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心をこめて 4

 日中は暖かかったのに、随分と冷えてきたな。  会議を終えて窓の外の様子を窺うと、街路樹が台風の時のように大きく揺れていた。 「滝沢さん、この後天気が崩れそうですね。今日は早く帰った方がいいですよ」 「林さんもな」 「お互い、愛しい人の元に戻りましょう!」 「あぁ」 『10年に一度の大寒波到来、首都園でも深夜から雪になる可能性があります』  まじか! スマホでニュースをチェックして、会社を飛び出した。    今日は瑞樹が芽生の迎えに行ってくれるので、俺はスーパーでパパッと夕食の食材を買って、自宅に向かった。  すると前方に、瑞樹と芽生の姿が見えて来た。  よしっ! 追いついたか。  ん? おいおい、なんであんな所で立ち止まって?  そこに俺でも一瞬グラつくほどの強風が吹き抜けた。  瑞樹が華奢な身体を盾にして、芽生を強風から守ってくれていた。  その姿にじんとした。  全速力で、二人に追いついた。  瑞樹は今日は1日屋外作業だったので疲労困憊だろうに、芽生のお迎えまでしてくれてありがとう。  ふらつく身体をキャッチしてやると、瑞樹が安堵した表情を見せた。  これは、かなり我慢しているな。  彼の細い首が寒そうに剥き出しになっていたので、慌てて俺のマフラーをぐるぐる巻いてやった。  いくら北国育ちの君だって、これはキツい。  疲れも溜まれば、寒さに負けそうになって当然だ。  控えめで頑張り屋の君なのは知っている。  だから俺がサポートする。    帰宅後、すぐに三人で風呂に入った。マンションのユニットバスなので、瑞樹が華奢な体つきで、芽生が子供といっても、流石にもう手狭だ。それでも俺たちは、この時間を楽しんでいる。  家族水入らず。  まさにそれだ。 「芽生と俺は先にあがるから、瑞樹はもう少し身体を暖めてからあがるといい」 「ですが」 「……身体をよく解してくれ」 「あ、はい」  本当は全身を隈なくマッサージしてやりたいが、夕食の支度もしなくてはならないので、グッと我慢した。    実は瑞樹の函館のお父さんとお母さんから密かに気に掛けて欲しいと頼まれていることがある。それは瑞樹の右手の様子だ。古傷が最近になって時々疼くようで、使い過ぎると強張ってしまうようだ。  瑞樹の職業柄、手は命なので、一度病院で精密検査を受けさせたいが、彼が乗り気ではない。その気持ちも分かるので、どうしたものかと思案している。  我慢強い瑞樹のためにも、この件に関しては俺も早急に動くべきだろう。  そこに、芽生のお腹がぐううーと盛大な音を立てた。 「芽生、腹、減ったな。今日はキムチ鍋でもいいか」 「えっと、それ、からくない?」 「芽生には卵とチーズを入れるぞ」 「わぁ、ボク、すき!」 「宿題は?」 「おてつだいは?」 「芽生も久しぶりの学校で疲れただろう。だからきっとすぐに眠くなるぞ」 「わかった! じゃあ、しゅくだいをするね」  野菜を切っていると、パジャマ姿の瑞樹が、頬を薔薇色に染めて戻ってきた。よかった! かなり顔色が良くなった。 「宗吾さん、ありがとうございます。おかげで温まりました」 「ますます可愛くなったな」 「……恥ずかしいですよ。僕は男なので、その……可愛いというのは」 「可愛いもんは可愛いのさ! さぁ君は座って暖かい飲み物でも」 「いえ、僕も手伝います」 「いいから、いいから」  こんな時、丈夫に生んでくれた両親に感謝だ。  俺の体力は、月影寺の流と張るほどだ。昔はこの体力を持て余し、かなり遊んでしまったが、今は違う。愛しい人のために注げるのが嬉しい。 「宗吾さん、実は11日は、いっくんのお誕生日なんです」 「そうか! 俺たちも何かプレゼントを贈りたいな。