんと似ているわね」
深い、深い話だった。
自分を大切にすることで、他者との違いを受け入れられるし、自分の価値観を押し通さなくて済むということなのかな?
「死してなおも輝く……宗吾さんのお父さんは素敵な方だったのですね」
思わず漏れた感想に、お母さんも宗吾さんも喜んでくれた。
「ほらね、瑞樹はやっぱりお父さんに可愛がられる素質たっぷりよ。天国であの人が得意気にしているわ。嬉しそうに、滅多に見せない笑顔を浮かべて」
「瑞樹、ありがとう! こんな俺を大切にしてくれて」
「それは……宗吾さんが僕を大切にしてくれるからです」
宗吾さんにガバッと抱きしめられると、お父さんの腕時計の秒針の音が微かに聞こえた。
宗吾さんのお父さんの素敵な言葉が、僕にも届いた。
「お父さん、僕と宗吾さんは真逆の性格ですが、ずっと傍にいたいんです。お父さんの教えを大切にしますので、お……応援して下さいますか」
思わず口に出して願うと、芽生くんの声がした。
「おじーちゃん! ねっ、いいよね~」
「芽生くん!」
「お兄ちゃん、あのね、おじいちゃん、いつもボクに言ってくれたよ。『いいよ。やってごらん 』って。だから、おじいちゃんのおへや、だいすきだった!」
『いいよ、やってごらん』
その言葉は偶然にも……大沼の父から掛けてもらった言葉と同じだった。
……
「瑞樹、いいよ。やってごらん」
「でも……」
「こわがらなくてもいい。やってみないと始まらないぞ」
「う……ん」
「安心しろ。何をしてもどこにいても瑞樹は瑞樹だ。瑞樹の良さはお父さんとお母さんがちゃんと分かっているから、自分を信じてごらん」
……
「瑞樹……」
「宗吾さん……」
「今、父さんの声が聞こえた気がしたよ」
「はい! 僕もです」
僕たちは生まれも育ちも性格も、何もかも違うもの同士だ。
だが違いを認めあえる大きな心を持っていれば、少しの行き違いも、少しの喧嘩も怖くない。
「そうよ、宗吾も瑞樹も広い海のように大きな心で、大波小波を飛び越えていきなさい。うさぎさんのようにピョンピョンね」
新年にあたり素敵な言葉をもらった。
僕は僕らしく、宗吾さんを今年も愛していく。
お父さん、それでいいのですね?
……
「そうだ瑞樹、それでいい。自分を信じろ! お父さんは瑞樹を信じている!」
……
新しい年の扉が開かれる音がした。
夢と希望が溢れる幕開けだ。
Bland New Day!
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