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Blanket of snow 21

 瑞樹達と入れ替わりで、兄さんと台所に立った。 「宗吾は野菜を切ってくれ」 「いいぜ」  昔だったら投げ出して逃げ出すシーンだが、今の俺は違う。  芽生と二人になって一から始めた料理だが、苦にならない。  最初は手を切ったり、火傷をしたりと大変だったよな。だが場数を踏めば踏むほど、上達して面白くなってきた。そして瑞樹と出会い、彼の胃袋を満たしてやりたくて、更に腕を振るうようになったのさ。  だから野菜を切る作業なんて、今では余裕だ。  鼻歌交じりにトントンとリズミカルに白菜やネギを切っていると、手元に強い視線を感じた。兄さんがじっと見ている。 「なぁ、兄さんはやらないのか」 「随分、手際がいいんだな」 「まぁな、シングルファザーの努力の結晶さ」 「そうか……お前もかなり努力したんだな」 「……そうだな。まぁ、いろいろ洗礼を浴びたよ」  俺は次男坊にありがちな性格で自由奔放で要領も良かったので、あまり失敗することもなく、何事もそつなくこなして生きて来た。だから突然離婚を突きつけられたのは青天の霹靂だった。 「当時は、本当に大変だったな」  以前だったら絶対に兄とこんな会話はしなかった。  いつからだろう? お互いに弱味を見せるものかと意地を張りだしたのは。  離婚当時を思い出すと、今でも胸が痛い。 「なぁ宗吾……当時の苦しみ……兄さんには話してもいいんだぞ」 「えっ」 「今なら誰もいない。私とお前だけだ」  ちらりと振り返ると、瑞樹は芽生を抱っこして窓の外を見ていた。母さんたちはコタツで団欒していて、誰も俺を見ていない。 「……兄さん……少しだけ聞いてくれ」 「あぁ、話してスッキリしろ」    ……  芽生を幼稚園に送った後、玲子と激しい口論になった。  彼女は感情を爆発させて、いきなり寝室のクローゼットからスーツケースを引っ張り出したかと思うと、そのまま出て行ってしまった。  おそらく以前から少しずつ準備していたのだろう。  あまりに呆気なく、あまりに完璧に消えてしまったので、唖然とした。  その日は呆然として会社を休んでしまった。  この俺が……捨てられた?   子供を置いて行くなんて、あり得ない。  いや、芽生は俺の大切な子供だ。  俺が育てる!   そう誓ったのだ。  幼稚園に迎えに行くと、芽生が驚いていた。 「ママ、びょうきなの?」 「……ママは……もういないよ」 「え?」     家に帰るなり「ママー、ママー」と泣きながら部屋中のドアを開ける芽生を、必死に宥めた。 「芽生、芽生、元気だせよ」 「どうして……ママ、いないの?」 「……ごめんな、もう帰って来ないよ」 「えっ……」  今考えると、事実をありのまま3歳の芽生に突きつけるなんて、酷なことをした。  そこからが大変だった。  玲子に子育ては任せっきりだったので、どう接していいのか勝手が全く分からなかった。頭の中が今この現状をどうすべきか。これからどうやってこの子と生活していくかで一杯だった。 「男だ! もう泣き止め」  何度も言いそうになったが、ぐっと堪えた。  それだけは言ってはならないと思った。  とにかく記憶を頼りに、玲子がしていたことをした。  何もかも失敗だらけだった。  こんなに1日中失敗に塗れることは経験はなかったので、失笑した。  泣き疲れた芽生を抱っこしながら…… 「あー格好悪いな、俺」と天を仰いだ。  その時初めて涙が目尻に浮かんだ。  …… 「宗吾、辛かったな。私は……恥ずかしながら……以前は……大した努力もせずに成功していくお前が羨ましかったんだ。いつでもお前は人気者で、自由で眩しかったんだ。私が真面目であればあるほど、宗吾はあっけらかんとして拍子抜けもして……でも、違ったんだな」 「兄さん……」  兄さんが眼鏡の縁を何度か指先で弄っている。  これは、兄が心を落ち着かせるための癖だ。 「……私も反省点ばかりだよ。失敗は宗吾だけではないさ。私も数年前まで、美智と仮面夫婦状態になっていた。彼女の心に寄り添わず、突き放してばかりで……だが……」  そこで二人の声が揃う。 「瑞樹と出逢って、変われたんだ」 「瑞樹くんと出逢って、目が覚めたよ」  俺たちは大きく頷き合う。 「兄さん、やっと気が合ったな」 「あぁ」  本当にそうだ。瑞樹と知り合って、瑞樹を愛して、瑞樹と過ごすようになってから、俺は変われた。  繊細で控えめな瑞樹の心を思いやることで、人として優しくなれ、相手を大切にすることを学んだ。 「瑞樹くんには初対面の時、本当に酷いことをした。今でも思い出すと恥ずかしいよ」 「兄さん……瑞樹はもうとっくに許し忘れていますよ。瑞樹は兄さんが大好きですよ。彼は人を愛することが好きな人間なんです。生きていてくれることが大切なんです」 「あぁ……分かる。彼といると心が浄化される。凝り固まった考えを、どんどん剥がしてもらえるんだ」  兄さんが瑞樹を手放して誉めてくれるのが、本当に嬉しかった。  そんな兄さんが、好きだと思った。  あれ? この感情は初めてではないような。  小さな頃は、5歳年上の兄の行動に、純粋に感動し感激していた。 「兄さん、すごい‼ すごい‼」と目を輝かせて拍手していた。 「兄さん、瑞樹のこと、そんなに誉めてくれて……ありがとう。男同士とかそういう垣根を越えてくれて、ありがとう」 「離婚は辛かったが……その……瑞樹くんと巡り逢えてよかったな。私たち夫婦にとっても朗報だ。彼がいなかったら……美智と私も駄目になっていたかもしれない。そうしたら……彩芽にも会えなかった」  再び兄さんが肩を抱いてくれる。  5歳年上の兄が……俺は好きだ。  心の底から湧いてくる想いだ。 「宗吾、憲吾、そろそろ夕食にしましょう!」  いいタイミングで母さんから、声がかかった。  よし、気分を切り替えていくぞ! 「母さん、すき焼きの割り下って、どこ?」 「何言ってるの、自分で調合するのよ。うちはいつもそうだったでしょう?」  すき焼きなんて滅多にしないが、いつも市販品のたれを使うので驚いた。  大学入学で実家を飛び出し、中高は部活に遊びにと飛び回っていて、家族団等の記憶があまりないことに、はたと気が付いた。  勿体ないことをしたな。  父さんとも触れ合うチャンス逃しちまったな。 「宗吾……割り下の配合は、酒200ml・みりん200ml・醤油200ml・ざらめ60gだ」 「流石兄さん、バッチリ暗記しているんだな」 「……だがこれはおおよその目安で、あとは様子を見ながら足せばいい」 「……そうか! 肉の減り具合、野菜の水分量でも違ってくるよな」 「そういうことだ。ケースバイケースで行こう!」  兄さんらしくない一言に心が躍った。  俺も変わったが、兄も変わった。  お互いに少し歩み寄ると、世界の色が少し変わって見えた。

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