あの子は何が好きか」 「うーん、芽生くん、どう思う?」 「いっくんは、あんこパンマンが好きだよ」 「あぁ、あのキャラクターか」 「でもね、この前のキャンプで、ボクが持っていったサッカーボールも気に入っていたよ」 「なるほど」  あんこパンマンのおもちゃは、芽生のお古を沢山送ったから、ボールにするか。瑞樹も同感のようで、隣でニコニコしていた。 「ボールなら、潤と一緒に遊べますね」 「潤はサッカーやっていたのか」 「はい、運動神経が良くて、中学の時に部活で」 「なるほど、じゃあそれにしよう」  今度は芽生が嬉しそうに、画用紙と色えんぴつを持って来た。 「ボク、いっくんのおたんじょうびカードをつくってもいい?」 「いいな、喜ぶぞ」  芽生は小さい頃から、お絵かきが大好きだ。  なのに、玲子がいなくなった時は、来る日も来る日も真っ黒なクレヨンで、それまで描いてきた明るい絵を塗り潰してしまった。  それを見て、俺は自分の浅はかさを呪った。  こんな小さい子供に、精神的な苦痛を与え負担をかけてしまった。  どうかこの子が再び日溜まりの中で、明るく笑えますように。  そう願った。  だから週末になると、いろんな公園に連れて行ったのさ。  家事や仕事の疲れから公園でうっかり転た寝をしてしまい、周囲の人や母から猛烈に叱られた。だが猛反省しながらも、公園に連れて行くことはやめなかった。  あの日もそうだった。  …… 「パパ、きょうはどのこうえんにいくの?」 「そうだな、鯨の滑り台がある所にするか」 「うん! あそこすき!」 「そうだ、あそこには原っぱがあるから、もしかしたら四つ葉のクローバーが見つかるかもな」 「よつば?」 「あぁ、幸せになれるものだよ」 「しあわせ?」  あの頃の俺は、芽生にまた明るい絵を描いて欲しくて、何か手がかりはないかと、必死に児童書を読み漁っていた。  その中で『トカプチ』という絵本を見つけた。  ある日、孤独なオオカミと人間の少年が出逢った。  オーロラ色に身体が輝くひとりぼっちのオオカミは、全身が凍ってしまう難しい病に冒されていた。でも凍えるオオカミと出会った人間の少年が、やさしく抱きしめて温めてやると、氷がとけて、オオカミの病と孤独は救われ、ふたりはいつまでも草原で仲良く暮らしたという内容だった。  絵本は爽やかな風が吹き抜ける草原で、オオカミと少年が四つ葉のクローバーを交換している絵で締めくくられていた。    オオカミと人間という全く違う個性を持つ者同士が尊重しあい、思いやりあう姿が心地良い内容で、大地と自然を愛おしむ気持ちが溢れる、明るく幸せそうな色がふんだんに使われた絵本だった。    後に……  瑞樹と北鎌倉に行った際に、彼自身も同じ絵本を見つけてくれた。  あの時は心の中で密かに興奮したよ。  俺が瑞樹と出会うきっかけになった絵本を、瑞樹も気に入ってくれたのが嬉しくて。 「お兄ちゃん、かけたよ」 「わぁ、これは芽生くんといっくん?」 「うん、いつか、いっくんといっしょにサッカーをしたいんだ」 「いいね! 夢はきっと叶うよ」 「そうかな。そうなれるようにがんばるね! 『まいにちコツコツ』って、おばあちゃんがいっていたよ」  夢は叶うか。  俺も同感だ。  あの絵本を通して、俺は夢を抱いた。  俺の個性を受け止めてくれる人と出会いたい。  俺も相手の個性を受け止めてやりたい。  そう願っていた。  それから間もなく瑞樹と出会った。   「芽生の夢はきっと叶うよ」 「わぁ、パパとお兄ちゃんがそう言ってくれるの、うれしいよ。その時はふたりでおうえんにきてね」 「あぁ、仲良く見守るよ」  芽生の幸せを、これからは瑞樹と共に見守っていく。  これが俺の新たな夢だ。  

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