1273 / 1668

新春 Blanket of snow 17

「おじさん、もしかして、つかれちゃった? そろそろお家にはいろうか」 「あぁ、そうだな」  雪見格子越しに宗吾が泣いている姿を見たせいか、少し気がそぞろになっていた。 「わぁ、おじさんの髪にいっぱい雪がつもっちゃったね」 「あぁ、本当だ」  髪もコートも、雪で白くなっていた。 「参ったな、これじゃ白髪のおじいさんみたいだな」  待てよ。そもそも実年齢より十歳は年上に見られることが多いのだから、気にすることないのかと自嘲すると、芽生がブンブンと首を横に振った。 「そんなことないよ! だいじょうぶだよ。雪はちゃんと……とけるもん」 「芽生の言葉は優しいな」 「おじさんは、あーちゃんのたいせつなパパだよ! だから……だから、はやくお家であたたまろうよ!」  芽生が心配そうに私の手をグイグイ引っ張ってくれる。 「あぁ、分かった」 「おじさん、早く、早くー! こっち、こっち」    その幼い手の力に、ふと宗吾の小さな頃を思い出した。 …… 「にーさん、早く、早くー! こっち、こっち」 「そーご、ちょっと待って。そんなにあちこち動き回ったら迷子になるぞ」 「にーさんがいるから、だいじょうぶだよ」  わんぱく小僧だが、憎めない弟だった。  人を喜ばすのが大好きな明るい性格で、私にはない行動力を持っていた。 「にーさんはゆるがない! だからおれ、安心して遊びにいけるんだ」 「バカだな……兄さんが消えたら、どうするんだ?」 「探すよ? だっておれの兄さんは、兄さんしかいないから」  単純明快な答えだったが、妙にツボにはまった。 ……    冷え切って強張った身体は暖房の効いた部屋に入った途端、解れた。  洗面所で芽生とお湯で手を洗うと、更にポカポカになった。 「なるほど、芽生の言った通りだな」 「あとはおばあちゃんにあたたかいお茶をいれてもらって、おばさんといっしょにあーちゃんをだっこしたら、もうだいじょうぶだよ」 「そうだな」  私を暖めてくれるのは暖房だけでない。母に妻に娘、そして気立ての良い甥っ子もいる。それから……  芽生と一緒に居間に戻ろうとしたが、父さんの部屋の様子が気になった。宗吾……お前、まだ泣いているのか。 「芽生、先に居間に戻ってくれるかな」 「うん、わかった」  父さんの部屋まで行くと、扉を開ける前に中の話し声が聞こえてきた。  宗吾の後悔と哀しみが、私の前まで漂ってきた。  父さんの告別式で、宗吾は明らかに打ちひしがれていたのに、私はわざと近寄らなかった。意固地になっていたのだ。  本当はあの日、お前の肩を抱いてやりたかった。  一緒に泣きたかった。  父さんとの別れを、共に悼みたかった。  今の宗吾には瑞樹くんがいる。だから私は不要だと立ち去ろうとしたが、それでいいのかと自問自答した。それでは今までと何も変わらないのでは?  新しい年には、新しい一歩を踏み出したい。  雪解けという言葉には二つの意味がある。一つは単純に降り積もっていた雪がとけること。もう一つは対立する両者の緊張が緩み、友好の兆しが生まれることだ。  参ったな……私まで泣きそうだ。  いや、もう泣いているのかもしれない。  涙を必死に堪えていると、宗吾が部屋から出てきた。 「……兄さん?」  泣き腫らした赤い目を顔背けることで消そうとしたので、私は宗吾の肩を思い切って抱き寄せた。弟とこんな風に触れ合うのはいつぶりだろう?  ずっと素直になれなかった。    瑞樹くんのように、いつも寄り添ってやりたかった。  誰かを羨ましく思うだけでは、何も変われない。    出来なかったこと、しなかったことを、してみよう。  最初の一歩は、兄である私から。 「宗吾、私の弟に生まれてきてくれてありがとう。お前が弟でよかったよ」 「お……俺も……兄さんが兄さんで良かった! 俺たち、まだまだ、これからだ!」  宗吾は呆気なく心を解いて、歩み寄ってくれた。    なんだ、こんなに簡単なことだったのか。  いや、簡単なことが、一番難しいものだ。  私は瑞樹くんにも手を伸ばした。  君が来てから、いい風が吹くようになった。風通しがよくなった。  優しいそよ風のような君も、私の大切な弟だ。   「瑞樹くん……瑞樹……そうだ、私も君を瑞樹と呼んでもいいか。私も君の兄にしてくれないか」 「僕も……憲吾さんを、お兄さんと呼んでも?」 「あぁ、もちろんだ。君には立派なお兄さんがいるのは知っているが、私も仲間に入れて欲しい」 「もちろんです。僕の頼もしいお兄さんです、憲吾さんは」 「ありがとう、ありがとう」  回り道はもうよそう。  人生は一度きり。  いがみ合ってばかりでは勿体ない。  自らも優しい風を吹かせていこう。  風通しが良ければ、見通しもいいだろう。

ともだちにシェアしよう!